"T0RU"のひとりごと(〜平凡である事の偉大さ〜 ヴォーン=ウィリアムズの世界②)

〜平凡である事の偉大さ〜  ヴォーン・ウィリアムズの世界②

前回の「ひとりごと(①)」では、冨田勲を取り上げました。
今回はその冨田の描いた「世界観」にもっとも近い、イギリスの大作曲家ヴォーン・ウィリアムズをとり挙げたいと思います。
初めて彼の音楽と出会ったのは、中学生時代。 放課後の教室に流れた「グリーンスリーブスによる幻想曲」でした。 フルートとハープの出だしが始まると、辺りの雰囲気は即下校モードに…。 当時は、ただそれだけの、言わば「チャイム」の様な(失礼!)存在でした。
あれから40年…。 彼の書いた作品を聴き進めると、気持ちにそっと寄り添ってくれる曲、決して大声ではないが傍で励ましてくれる曲ばかりなのに気付いたのです!! 何だろうこの安心感は…。 「いつだって君を見ているから、心配しないで。」まるでそう語りかけてくれている様で、これまで自分は何を聴いていたのか、我ながら恥ずかしくなりました。
それからだと思います。 ヴォーン=ウィリアムズの曲は何でも聴いてみたい。 こう思うようになり、現在に至っています。
これまで彼の音楽を、私から遠ざけていたものは、
① 霧がかかった様な音楽   (ユニゾンの多用が原因) → 輪郭がハッキリしない
②当時のレコードのジャケットが、あまりにも派手(波が砕け散る写真のバックに、海の交響曲と筆文字で大書) → 思わず退いてしまう!
③ やたらと大人し目の(落ち着いた)曲ばかり → ビートの効いたメリハリのある曲が聴きたい
以上罰当たりな「3大レッテル」を貼っていたのです。

それが今では、「全項目」大好きな理由に置き換わっています。
①ユニゾンが逆に好きになってしまい、特に彼が得意とする合唱 + オーケストラの曲では、ユニゾンが天高く舞い上がる瞬間、他では味わえない無上の悦びが訪れます。
② 当時の派手なジャケットを中古レコードでみつけると、懐かしさですぐ買ってしまう
③ イギリスの各地の民謡をホルストと共に採譜して歩いた成果が、あらゆる曲に生かされ、我々日本人の心に直接訴えかけてくる(日本人馴染みの五音音階)。 どこか懐かしさや郷愁を誘う。 この辺が冨田勲に通じるのかもしれません。
これらに加え、
④ヴォーン=ウィリアムズの曲は、初めて聴いた時には何の感慨も湧きませんが、多分心の何処かに引っ掛かりがあり、何度か耳にするうちに花開いてくる、そんな印象を強く持ちます。 しかも、私の場合それが一寸やそっとのことでは揺らがないほど、しっかりと根を張っているのが分かります。

ヴォーン=ウィリアムズの音楽を、
「野に咲くユリ」と表現した記事が、数年前のレコード芸術誌の投書欄に掲載された事があります。 これぞまさしく言い得て妙、と頷いたのは言うまでもありません。

次回からは、私のとっておきのお勧めの曲を紹介していきます。(TORU)