ヴィルトゥオジティー・ピアニスト“セシル・ウーセ” の魅力
フランスの名女流ピアニスト「セシル・ウーセ(Cécile Ousset)」の魅力は彼女の「ヴィルトゥオジティー」、つまり洗練された技巧とその明晰な演奏にあると思う。 その典型的な録音が「仏ディスク大賞」も受賞したクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とのブラームス「ピアノ協奏曲第2番」だった(写真1 ブラームス「ピアノ協奏曲第2番」ウーセ、マズア&ゲヴァントハウス管CDジャケット、BERLIN Classics-0021612BC、1974年12月ライプツィヒ録音・ジャケットのサインはクルト・マズア)。 さらにその後筆者が彼女の華麗なピアノ・テクニックにハマってしまった演奏がプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」とプーランク「ピアノ協奏曲」のレコードだった。 このレコード録音はルドルフ・バルシャイがイギリスの「ボーンマス交響楽団」の首席指揮者就任直後の1983年に行われている(写真2 ウーセ、バルシャイ指揮ボーンマス響/プロコフィエフ「ピアノ協奏曲第3番」/ プーランク「ピアノ協奏曲」LPジャケット、英EMI ASD-1077851 デジタル録音)。 この当時、プーランク「ピアノ協奏曲」録音は唯一のプーランク直弟子として知られるガブリエル・タッキーノ(Gabriel Tacchino)盤ぐらいしかなく貴重な録音だった。
また彼女の来日公演では1986年6月「読売日本交響楽団第230回定期公演」でのラヴェルの「ピアノ協奏曲」が印象に残る。 指揮はメキシコ出身のエドゥアルド・マータ、当時アメリカの「ダラス交響楽団」の首席客演指揮者としても活躍しマーラーの交響曲などを得意とし活躍が期待されたが1995年1 月、メキシコでの航空機事故で急逝した。 ウーセとマータのコンビによる「読売日響」との共演は1976年・1980年ついで3回目となり二人の息のあった演奏を聴くことができた(写真3 「第230回読売日本交響楽団定期公演プログラム表紙」(1986年6月5日・東京文化会館)/ 写真4 当日の演奏曲目/ 写真5 「エドゥアルド・マータ」と「セシル・ウーセ」(定期公演プログラムから)。