ショパン:ピアノ協奏曲曲第二番へ短調

あと千回のクラシック音盤リスニング(5)

〜チョン・ミョンフンはマルタ・アルゲリッチを招待したか?〜

 ショパン:ピアノ協奏曲曲第二番へ短調  Op.21

  ・ピアノ:クララ・ハスキル、イゴール・マルケヴィッチ指揮ラムルー管弦楽団DECCA 478 2541

  ・ピアノ:マルタ・アルゲリッチ、チョン・ミョンフン指揮ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団(私家版 HKC-2

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私にとってのピアノ・コンチェルトのターゲットはアマデウスとブラームスの二人の作品に集中している。 前者ではK491とK595、後者は第二番が大傑作と信じ込んでいる。

しかし、今回選んだのはショパンのピアノ協奏曲、しかも第二番である。

私はショパンが苦手である。 ずっとそうだった。若い頃からリパッティ「ワルツ集」とかホロヴィッツによる「マズルカ」の一部やバラード第一番とか、お気に入りのレコードはあった。 後にはフランソワによる全集的なCDも手に入れているが、のめり込めないのである。

ところが1枚、いや2枚のCDによってショパンもなかなかいいなと思うようになった。 それはピリスによる夜想曲集の2枚組のCDで、情念のスケールと濃度が異次元のように感じたためである。

しかし、またもとに戻りつつある。 そもそも交響曲を書けない、あるいは書かない作曲家なんて失格である、私の基準では。 そして詩的ではあるかもしれないが、ほとんどが短小サイズの曲の集合体である。 さらにピアノのための作曲家である。 ますます私とは相性が悪い。

 まあ、こう悪態が続くのであるが、とは言いつつも結構取り出すディスクもある。

 その1枚がハスキルが弾くピアノ協奏曲第二番のCDである。 これはLP時代にはそう名演とは思わなかったが、CDとなって音が見えるように改善され、すっかり魅せられてしまった。 ハスキルの、このモーツアルト弾きが紡ぎ出すセンシティブなピアニズム。 素晴らしい。 ハスキルは作曲もしたチャプリンが「チャーチル、アインシュタイン、そしてハスキル」と評価した天才なのである。

 しかし、その生涯は病魔との闘いであり、美少女だった彼女もカリエスで背中が曲がり、ピアニストとして世に認められた頃は、もう見られたくないような容姿となっていた。 さらにユダヤという出目によって、第二次世界大戦の苦労はじめハッピーな人生であったはずがない。

 しかし、それ故に彼女が弾く音楽はますます深く、内面を掘り下げるような演奏となったはずである。

 この協奏曲第二番の演奏はハスキルの若き頃の束の間の夢を映し出した演奏に聞こえる。

 ただ、アマデウスの第24番のコンチェルトでは作品の悲劇性をアンプリファイしたかのようなマルケヴィッチのアプローチに頷いたものの、このショパンではデリカシーが足りない、と感じてしまう。 より淡く、初々しく、より誌的な伴奏を求めたい。 これではアルゲリッチ盤のスラヴァの指揮、そのコレステロール過剰な指揮の方がましに聞こえる。

 マルケヴィッチは「ミスター・サクレ・ド・プランタン」と呼ばれたほど「春の祭典」のエキスパートだった。 そういう彼の本質が垣間見える伴奏で、残念である。

 話は飛んでしまうが、この指揮者にマーラーの第七交響曲を振ってもらいたい気がする。

さて、先に「しかも第二番」と書いたのは、この方が最初に書いたコンチェルトで、どちらかというと評価は若干低いかなと考えたせいである。 いや、ハスキル盤の評価をチェックしようと、ペンギンCDガイドを取り出したら、そこでの扱いは一番の後に付け足しのような形での記述しかない。

 アルゲリッチもどちらかというと一番型で、いや皆そうなのであろう。 一番顕著なのがポリーニで、商業録音では一番しかない。 しかし、滞米中エアチェックしたカセットの中にポリーニが珍しく二番を弾いた演奏があった。 しかも、オケはバレンボエム指揮シカゴ響である。

商業録音では契約の関係上制限が多いのであるが、米国での1980‐1981年シーズンには考えられないような組み合わせも多かった。 例えば、ポリーニはロサンゼルス・フィル定期でブラームスの第二コンチェルトを弾いたのだが、この時の指揮が何とブロムシュテット、しかもその放送での解説によれば彼の米国西海岸デビューとのことであった。 シノポリもラトルもこのシーズン、ロサンゼルス・フィルで米国デビューを果たしていた。

さて、エアーチェックしたテープの中で一番取り出すことが多いのがこれまたショパンのピアノ協奏曲第二番なのである。 これはアルゲリッチのピアノによるところが大きい。

アルゲリッチは天才、その火花を散らすようなピアノに魅せられる。 また、ピアニッシモのアルペッジョの美しいこと。

そして、ここでアナウンサー役も勤めているゲイル・アイケンポールというミュージック・ディレクターの女性、この女性の声も素敵である。「Here is Martha Argerich」(「マルタ=アルゲリッチの登場です」)で始まるこのテープ、米国での生活が懐かしく思い起こされる、そういう雰囲気がまた聴きたくなる動機の一つとなっているに違いない。

この録音、オケはチョン・ミョンフン指揮のロサンゼルス・フィルで、若々しく、初々しく、アルゲリッチの動きの激しいピアノにもよく追随し、いい伴奏だと思う。フィナーレのコーダの後、凄いオーベーションが続く。

チョンはこの放送の前に姉のキョンファのヴァイオリン、ミョンファのチェロでブラームスの二重協奏曲を振っており、その録音は姉弟の熱い盛り上がりが印象的な共演となっていた。

この時、ロサンゼルス・フィルの音楽監督はカルロ・マリア・ジュリーニ。 シカゴ響との関係が壊れ始めて着いたポストで、新天地で張り切っており、ハリウッド・ボールの開幕コンサートも振っていた。 その折の英国と米国国歌の演奏がとても印象的に残っている。

ジュリーニは社交性はなさそうだが、アルゲリッチを自宅に招き、奥さんのイタリアンでもてなしたはずである。 また、チョン・ミョンフンは当時同オケのアソーシエイト・コンダクター。 彼は料理が得意で、料理本を出版しているほどである。 彼もアルゲリッチを自宅に招待し、韓国料理をふるまったかもしれない。 「ふるまったかも」と書いたのは、下記の理由による。

ここから下世話な話となるのだが、私はアルゲリッチのバイオグラフィーを読んで驚いた。 アルゲリッチは日本公演の折、亭主デュトワと派手な夫婦喧嘩をやらかし、有名なキャンセル事件を起した。 それは日本公演の前から始まっていた。 日本公演の前のカナダでデュトワはアルゲリッチに問い詰められ、「女が出来た」と白状させられる。 それは尾を引き、東京でその相手がミュンフンの姉キョンファだったことが判明する。 チョンのファミリーは「あの一番おとなしいキョンファがねえ」と驚いたそうである。

ミョンフンはマルタを招んだのであろうか。また、そうならマルタはそれをアクセプトしただろうか。 この複雑な人間模様。

音楽に戻って、もう一つ。 ジュリーニはロサンゼルス・フィルを振ってツィマーマンとショパンのピアノ協奏曲二つをセッション録音している。 つまりレパートリーに入っているのに、どうしてアルゲリッチとのコラボをチョンに任せたのか。

さすれば、今度はアルゲリッチとジュリーニの関係まで思いを馳せる。 アルゲリッチの奔放ともとれる閃きに満ちたピアノと基本スローでイン・テンポのジュリーニの指揮の相性? とますます想像を逞しくするのである。

今回、我ながら思いがけないショパンの協奏曲の選択となったが、私にとってこの作品は世評高いツィマーマンのポーランド祝祭管との弾き振りの新盤まで手に入れようとは思わない、この2盤で十分という、そういう存在である。

今回、nobuさんの向こうを張って私家版を取り上げたが、元がラジカセ録音なのが悲しい。