カラヤン、指揮者デビューの街「ウルム」を訪ねて
カラヤン、指揮者デビューの街「ウルム」を訪ねて - 2002年9月14日、ウルムにて-
2002年9月14日、フランクフルト(マイン)中央駅から朝7時49分発の「インターシティ(IC)」に乗車(写真1 ICチケット)カラヤンが指揮者デビューした街「ウルム(Ulm)」に向かった。乗車した「IC」にはドイツの著名な経済学者「フリードリッヒ・リスト(Friedrich List)」の列車名が付けられていた(写真2 IC Friedrich List・車内設備・運行時刻表リーフレット表紙) 。ウルムまでおよそ280km列車は途中マンハイムとシュトゥットガルトの二駅に停車し所要時間は約2時間20分である。車内の各座席にはオーディオ設備があり好みの音楽を選んで楽しめる。因みにこの9月のチャンネル1のクラシック音楽プログラムはクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団のCD、R. シューマン/交響曲第2番・第3番などがかかっていた(写真3 IC オーディオ・プログラム/2002年9月)。そうこうしているうちに列車は定刻通り午前10時過ぎに「ウルム中央駅」に到着した。私は先ず書店でウルムの鳥瞰マップを購入した。(写真4)見知らぬ街を歩いて散策する時はやはり「鳥瞰図」の方が立体的でわかりやすい。「ウルム」は「ドナウ河」沿いの商工業都市で街のシンボルでもあるゴシック建築の「ミュンスター(Münster)」と呼ばれる「大聖堂」の尖塔は世界一の高さ(162m)誇ることで知られている(写真5 大聖堂尖塔/写真6 大聖堂内礼拝堂)。
さてカラヤンの話に戻るが、1929年1月まだ当時20歳のカラヤンは「ウルム市立劇場」の人材探しをしていた劇場支配人エルヴィン・デイートリッヒから試しにオペラの指揮をしてみないかとの誘いを受けた。しかしそこはカラヤンらしく「一つ返事」はせず「条件として何か新プロジェクトのオペラを振らせてほしい」と返答したそうである。そこでこの年の3月2日に上演予定のモーツアルト歌劇「フィガロの結婚」の指揮を任されたというエピソードがある。このデビュー公演がめでたく成功しカラヤンは「ウルム市立劇場」と契約、1934年3月までオペラ専属指揮者として活躍することになる。余談ながらウルムでの最後に指揮したオペラも偶然にも「フィガロの結婚」だったという因縁もまた興味深い。私は何か劇場付近に彼の「なごり」がないか地図で探してみた。これがずばり的中。「ウルム市立劇場」(写真7)の前に「Herbert von Karajan Platz(ヘルベルト・フォン・カラヤン広場)」を見つけた(写真8 地図/写真9 Karajan Platzの標識)。幸いにして駅近なので助かった。「たわいない話」だが私にとっては目的達成の旅が終わった。
(掲載写真は全て筆者撮影)