ブラームス:交響曲第三番ヘ長調Op.90

あと千回のクラシック・リスニング(16)

〜 桜と純米吟醸で愛でる春の宵のブラームス 〜

 

 ブラームス:交響曲第三番ヘ長調Op.90(DECCA 417 744-2)
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 今年はつくばでの桜の開花は遅れに遅れ、4月中旬に入ってようやく満開である。
それだけに周囲は皆桜の開花を切に待ち望んでいた。日本人にとって「第一主題」到来とでも言うべき素晴らしい時節である。
以前書いたことだが、この桜の季節から新緑が美しい皐月までひときわ取り出す回数が増えるレコードがある。カラヤン指揮ウィーン・フィルによるブラームスの第三シンフォニーの録音である。この曲はトスカニーニとかセル・タイプの整ったアンサンブルが全面に出る演奏では味わい深さが出てこない。第二と同様、融通無碍のウィーン・フィルの音色が欲しくなる作品の典型である。
そうウィーンなのである。同じカラヤンでもベルリン・フィルを振ると当然ながらこの味わいは出てこない。例えばモーツアルトのK334のディヴェルティメントをウィーン・フィルとベルリン・フィルのそれぞれのオクテットによる演奏の差みたいな。草書体と楷書体の差のような、というか。
このレコードは最初、大学生時代にLPを購入し、ウィーン・フィルの響きを最初に愛でた録音でもある。SLC1492という、そのレコードの番号までそらで言えるくらいである。ウィーン・フィルのレコードというと、実際には指揮によるベートーヴェンのLPを何枚か持っていたのであるが、それらはフルトヴェングラーを聴くレコードであり、ウィーン・フィルの比重が小さいのと、きつい高弦やホルンなど部分的にウィーン・フィルの音のイメージは聞き取れるが、EMIの録音の特徴もあって、このオーケストラの柔らかさが出ていない。そうなのである、ウィーン・フィルの柔らかい響きは最初聞いたときは軟体動物みたいで違和感があった。しかし、聴き重ねるうちにその味わいは他のオーケストラを以って替えがたしという存在となっていた。
この作品にしても、第二交響曲にしても楷書的で武骨なドイツ的、あるいは派手なアメリカン・サウンドは似合わない。ブラームスは「渋い」、そして「霜降り」のサウンドが必要なのである。
私にとって第四交響曲は特別な作品なので、後の3曲の好みとなると、第三、第二、そして第一の順となる。第一は力作で名曲かもしれないが、窮屈でブラームスの建前の作品であり、本音ではないような気がする。第一は、時に低脂肪の冷凍肉を想起させる。
しかし、このブラームスの第三交響曲は私にとってとても大事な曲、この曲を本気で聴く時にはアナログレコードを取り出し、真空管のアンプで鳴らす。
現在所有している夥しい数の同曲のLPでは、先に挙げたように最初に買ったキングプレスのSLC1492がカラヤンがウィーン・フィルを振っている姿のジャケットもよく、最も愛着がある。なので一枚となるとこれを選ぼう。しかし、これが行方不明となっており、今回はCDで我慢する。このCDは前に取り上げたドヴォルザークの第八交響曲とカップリングされており、CDケースが壊れるほどの愛聴盤である。「参考」で述べたが、ラックスの真空管プリで鳴らすと、アナログ的な、それ以上に蠱惑的とでも言いたくなるような音がする。ウィーン・アコースティックS-1がそれを増幅する。
さて、桜の季節の宵には純米吟醸を、新緑のころの休日の午後にはビールを準備して、このCDを聴くと、わが心はウィーンにまで飛翔する。ブラームスの音楽に一番合うのは重めのワイン、しかも赤であろうが、例えば夕刻の桜の花を愛でながら呑むような時は好みの純米吟醸酒で、「よくぞ日本人に生まれけり」を確認したくなる。
さて、酔いが進むと、柔らかな陽が射しこむ日曜日のお昼前頃、ムジークフェラインの大ホールで、ブルーノ・ワルターの指揮で聴いているような気分にさえなってくる。出だしのきっちり合わないアンサンブル、伸縮自在の流動的なテンポ、官能的でさえある音色、いや官能的そのものの音色。ふわっとした柔らかさの中に峻厳さを含む弦の音がとりわけ魅力的である。第一楽章では音は上昇と下降を繰り返して進む。この楽章を聴いていると、私は桜の花が満開を過ぎたあたりの、春風で花びらが舞い上がっては降り降りてくる桜吹雪の様を頭に描いてしまう。
密やかな繰言を言っているような出だしから、だんだん夢に陶酔してゆく第二楽章。柔らかく回顧的なホルンなどウィーン・フィルの魅力がいっぱい詰まった有名なウンポコアダージョの楽章。ここでのチェロの響きにはいつも耳をそば立たされる。そして、音の美しさと迫力の奇跡的なバランスのフィナーレ。しかも、カラヤンの指揮のおかげでスケールも大きく、構築も立派である。その音の構築と美しさのバランス、そしてクライマックスの設定とその決め方がすばらしい。入魂のフルトヴェングラー盤はもちろん素晴らしいのだが、凄演であり、レコードで聴くとデフォルメが過ぎる。このカラヤン盤はオケをコントロールしすぎないながらも、ちゃんとウィーン・フィルの美点と自発性を重んじながら、背後でちゃんとコントロールしている良さがあるのだ。
この演奏を聴くたびに、この録音の背景まで思いがはせる。カラヤンは好きな指揮者ではないが、このCDは別格である。思うに、この録音当時のカラヤンは幸せの絶頂期にあったに違いない。天敵であった先輩指揮者フルトヴェングラーの幻影から解放され、ベルリン・フィルのみかウィーン国立歌劇場監督のポストも手に入れ、エリエッテ夫人との間には長女イザベラが誕生してというような時だったのだ。その怖いような幸福感がもろにこの演奏に滲み出てはいないだろうか。いや、細部はどうでもよい、骨格を入れるのに徹していたのかもしれないが、それがよい結果をもたらしていると思う。この時期のカラヤン&ウィーン・フィルの録音はすべてウィーン・フィルの持ち味が最大限出るような余裕の指揮ぶりで、人工的なベルリン・フィルとの録音とは好対照である。と、このCDを聴きながら、この録音のセッション録音をプロデュースしたジョン・カルショーに感謝したい。
録音技術が進みすぎて、人の感性よりも録音機器の進化に頼ったような近年の録音。音楽無宿旅行でウィーンに行って、さんざんな目にあった最初の日の夜、シュタッツオパーで観たオペラが「アイーダ」であった。オペラとはかくも素晴らしい総合芸術かと感激し、帰国後すぐに初月給でカラヤン指揮ウィーン・フィルによる「アイーダ」の3枚組のレコードを買った。そして、あの最初の夜に聞いた音が自分の装置でも再現されたのには驚いた。もちろん、カラヤン盤はシュタッツ・オパーではなく、ゾフィエンザールでのセッション録音であるが。
このカラヤン指揮ウィーン・フィルの録音にはウィーン・フィルというオーケストラの魅力が満載されている。柔らかい弦の音、チャーミングな木管群、とりわけウィンナー・オーボエ、それに上に挙げたようなウインナー・ホルンなどなど。それが優秀なデッカのスタッフ(クレジットされているエンジニアはゴードン・パリー)によって素晴らしい音で録音されているのである。
バルビローリがウィーン・フィルを振ったブラームス全集でも、第三番は素晴らしい。彼が望んだようにバーガンディー・サウンドそのもののような演奏である。しかし、オケはバルビ節に抵抗したようで、リハーサルでは指揮者はスコッチを飲んで振った、というエピソードを読んだような気がする。バーンスタインがベルリン・フィルでマーラーの第九を振った時も、楽員の抵抗に遭い、スコッチをあおって楽員を皮肉ったという。クライバーもいつも持っている鞄の中にはスコッチが入っていたそうな。
音楽を聴く時に酒が入るのはけしからんという人も知り合いには結構いる。しかし、酔っ払っては失礼ではあるに違いないが、アルコールにより陶然となる確率も高くなるような気もする。
もうこの歳になると、残された人生はいかほどかと考えてしまう。まだ研究らしきことを細々と続け、テニスで汗を流し、酒を楽しみ、何より毎晩音楽を聴く。酒は1日2合までと一応のルールは決めているものの、ビールもワインも日本酒もシングルモルトも美味しく、しばしば度を越してしまう。悔恨の日が多くなる。おまけに周りで知合いの呑兵衛の訃報が聞こえてくる。
昔ほどではなくなったが、やはりこの世を去るのは怖い。自分の死後、もし希望がかなえられるなら、私は樹木葬を希望する。出来れば海が見える高台に植えられた桜の樹の下で眠りたい。
今年もブラームスとウィーン・フィルを愛でるため、春にはこのCDを取り出すことにしよう。

(参考)
「ブラームスの交響曲第三番(カラヤン=VPO)のためのオーディオ」

私の複数ある装置に共通しているのはウィーン・フィルがウィーン・フィルらしく鳴らすための組み合わせである。
今回はスピーカー:ウィーン・アコースティックS-1、SACDプレーヤー:DENON DCD-SA1、プリアンプ:ラックスCL-360、パワーアンプ:Quad 405Ⅱという組み合わせで聴いた。
スピーカーはウィーンというキーワードで選んだ訳ではけっしてなく、手持ちのスピーカーの中で最も柔らかい音を出すのがS-1だからである。アンプは私が手に入る価格で、最もウイーン・フィルらしい音を演出してくれるのはラックスCL36、CL40及びCL360 である。中高域から上がとても柔らかく、スムーズである。今回はCL360を選んだ。
この組み合わせでは全体が柔らかく、弾力性に富む音が流れ出す。ウーファーは14cmだが、エンクロージャーが結構大きく(高さ35cm)、低域も結構伸びている。時に低域の量が過剰となり、ブカブカした音が混じるので、ダクトにウレタンを深めに挿入する。
第一楽章のちょっときついウイーン・フィル独特の高弦がハラハラと舞い散る桜を演出する。ウインナー・オーボエ、ウィンナー・ホルン惚れ惚れするような響きである。歌うチェロも素晴らしいし、弦のピツィカートも柔らかく魅力的。
そして、何より録音会場がソフィエン・ザールというのが効いている。サウンドがうまい具合に膨らむのである。今は亡き名録音会場、デッカ・ツリーを運び込むDECCAの録音チーム、まだ結構ローカルな響きを起こしている当時のウィーン・フィルのサウンド、背後に名プロデューサーのジョン・カルショー。素晴らしいレコード芸術である。