テレマン:「ターフェルムジーク」
あと千回のクラシック音盤リスニング(8)
〜「ターフェルムジーク」at アイネ・クライネ・ムジークフェライン・ザール〜
テレマン:「ターフェルムジーク」
アウグスト=アウグスト・ヴェンツィンガー指揮 バーゼル・スコラ・カントールム
Archiv :MA 5028/9
オーディオやレコードが存在しない時代、音楽は生で聴くしかなかった。
したがって、かっての王侯貴族のように楽士を集めて演奏させるしか手はなかったのである。
歴史上、その最も贅沢な例はプルーストではないだろうか。 かのカペー四重奏団を夜中に呼びつけて、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番を演奏させたのである。
今、私はつくば市内のアパートを生活の拠点としている。 単身生活も木更津に始まって、もう20年近くになった。 単身生活と云っても毎週末自宅に戻れる場所なので、老年性週末婚ともいえる。
それはともかく、このつくばのアパートの前は研究団地の宿泊施設に寝泊まりしていた。 個室でバス・トイレ付きはよいとしても壁が超薄く、隣室の住人のいびきが聞こえるほど。 それでも、モニター・オーディオRadius 45を置いて、隣室の住人の不在を確認して鳴らしていた、まさに蚊の鳴くような音で。 酔興もよいところである。
現在のアパートに移ってからは防音度も結構高く、かなりの音量で鳴らせるようになった。 前の反動で、結構なボリュームでオーディオを楽しんでいる。
リビングはシューボックス型の15帖、そこにメイン・システムを中心に3システムを構築した。 そこで、この部屋を「Eine Kleine Musikferein Saar」と名付けている。
その2番目のシステムが「ターフェルムジーク」用のセットなのである。 つまり、食卓を挟んで対峙する位置にオーディオ・システムをセットし、食べながら聴こうという魂胆である。 これは食事をする位置でメイン・システムを聴こうとすると、メイン・システムと90度ずれているので、どうも音楽と対峙できないためである。 もう一つ理由がある。 私はかって使った愛機、もしくは準愛機を捨てることができないという性癖がある。 再び登場の機会を与える。 それらの有効利用とも言える。
さて、この2ndシステムの構成は下記の通りである。
◎スピーカー:リン5110 & ウィーン・アコースティックS1
◎CDプレーヤー:ミュージカル・フィデリティCD3・2
◎ネットワーク・プレーヤー:パイオニアNS50
◎プリメイン・アンプ:ラックス SQ-N100(真空管式)
現在、我が生活における最大の楽しみは仕事を終えて帰宅し、さっさと簡単な料理を作り、その日の酒を選んで呑みながら、このシステムで音楽を聴くことである。 至福の時である。
メイン・システムでは気合を入れて、CDを選んで聴くが、ここでは全く気ままにソフトを選んで聴く。 「聴く」というより「聞く」かもしれない。 そこがまたよい。
ソフトもUSBメモリーに聞きたいと思うソフトをどんどん入れて、それを何本も用意し、それを中心に聴く。 このシステムではCDを聴いても、一番大事にする弦の音もまあまあ聞けるレベルにある。
スピーカーは最初ウイーン・アコースティックS1を並べていたが、EL84(6BQ5)というミニチュア管のプッシュプル・アンプでは駆動力不足、クレンペラー指揮の「スコットランド」について書いている折、コンデンサー・スピーカーのイメージでLINNを試してみたら脂っ気がなくコンデンサー型に近づいたような音で、爾来この組み合わせで聴いている。 因みにウイーン・アコースティックスは現在LINNの台座として機能している。
それで、最近LPレコードや滞米生活で録りためたカセット・テープなどの音源のデジタル化を進めているが、高音質で保存したい場合はハイレゾ(と言っても24ビット、96Hrz)、まあまあの音質を求める場合、つまりターフェルムジーク用にはMP3(320BP)のフォーマットで録音している。 私にはこれで充分である。
1本のUSBメモリーがオムニバス化して、実に雑多なメニューである。 これをランダムに聞く、あるいはリモコンでどんどん飛ばして、瞬時聴きたいと思った曲を選ぶ。 これがたまらない。
ターフェルムジークを目的として流す時にはモーツアルトのディヴェルティメントやセレナードなんてぴったしである、少しボリュームを控え目にして。
ある酒の席で音楽のプロの方と同席する機会があった。 酔った勢いでこの種の音楽についてご託を並べていると、「カッサシオンとかあの辺の音楽ですか」と明らかに上から目線である。 しかし、K100 にしろ、K185 にしろ、アマデウスの音楽的才能満開である。 それから、ハイドンの弦楽四重奏曲もよい。 最近、米国で録音したラサール弦楽四重奏団によるOp.33の5にはまっている。 あの難解な作品しか録音しないラサールも普段はこんな簡素でロマンティックな作品とかスメタナの「我が祖国」など国民楽派の作品までレパートリーにしていたのである。 ハイドンの第二楽章のアンダンテなんて、これがラサールか、みたいな歌いまわしである。
それはそれとして、最近このオケージョンにふさわしい、いやそのものの作品が現れた。 つまり、先日、かって買いまくっていた中古レコードの未整理のLPレコードを詰め込んだ箱を漁っていると、テレマン作曲「ターフェルムジーク(食卓の音楽)」が見つかったのだ。
テレマンというと偏見で興味の対象外、私の記憶では我がライブラリーにはフルート、オーボエとヴァイオリン、それぞれの「12の幻想曲」、それにいくつかの宗教曲くらいしか記憶にない。 しかし、「ターフェルムジーク」は気になる存在ではあった。 名曲という評もあったが、たかがBGM音楽ではないのかという疑念もあったのである。
さて、その2枚組のLPレコードの演奏はアウグスト・ヴェンツィンガー指揮、バーゼル・スコラ・カントールム合奏団演奏で、Archiev MA 5028/9という番号のLPレコードである。
ヴェンツインガー、なつかしい名前である。後続の名盤はブリュツヘン盤、アーノンクール盤、ムジカ=アンティカ=ケルン盤と古楽系なので、ノン=ヴィブラート奏法が徹底する前の時代というのが、私にとって特別な存在なのである。
解説書にはバーゼル・スコラ・カントールム合奏団のメンバーが記載されているが、えっと驚くような奏者である。 ハンス=マルティン・リンデ(FT)、ミシェル・ピゲ(OB)、トマス・ブランディスやエドゥアルト・メルクス(Vn)などなど。
テレマンのターフェルムジークは第3集まであるが、件のLPは第1集となる。
第1集の構成は-I :組曲 ホ短調、II :四重奏曲 ト長調、Ⅲ:協奏曲 イ長調、IV :三重奏曲 変ホ長調、-V :独奏曲ロ短調、VI:終曲 ホ短調で、独奏曲あり、組曲ありで多様である。 この音楽の内容の多様性となじみやすさの共存が見事である。 このような多様性に加えて、エンターテイン性が高い作品にもかかわらず短調で書かれた作品が半数を占めるのが素晴らしい。
さて、最初は純粋な音楽として聴いていた。 ややお堅いが優雅さもあり、なかなかの音楽だと確信した。 オーディオ的にはこのLPレコードの音はやや硬いのと、帯域が狭いな、というのがその印象であった。 しかし、聴いているとそんなことはどうでもよく、その演奏にうっとりしてしまう。 自宅でDL-103を使ってデジタル化したが、これはSTS-455Eを選ぶべきだったかな、いやその中間的なオルトフォンのMC-30Sか、などと考える。 ともあれ、聞く人と音楽のスタンスが絶妙なのである。 つまり、音楽が魅力的過ぎるとそれに気を取られる、逆に魅力がなければ無い方がよい。
バッハであれば、ちと畏まって聴かねばならんな、と思うに違いない。 べートーヴェンであれば「オレの音楽を聴かんか」的になってしまうだろう。 こんなジャンルの音楽には手を初めなかったに違いない。 一方、モーツアルトならリクエストがあれば嬉々として書いたに違いないし、最高のターフェル・ムジークが生まれていたはずである。
テレマンに戻って、なかなか素晴らしい。 全体を通じての優雅さ、活き活きとしたリズム、さらに陶酔的な旋律の歌もあり、哀しみの表現も短調が多いので十分である。
このようなバランス感覚こそがテレマンの音楽の素晴らしい特質の一つであろう。
しかし、ターフェルムジークとして聴くと、宮廷料理にふさわしいかもしれないが、私の夕餉の定番コース、まず好物の鳥皮を茹でて刻んだものにネギを添えた一皿なんていう居酒屋的オードブルを食するには格が高すぎてなじまない。 自作のカルパッチョでも役不足である。 最低、牛久シャトーでフレンチのディナーにワイン、そういうオケージョンが必要であろう。 そういう席ではなかなかの傑作として響くのではなかろうか。 それで、ターフェルムジークとしてではなく、単なるバロック音楽として聴くことにした。
今回のヴェンツインガー盤はテレマンという作曲家の見直しの機会を与えてくれたという意味でも感謝、感謝である。 肖像画を見ると老獪な作曲家の趣があり、バッハのような貫禄や人間的な大きさに欠ける。 しかも、予約出版を始め、ビジネス的にもなかなかのやりてだったようで、ヘンデルが予約出版のリストに含まれていたらしい。さらに長寿、多作とバッハを凌ぐ作曲家でもあったようだ。
また、改めてCD棚を探っていると、テレマンの協奏曲や受難曲・オラトリオという2枚組のCDが見つかった。 そう言えば、後者の試聴の際、バッハのマタイの有名なコラールが現れて、あれっと思ったことがあった。 ということはマタイの有名なコラールはテレマンの作品のパクリ?
それはともかく、テレマンがもし大阪に生まれていたらのお話し。 「あんさんは忘れられた大作曲家、バッハ以上に凄いと言う人もいてはりますよ」、それに対し、「そんなに褒められると、テレマンがな」と謙遜し、「今度のターフェル・ムジーク、なかなかええ作品でんなあ」に対し、「おーきに!」なんていう答えが返ってきたりして。