ブラームスの交響曲第4番が終わった後、熱心な聴衆のアンコールの拍手が鳴りやまなかったので、チェリビダッケも何かアンコールをしなくてはと思ったのでしょう。 恐らく読響はプログラムに載った曲目を演奏するので手いっぱいでアンコールの曲など準備できなかったのだと推測します。 舞台に呼び出されたチェリビダッケはコンサートマスターに指を三本出し、コンサートマスターが頷いたので楽員全員に大きく三本指を立てた手を振りかざしました。
チェリビダッケが指揮棒を振り下ろすと今しがた演奏したばかりの第3楽章が、鳴り渡りました。 鋭く、でも、優雅に、アレグロ・ジョコーソでまるで舞踏を披露するように、チェリビダッケは指揮を始めました。 その指揮台上の姿は本番の演奏では見られなかったほどより舞踏的でした。 読響も多少は肩の力が抜けた様で本番時の生真面目さとは違った柔軟な音を響かせました。 大げさかもしれませんが、至福の時間でした。 あれほど舞踏的な優雅さにあふれたチェリビダッケをこの後、幸運な事に何度もチェリビダッケの指揮姿に接しましたが、見ることは出来ませんでした。 大変残念です。 指揮姿と流れ出る音楽に何の関連があるのかと疑問に思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、特別すごい名演奏だったからという訳ではありませんと言いましたが、筆者にとっては、素晴らしい体験であり名演奏でした。 20歳になったかならずかの若者にとってこの体験はカール・ベーム指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団を聴いたのと同等に、それ以上にそれからの若者の行く末を決めてしまったのです。

最晩年に至るまでチェリビダッケは日本と日本の聴衆とのかかわりを持ってくれました。
深淵をのぞき込む様な重厚長大なブルックナーの演奏をひっさげてミュンヘンフィルと来日するようになった時には、既にまるで神の様な扱いでありました。 体力的に無理が出来なくなり椅子に座って指揮をするようになりましたが、その姿さえも神々しさの表れに思われたのです。

それでも、敢えて言わせて頂きたいと思うのです。 1970年代のあの鋭くも優雅に指揮台の上で舞い踊ったチェリビダッとその音楽、あの時代こそチェリビダッケがもっとも輝いていた時代だったのだと。
指揮者は年取って晩年に老成した時こそが偉大だと大方の音楽ファンが刷り込まれている事に抗うつもりはありませんが、晩年の老成と、旬な時はまた別のものだと思うのです。

チェリビダッケの指揮姿を初めて見てしまったことで人生のいくばくかが変わってしまった愚か者の拙い思い出話しでございました。

(チェリビダッケ 完)