ノブヤンのひとりごと(ブルーノ・ワルターのモーツァルト)

私が高校生の時に買ったレコードの中に、今でも宝物のようなものがあります。 それは行きつけのレコード店で見つけた「ワルター不滅の名盤全集 第1期」(1964年12月〜1965年8月発売)の第9巻と第10巻で、リハーサル集のレコードです(写真1、2)。 定価が3枚組4500円[2セットで9000円]のところ、その時はすでに廃盤扱いで、定価の半額以下で手に入れることが出来ました。 その店には何度も訪れていたはずだったのですが、たまたまそのレコードを見つけた時には「廃盤」という偶然が重なり、高校生のお小遣いでも買える金額だったことは、まさにラッキーでした。

写真1 リハーサルレコード集1

写真2 リハーサルレコード集2

さて、指揮者のブルーノ・ワルターとの出会いは(レコードの話!)、私が小学生の高学年の頃です。 それは、警察官だった父がいきなり買ってきた、ワルター指揮コロンビア交響楽団によるモーツァルトの「ジュピター」「ハフナー」交響曲のLPレコード(30cm盤)でした(写真3)。 同時にポータブルのレコードプレーヤーも買ってきたのです。 それまでクラシックのレコードなど我が家には無く、その数年前までは、SPレコード(78回転)で童謡を聴いていましたから、LPレコードとレコードプレーヤーを購入した父の英断は、理由はよく分かりませんが、私にとっての音楽的基盤になったのかもしれません。

写真3 ジュピター」「ハフナー」のレコード

このレコードは、A面が「ジュピター」の3楽章まで、4楽章からがB面となります。 その続きに「ハフナー」が収録されていますが、私はB面のアタマ「ジュピター」の4楽章がお気に入りで、いつもここだけを聴いていました。 出だしの「ドーレーファーミー」というテーマが、何か広大な天空に向かって行くように感じられ、そのあとに、いろいろ追いかけて出てくる「ドーレーファーミー」というテーマが、まるで舞台に出てくる様々な登場人物のようにも感じられ、それがおもしろかったのです。 舞台で繰り広げられた物語も一段落し、もう一度「ドーレーファーミー」のテーマが戻ってきた時の、いよいよここからラストに向かっていくぞ! という仕切り直しの再現部から、やがてホルンによる力強い「ドーレーファーミー」が朗々と鳴るところがかっこよく! あとは息もつかせぬように次々とテーマが呼応して、最後は、トランペットの華やかな信号ラッパのリズムが鳴り響いて堂々と終る!…、子供心にもすばらしいなと感じていました。
さて中学生になってからは、お小遣いやお年玉を貯めては、少しずつレコード(17cm盤)を買い求めました。 そしてステレオ装置がある友達の家に行っては、持参した自分のレコードをかけてもらい、そのステレオを褒めながらも、我が家のレコードプレーヤーとの違いには心が折れ、そして我慢…でした。 NHKラジオの第1・第2放送の同時ステレオ実験放送では、大きな真空管ラジオと小さなトランジスタラジオを並べたところで、見た目の不釣り合いから我慢の限界も超えていきます。 そして親に対しての直訴を繰り返し、ようやく家具調のナショナルのステレオを買ってもらい、人並みの生活になったことに大満足、と同時に、FMのステレオ放送が聴ける環境にもなりました。
高校ではコーラス部に入り、そこの指導者である音楽の先生との出会いで、将来は音楽の先生になることを決め、高校2年からピアノを習い始めました。 コーラス部の練習では、高い音楽性を要求する先生の指導のもと、初めて音楽をすることの本当の厳しさや、高いレベルでの面白さを学びました。 そんな経験を積み重ねたあと久しぶりに聴く「ワルターのジュピター」……その時、なぜか今までとは違う「深い感動」を感じました…第1楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェ…第2楽章のアンダンテ・カンタービレ…第3楽章のメヌエット…第4楽章のアレグロ・モルト……それぞれの音楽標語がちゃんと表現されていることへの驚きです。
やがて自分の音楽の世界が広がっていく中、他の指揮者のモーツァルトの交響曲も聴きますが…何かが違う…何か物足りない……すでに自分のモーツァルトの世界基準は、ワルターになっていました。 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の第1楽章、イントロからテーマに入る時に、ほんの一瞬タメを作って間をあける何ともいえない妙技、テンポが少し遅くなって歌い出す優しいメロディー、ほかにも妙技がいろいろ出てきます。 もちろん楽譜にはそんなことは一切書かれていませんが、この不思議な魔力を操るワルターの魅力にとりつかれていきました。
こういうことが少しずつわかるようになった時に、リハーサルのレコードと出会ったのです。 リハーサル中の会話は全て英語ですが、譜例付きの丁寧な対訳の解説があり、もちろん私にもわかる単語もありますから、臨場感を十分に感じながら聴くことができました(写真4)。 当時の(米)コロンビアレコード(CBSレコード)にとっては、最晩年のワルターの貴重なドキュメントとなるような一連の録音ですが、本来の商品としてレコードに残された演奏以上に、このリハーサルには、ワルターの人間性や音楽性が感じられるすばらしさがありました。

写真4 「リンツ」1楽章の対訳の部分

たとえば、朝の練習開始は団員の拍手に迎えられたあと、『グッドモーニング、ジェントルメン!』で始まります。 ある曲の途中では『そうではなくて、マイフレンド!こういうふうに!(といって自分が歌う)』、『スィング!(もっと歌って!)』、そして『ヴィヴラート!(ヴィヴラートをかけて!)』、『エスプレッシーヴォ!(もっと表情をつけて!)』、それに対するオーケストラも素早く反応し、あっという間に音楽の表情が変わっていきます。 まさに演奏の妙といえる場面です!!
また、ここで演奏しているコロンビア交響楽団とは、高齢から一度は引退した「巨匠ワルター」の得意なレパートリーの曲目を、当時開発された最新のステレオ録音で残そうとする、レコード会社によって編成されたワルター専用の「録音用オーケストラ」のことです。
晩年のワルターは、アメリカ西海岸のロサンゼルス近郊、気候の良いビバリーヒルズに住んでいました。 そのため、レコード会社はワルターの体力への負担を考え、近くのハリウッドにあるアメリカン・リージョン・ホールを借りての録音となりました。 マイクは、日本のソニー製のコンデンサーマイクロフォンが使われていたそうです。コロンビア交響楽団は、この録音のために臨時に編成された交響楽団なので、オーケストラとしての公演実績はありません。 一方、録音契約の関係上、オーケストラ本来の名前が使えず、レコード会社が便宜上「コロンビア交響楽団」という名称を使った、実在するオーケストラで録音されたレコードがいくつかあったようですが、ワルターが指揮をする時のコロンビア交響楽団は、栄光の「ワルターのコロンビア交響楽団」を意味します。
臨時編成ではありますが、地元のロサンゼルスフィルのメンバーが中心となり、あとは映画の都ハリウッドという土地柄で腕のよい演奏家も多く、その中で選ばれた優秀な音楽家たちが、メンバーに加わりました。 レコードの解説書によると「ワルターの健康を考えて、録音は冬のシーズンに限られて行われていたが、レコード会社から録音のための招集がかかると、オーケストラのメンバーたちは、どんなに高いギャラの映画音楽の仕事よりも、ワルターのもとに喜んで集まってきた」と書かれていました。
お金ではなく、音楽そのものの喜びを与えてくれる指揮者に対して、献身的な演奏で答えるオーケストラ! たとえ臨時編成であっても、腕は一流の職人たちの集まりですから、そこから数々の名演のレコードが生まれました。 実に感動的なストーリーですが、リハーサルを聴いていると、それらが実感できます。 私自身が中学校で吹奏楽部を指導しているときに、これらのリハーサルの様子が、自分の中で少なからず影響はしていました。
このリハーサル集のレコードには、モーツァルト・ベートーヴェン・ブラームス・マーラーの交響曲と、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収録されています(写真5、6)。 中でもモーツァルトの交響曲36番「リンツ」では、4つの楽章のリハーサルが収録されており、また解説も詳しく書かれているので、おもしろくて勉強になり、そして感動します。 特に2楽章「アンダンテ」の始まりの優雅さ!! ここでは市販されている音源より、リハーサルの中で演奏された方が美しく感じる場面もあります。

写真5 リハーサル集1の内容

写真6 リハーサル集2の内容

指揮者の人間性や音楽性と、対峙するオーケストラのメンバーとのやりとりが記録されたリハーサル風景、ここには本番の客席から決して見ることができない、舞台裏の人間としてのドラマがあり、私には興味が尽きません。 私自身が中学生たちと音楽を作り上げる時に、そのヒントになればと、リハーサルの音源や映像はいろいろ集めました。 幸いワルターのリハーサルを収めた映像(レーザーディスク)は、新宿にある中古ショップ(ディスクユニオン)で、以前手に入れることができました(写真7)。 バンクーバーフェスティバルオーケストラに客演で来たワルターが、ブラームスの交響曲2番のリハーサルを行なっている、カナダのテレビ番組用の映像ですが、その人間味あふれる様子はレコードと同じ、見ていてやはり感動します!!
(ノブヤン)

写真7 ワルターのレーザーディスク