永遠の名盤、ケルテスのドヴォルザーク交響曲第9番「新世界より」

あと千回のクラシック音盤リスニング(1)

クラシック音楽に対する思い入れが昨年「クラシック33名盤へのオマージュ」として刊行に至った(https://www.amazon.co.jp/クラシック33名盤へのオマージュ-加来久敏/dp/4866415592)。
その流れで何か書いてほしいと事務局のfumiさんからの依頼があり、連載として継続できるかどうか甚だ心元ないが前向きに捉えることにした。

タイトルは「あと千回のクラシック音盤リスニング」とした。 これは勿論「あと千回の晩飯」(山田風太郎)のパロディである。 パロディではあるのだが、「33盤」で書き足りなかったことをランダムに、しかし真摯に書いてみたいという気持ちが根底にある。 音楽の素晴らしさを少しでも多くの方々と共有したいのである。

まだ単身赴任で仕事を継続しているので、夕刻晩酌しながら少なくとも2時間はCDを中心として音楽を聴く。
時に深夜に至る。 至福の時である。

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イシュトヴァン・ケルテス指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団(DECCA  417- 678‐2)

さて、集めようとしたコレクションではないが、結果として相当数のCDやLPレコードやエアー・チェックしたソフトがたまってしまった。

それらの中で、「永遠の名盤」とも言うべき、演奏も録音も素晴らしいディスクがいくつか存在する。

ここに挙げたケルテス指揮の「新世界より」はその典型のような1枚である。

まず演奏が素晴らしい。 この録音時、ケルテスは何と31歳。 その若武者が世界で最も「すれっからし」のオケを強烈にドライブした演奏、ただただ頭が下がる。 これは指揮の技はもちろんであるが、ケルテスの人間性の賜物であろう。 また、ハンガリー動乱の際、西側に亡命してきたケルテスをサポートしたいという楽員の心意気も底にあったかもしれない。

冒頭のふわっと浮いてくるようなピアニッシモの出だし、センシティブな木管とホルン、荒くはないのに迫力あるトゥッティ、特に序奏の終結部の痛切なヴァイオリンの響きとティンパニの打ち込み! かように導入部で「勝負あり」の感を呈する。

そして、休符の後、雄渾なホルンとトランペットによる第一主題が朗々とこだまする。 ハンガリーの指揮者らしくよく弾むリズム、若きケルテスの「血沸き肉躍る」情熱的な指揮がウイーン・フィルをして第一楽章のコーダに向けて素晴らしいクレッシェンドに次ぐクレッシェンドの力を与えている。 コーダのトランペットがこんなに力強くも美しく鳴ったのは例を私は知らない。 そして柔らかさと力強さが共存する素晴らしいサウンドが全編に鳴り響くのである。

第二楽章も、この通俗化した第一主題の旋律がこんなに芸術的に響いた例はないであろう。 この楽章の後半、柔らかい低弦のピツィカートに乗って歌われるヴァイオリンの旋律は心を震わせる。 第三楽章のリズムのキレ味、しかもドライにならないのはウイーン・フィルの美感が隅々まで溢れているため。

そして、力強くも美しいフィナーレ。 ウインナー・ホルンが効いている。

この雄渾なホルンとトランペットによる第一主題は素晴らしい。 この楽章も聴く度に興奮させられる。 しかし、最後の和音は総奏なのだが、その後、管楽器だけでディミュニエンドしながらピアニッシモで消え入るようにこの楽章は閉じられる。

ピニッシモによる終結といえばブラームスの第三交響曲(四楽章とも)が有名で、ドヴォルザークはチャイコフスキーとは異なりブラームスを大変尊敬していたので、関連性があるのかと調べてみた。 ブラームスの第三は1883年に作曲されており、ドヴォルザークの「新世界より」はその10年後に作曲されてはいるのだが、作曲者はフィナーレのコーダは「新大陸で赤い夕陽が沈む」をイメージして書いたらしい。 なるほど。

さらに録音が素晴らしい。 当時のDECCAによる最高の音質、本当に素晴らしい。 これには録音場所がウイーンのソフィエンザールであったことも、この優秀録音に大いに貢献しているに違いない。 私が最初に買ったのはキングのプレスによるSLC1663であったが、音は素晴らしかった。 その後、英国プレス盤のLPを買い足したが、現在は1990年頃、秋葉原で購入したドイツ・プレスのCDを愛聴している。

振り返ってみるに、このレコードとの最初の出会いにも思いを馳せる。 北九州の田舎の飯塚市のレコード屋でバーンスタイン&ニューヨーク・フィルハーモニックとの比較で試聴させてもらったが、冒頭の第一主題が出るところで軍配は上がった。 持ち帰って、自宅のナショナル「宴」のターン・テーブルに載せて何回も何回も聴いた。 その後もことあるごとに聴いてきた。 にも拘わらず未だ以って聴きたくなる名盤である。

ただし、フィナーレの第一主題前に不自然なリミッターがかかったような部分があるため、100点満点で98点か。

指揮者ケルテスは夭逝というより早世の43歳でテルアヴィヴの近郊ヘルツリーヤの海岸で遊泳中に高波にのまれてしまった。 私は贔屓にしていたクリュイタンスが早世し、ケルテスもかと嘆いたものである。

1974年のヨーロッパ音楽無宿の折はケルン国立歌劇場で彼の大きな遺影がアーべント・カッセ(当日券売場)に飾ってあるのを見て、拝みたい衝動にかられた。 また、1989年、ブダペストからウイーンに国際列車で移動した際、向かいの席には40台後半の男性と小学生くらいの娘が座っていた。 退屈なので、途中で会話を試みた。 すると、彼は指揮者でケルテスとも親しかったというではないか。 彼はケルテスから、クリーブランド管弦楽団の首席指揮者に就けなかった恨みを何度も聞かされたそうである。

ケルテスは1966年から1968年までロンドン交響楽団の指揮者を務めた。 1964年 より亡くなるまでケルン国立歌劇場の指揮者を努め、高い評価を受けていた。 また、米国での評価も高く、セル亡き後、1970年の8月、クリーブランド管の団員による投票では96対2で圧倒的な支持を得た。 楽団はケルテスの次期音楽監督就任を理事会に要請した。 しかし、理事会はマゼールを次期監督に起用した。

このように、その才能にも拘わらず運に見放されてケルテスではあったが、バンベルク交響楽団の首席指揮者に決定し、ようやく「マイ・オーケストラ」を得ることになった矢先に早世してしまった。 彼と同年生まれの指揮者のリストを見ると、アーノンクール、ハイティンク、プレヴィン、ベルングルンド、カール・リヒター、レーグナー。 皆鬼籍に入ってはいるものの、1927年生まれのブロムシュテットがまだ振っていることを考えると、あの事故さへ無ければまだ現役だった可能性もなくはない。 生きていれば94歳、どんな指揮者になっていただろうと思う人は少なからずいるに違いない。 私もその中の一人である。

 

録音時期:1961年3月22-24日
録音場所:ウィーン、ゾフィエンザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)

ケルテス指揮ウイーン・フィル「新世界より」のジャケット。 本ドイツ・プレスのCDは音はよいが、ジャケットはいかにも入門編といった感じで、格調に欠ける。 本CDには同じ指揮者によるスメタナ「モルダウ」(イスラエル・フィル)が収められている。

ケルテス指揮の「新世界より」:NMLリンク先