クラウディオ・アラウの想い出、1968
クラウディオ・アラウの想い出、1968
私が南米チリが生んだ20世紀のピアノの巨匠、クラウディオ・アラウ(Claudio Arrau/1903-1991)(写真1)の演奏を初めて生で接したのは1968年10月7日のことだった。会場は2010年3月に閉館した「東京厚生年金会館」(新宿)であった。ちなみに彼の初来日は1965年4月のことでこの時はNHK交響楽団とも共演し確か当時の常任指揮者アレクサンダー・ルンプフの指揮でブラームスの二つの協奏曲も披露している。
さてこの1968年の公演では(Aプロ/ベートーヴェン・シューマン・ドビュッシー・リスト)と(Bプロ/ベートーヴェン・プログラム)の二つのプログラムが用意されていたが私は初日の「Aプロ」を選択した。その理由としてアラウは元来「ベートーヴェン弾き」のイメージが強く私もこの当時1960年代前半にハイティンク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲のレコードによく針を降ろしていたがいつの日か彼が弾くドビュッシーやリストを聴いてみたいと思っていたからである(写真2 Aプロ演奏曲目)。当日のコンサートはベートーヴェンの「ワルトシュタイン・ソナタ」から始まった。彼が力強いタッチで弾くベートーヴェンにはもちろん圧倒されたが休憩後のドビュッシーの「版画」では繊細で巧みなピアノタッチがこのフランス印象主義音楽を見事に表現していた。特に第3曲の「雨の庭」では美しく回想的雰囲気が今も強く印象に残る。またプログラムの最後を飾ったリストの小品3曲では特に「エステ荘の噴水」がドビュッシーの印象主義にも相通ずるところもあり興味深かった。当時、彼のコンサートは「世界各地の会場を満員の聴衆で埋め尽くす」というエピソードがこのリサイタルを聴き納得できた(写真3 1967年「エジンバラ・フェスティバル」でのアラウ(公演プログラムから)/写真4 1968年来日公演プログラム表紙/写真5 コンサート・チケット)。