“hatakeshun”のひとりごと(辻本 簾さん(NHKサウンドエンジニア)の思い出 その6)
その6(最終回)音声多重放送とステレオについて
私は2008年4月5日放送された「まるごとカラヤン」を視聴し、辻本さんに、こんな質問を投げかけた。
「ベルリンフィル特集は音声が5.1チャンネル(小澤・悲愴等)でした。 テレビ内蔵のステレオスピーカの場合はどのチャンネルの音が再生されるのでしょうか? センターとリアチャンネルの音は再生されないのでしょうか?」
この問いかけに対し、4月6日(22:09)懇切丁寧な返信をいただいた。
「この件について、詳細は別途とさせていただきますが、簡単に一言でいえば、個々の受信機の中で、送られてきた5.1チャンネル(合計6チャンネル)の信号を合成して、内臓スピーカを鳴らしています。 放送局からは、Ⅼ、R、Ⅽ、Ls、Rs、ⅬFEの6つの信号を送るだけで普通の2チャンネルのステレオで受信するための信号は送っておりません。 その代わり、デジタル放送受信機には、必ず、送られてきた6つの信号から一定の数式にもとづいて、2チャンネルにダウンミックスする回路が内蔵されていて、その出力を聴くわけです。 センター(Ⅽ)はナレーションや歌を含みますから、当然重要で、左(Ⅼスピーカ)右(Rスピーカ)に等レベルで振り向けるようにして、2チャンネルに合成しています。 リアの信号も一定の比率で左(Ⅼスピーカ)右(Rスピーカ)に振り分けています。
問題は(非常にうるさいハイエンドのオーディオマニアが問題にしますが)、こうやって「常に一定の数式によって機械的に」合成された2チャンネルステレオが、ミクサーがもともと2チャンネルステレオとしてミクシングしたものと、ステレオ効果の点で同等の品質として考えてよいか、ということです。 一応、そういう評価結果をもとに、放送されているわけではありますが、厳密には、上記の「数式」のための定数(ダウンミックスのための係数)は、その番組ごとに、または番組内の各部分ごとに最適値を選ぶ方が品質が高まることも理屈の上では、あります。 そのためにデジタル放送では、その「最適定数」を番組信号と同時に送ることができるようになっております。 しかし、通常はそのような「複雑な」手続きをせず、受信機内部に設定された「世界統一規格による数式」に、固定的にダウンミックスをまかせています。
ちなみに、従来のFMステレオ放送や地上アナログテレビの音声多重放送のステレオ(一部民放ラジオのAMステレオ放送も)は、和差方式と称して、放送局からは和(Ⅼ+R)と差(Ⅼ-R)に変換して、つまり、受信機内で聴く人の信号をあらかじめ作って送り、ステレオは受信機内で和と差を分解してⅬ、Rを得るという方式になっています。 もっとも、この場合も、ステレオミクシングしたものの「和」から得たモノの音声が、仮にミクサーがモノとして最高のミクシングをしたものに匹敵するか、という問題が、ステレオの最初期の段階から原理的に存在します。
音響的な効果のためにステレオ音声のチャンネル数を増やすと、それより少ないチャンネル数のモードで聴く人へのサービスの問題が、必ず生じてきます。 どちらも理想条件、というわけにいかないのが悩ましいところです。」
このメールから得るものは誠に意味深い
①まずは音声多重放送とステレオの関係が明快に解かれていること
②メールでこれだけ誠実に回答して下さる辻井さんのお人柄
③オーディオファンの中にはモノラルの音声を評価する方がいるが、その理由がこのメールから読みとれる。こと。
辻本さんは2017年、72才で亡くなられた。
残念である。
幸いな事に龍ヶ崎ゲヴァントハウスは辻本さんをお迎えし、3回の講演会を開催した。
以下、講演会の記録をご参照ください。
2009.02.07: 辻本廉氏-1「ETV50年&FM40年で振り返るカラヤン等の巨匠が NHKに残した音源とエピソード」
2012.11.17: 辻本廉氏-2「秘蔵音源でたどるNHKクラシック音楽番組収録技術の変遷」
2015.08.01: 辻本廉氏-3「FM長時間音楽番組の放送技術の移り変わり - “バイロイト音楽祭”の放送を中心に」