何よりも第三楽章導入の最初の弱音の見事さは深く心に残りました(*第一ヴァイオリンを除く弦楽4部がPPでFの音で始まる部分)。 音楽はテクニックではない、心だと言ってはみても精錬され鍛え上げられた技術が無ければ表現したい事を表現することも出来ないのだと理解させられるものでした。 過度な練習を要求するチェリビダッケは要するにこうしたことをオーケストラに要求し、これが真髄なのだと言わさしめたのが良く分かります。

これほどの演奏が出来る指揮者がなぜわざわざ毒舌も鋭く他の指揮者やその音楽の在り方を批判するのかが良く分かりませんでした。 そんなことを口にしなくても、最高の指揮者の一人と誰もが認めるのではないかと思うからです。 カラヤンへの悪口や批判はなるほどベルリンフィルハーモニーをめぐる一連のごたごたを考えれば気持ちは分かるので仕方がないと思いますが、何もそこまで言わなくてもと悲しい気持ちになったのを覚えています。 自身の演奏芸術に投げかけられる無理解への反発も大いにあったと思いますが、自らの品位を貶めてしまいますので、個人的には他者に対する批判や攻撃はやめて欲しいと思ったものです。

鳴り物入りでチェリビダッケは来日しました。速報や噂話が乱れ飛び、それはそれで大変面白く夢中になったものです。 友人・知人・読響関係者・報道関係者などから漏れ聞こえて来る話は否が応でも演奏会への期待を張らませました。 今思うとオーケストラの楽員にとっては針の筵に座らされた気分だったかもしれないと同情します。 気難しい指揮者だと聞かされれば、練習で気に入らなければ「キャンセルして帰る!」などと言われそうだったので気が気ではなかったのでしょう。 よくぞ頑張ってくださったと改めて感謝します。

演奏は驚きに満ちたものでした。 驚きと言っても何か奇抜だとか、空恐ろしい何かが起こったとか言うものは何もありませんでしたが、こんな音がこの曲には入っていたのか! こんな音色は聞いたことがない! こんな精緻な演奏は始めてだ! と言う具合に漫然と聞いていた曲が持つ深い音の世界を恐らく初めて耳にしたと言っていいかもしれません。 音の世界と言いましたが、音そのものではなく音楽として十二分に素晴らしい演奏が聞けて満足でした。 オーケストラが自発性を全くと言いて良いほど発揮出来なかったので(それを責めるのは酷と言うものでしょう)、物足りなさや不満がないわけではありませんでしたし、フォルテッシモの力感に多少不足を感じましたが、「神は細部にやどる」の言葉が思い起こされました。
神は細部にやどりフォルテッシモの力感に不足が感じられたと述べましたが、ブラームスの交響曲第4番はそんな印象を吹き飛ばしてしまいました。 放送されたシュトゥットガルト放送交響楽団の同曲に大変感銘を受けていたので、同曲が聞けたことはまたとない経験になりました。 もっとも忘れならないのは第3楽章です。 第3楽章が突出して特別すごい名演奏だったからと言う訳ではありません。
(つづく)