1991年8月クーデター直後のロシアを訪ねて(後編)
1991年8月クーデター直後のロシアを訪ねて(後編)
「漫遊記57」の後編をまとめてみたい。「ゴールデン・リング」ルートの中間点「コストロマ」に連泊中の9月25日、ここからおよそ70km東に位置する工業都市「ヤロスラヴリ」に向かう(写真1 地図)。道中、休憩で立ち寄った小さな街ではボンネットバスとまた出会いレトロな気分を味わった(写真2)。ヤロスラブリも歴史は古く街の起源は11世紀まで遡る。市内には歴史を誇る「ロシア正教会」の聖堂が数多く点在するがなかでも2005年に世界遺産登録された「ヤロスラヴリ歴史地区」にある17世紀に建造された「預言者イリヤ聖堂」は代表的な一つであろう(写真3)。また聖堂内の「フレスコ画」も大きなインパクトを与える。そして「ボルガ川」と「コトロスリ川」が合流する河港都市でもあるこの街はこの当時(1991年)から開発が徐々に進められていた(写真4)。次の訪問都市はここヤロスラブリから約60km弱南に位置する古都「ロストフ」、正確には「ロストフ・ヴェリキ-(Rostov-Veliky)」である。約50万年前からあったと云われる「ネロ湖」のそばに栄えた古都である(写真5 ネロ湖)。見どころは「ロストフ・クレムリン大聖堂(ウスペンスキー大聖堂、写真6)」と「鐘楼、写真7」であろう。私が訪れた1991年はまだ修復中であったがこれらの建築群は17世紀の歴史的建造物でこの街のシンボルになっている。さらに特別に「ネロ湖」の周遊もモーターボートで体験したが9月下旬ともなると晩秋の気配を感じ大分肌寒く感じた。「ゴールデン・リング」、最後に訪れた街は「セルギエフ・ポサード」、旧ソ連邦時代は「ザゴルスク」と呼ばれていた。起点の首都「モスクワ」まで90kmの地点まで戻ってきた。この街は手元の資料によれば14世紀にセルギー・ラドネシスキーという聖人が創建した「聖セルギイ大修道院」周辺にできた「門前町(ポサード)」が起源となったとされる。当然見どころは「至聖三者聖セルギイ大修道院」ということになる。ちなみに「至聖三者」とは「キリスト教」の「三位一体」に当たるそうである。とにかく名称通りスケールが大きな修道院で脇に立つ「青」と「白」のツートンカラーの高さ88mのバロック式鐘楼にもビックリさせられた(写真8)。駆け足で巡った「ゴールデン・リング」の旅であったが体制崩壊直後のロシアと「ロシア正教会」の歴史と遺産を学ぶことがでた良き思い出の旅となった。