ストラスブール・フィル - つくば科学万博 `85 -

ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団  - 1985年5/31・エキスポ・プラザにて –

ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団が本拠を置く風光明媚なストラスブールはフランス北東部アルザス地方の中心都市である(写真1)。街を流れる「ライン河」の対岸はドイツのケール、現在はパスポートチェックも必要なく自由に行き来が可能である。このオーケストラの初来日はもう40年余りに遡る1976年5月のこと、時の音楽監督アラン・ロンバール(Alain Lombard)と共に「第19回大阪国際フェスティバル」に参加している(写真2 ストラスブール・フィル初来日東京公演チラシ)。楽団の歴史を辿ると古く1855年に「ストラスブール市立歌劇場」専属のオーケストラとして活動、通常のオーケストラ・コンサート活動は「ストラスブール市立管弦楽団」の名称を用いていたようである。この時代の指揮者にはハンス・プフィッツナーやオットー・クレンペラーなど懐かしい著名指揮者が並ぶ。現在の名称に改称されたのは先の「アラン・ロンバール」音楽監督時代の1972年からとのことである。1985年この来日公演では1983年より音楽監督に就任したウィーン出身の名指揮者テオドール・グシュルバウアーが同行、またソリストとしてヴァイオリンのピエール・アモワイヤル、ピアノにフランソワ=ルネ・デュシャーブル、当時ヨーロッパで活躍中のピアニスト日本の金田真理子も参加している。
さて公演日当日1985年5月31日午前には「フランス・ナショナルデー」の式典が「エキスポ・プラザ(EXPO  PLAZA)」で開催されていた。「ストラスブール・フィル演奏会」は同日の午後5時30分開演で設定された。偶然にもこのコンサートがフランスの式典日に重なったことは良かったが心配ごとは観客の入りだった。まだこの時期、「科学万博」入場者の数が軌道に乗っておらず夕刻になると当然のことながら会場内に残る人の数も徐々に減る傾向にあった。そこで我々スタッフも開演の1時間あまり前から「協会催事部作成」のチラシ配りも試みた(写真3 催事部作成チラシ)。会場の座席に関して、アリーナ席は設けず固定席3,000席のみを使用したが総入場者数は1,000人足らずという外来オーケストラ・コンサートとしてはもの寂しい結果だった。しかし熱心なクラシック・ファンが集まったおかげで熱気が感じられたのはとても良かったと思う(写真4 コンサート風景・協会催事部撮影/写真5 指揮するグシュルヴァウアー・協会催事部撮影)。尚、演奏曲目は「科学万博」公演用特別プログラムが構成され、当初はチラシの通り演奏順にラヴェル「スペイン狂詩曲」/ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」序曲そして同「幻想交響曲」の予定だったがやはり最終的に指揮者の意向で「ローマの謝肉祭」序曲を頭に演奏することでまとまったようだ。またこのコンサートでは休憩時間は設けず「スペイン狂詩曲」演奏後オーケストラのチューニングを経て「幻想交響曲」が続けて演奏された(写真6 指揮者テオドール・グシュルバウアーに入れてもらったサイン)。写真7はグシュルバウアー氏とのスナップショット。

写真1 Strasbourg Alsace

写真2  1976年のストラスブールフィル初来日東京公演チラシ

写真3 「つくば科学万博 `85」ストラスブール・フィル公演チラシ

写真4 ストラスブール・フィル公演 - 科学万博EXPO PLAZA `85 -

写真5 ストラスブール・フィルを指揮するテオドール・グシュルヴァウアー(EXPO PLAZA `85)

写真6 指揮のテオドール・グシュルバウアー氏に入れてもらったサイン

写真7 テオドール・グシュルバウアー氏とのスナップショット、左のピンク電話も今となっては懐かしい