巨匠アンタル・ドラティ来日公演の記憶
巨匠アンアル・ドラティ(Antal Doráti /1906-1988)(写真1)の偉業は何といっても嘗てドイツに存在したオーケストラ「フィルハーモニア・フンガリカ(Philharmonia Hungarica)」と成し遂げた史上初の「ハイドン交響曲全集録音」(1969-72)であろう。 今回は彼の来日公演の記憶を辿ってみたい。
初来日は1963年4月のこと、「大阪国際フェスティバル」における「ロンドン交響楽団」公演でピエール・モントゥー、ゲオルグ・ショルティと共に来日した(モントゥーは「大阪国際フェスティバル」のみの出演となった)。 一行の東京公演はフェスティバル公演後に開催されドラティは4/23・28・30の公演を振り、24・29の公演はショルティが振っている(写真2 1963年4月「ロンドン交響楽団」初来日公演プログラム表紙(「大阪国際フェスティバル」を除く東京ほか地方公演プログラム)/写真3 同・東京公演チラシ)。 東京公演第一夜は 両国国歌が演奏され第一曲ヘンデルの組曲「水の上の音楽」演奏される。 もう半世紀以上前のことなので記憶は曖昧だが会場は聴衆の興奮に包まれたことだけは忘れられない。
それからおよそ20年の歳月を経て1982年3月、ドラティは「読売日本交響楽団」客演のため再度の来日を果たし「第183回定期(3月13日・東京文化会館)」と「名曲シリーズ(第188回-3月18日・東京厚生年金会館)」の指揮台に立った(写真4 「第183回読売日響定期公演プログラム表紙」/ 写真5 「同定期演奏曲目」)。 定期公演の演奏では得意とするバルトーク「中国の不思議な役人」が印象的だった。 また「名曲シリーズ」ではメインのマーラー交響曲第1番<巨人>に先立ち前半に夫人の「イルゼ・フォン・アルペンハイム」のピアノでハイドン「ピアノ協奏曲ニ長調」が演奏されている。 彼は日本ではどちらかと云えば地味な存在だったが欧米では「オペラ指揮者」としても活躍、人気と共に高い評価を得た指揮者だった。