メンデルスゾーン:交響曲第三番「スコットランド」
あと千回のクラシック音盤リスニング(2)
-クレンペラーの十八番「スコットランド」のライブ盤、「沈み込み」の素晴らしさ―
メンデルスゾーン:交響曲第三番イ短調Op.56「スコットランド」
オットー・クレンペラー指揮バイエルン放送交響楽団
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クレンペラー指揮「スコットランド」:NMLリンク先はこちら
「あと千回のクラシック音盤リスニング」、第2回目のテーマはメンデルスゾーン交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」である。
前回は学生時代からの愛聴盤、今回の「スコットランド」は最近知った名演奏である。
春のある日、楽友にして呑み友TH氏がシングルモルトと一緒に持参したCDの中にこのクレンペラー指揮バイエルン放送響による「スコットランド」が含まれていた(写真1)。 名演の誉れ高い演奏ではあったが、指揮者によるフィナーレのコーダの改変もあって、まあ、そのうちと思っているうちに時間が経ってしまった。
さて、呑みながら、そのCDを聴いてみると、聴き知ったクレンペラーのセッション録音盤に何とも言えない音楽的感興が加わっているのを感知した。 そして、結論として、現時点でこの交響曲の最高の演奏と位置付けたい。 素晴らしい名盤の登場である。
私はこの「スコットランド」、彼の交響曲の最高傑作と評価してきた。
これはとても魅力的な曲である。 「フィンガルの洞窟」も同様であるが、スコットランドの暗めの風景が描かれた一幅の名画を眺めているような、そんな作品である。 そして、そのような絵画的描写以上に、心象風景としての描写が素晴しい。 特に、作曲家はメアリー・ステュアートの悲劇に想いを馳せていたに違いない。
この作品に関する夢はスコットランドを訪れ、アイラ島のローカルなホテルに泊まり、スコットランドの冷たい風に当たりながら、芝生の庭園のテーブルとベンチで、さながら、辛口でスモーキーなシングルモルトを口に含んで、その冷たい風を味わう、なんていうシーンがぴったし来る。 肴はアイラ島産の牡蠣がよいであろう。
さて、音楽に戻って、序奏から第一主題に入る過程はどのシンフォニーでもワクワクする、一番美味しい部分ではあるのだが、この「スコットランド」では何と言ったらいいか、その辺がぞくっとするような素晴らしい展開である。 序奏とのコントラストで、第一主題が力任せにドンと出るのではなく、初々しい風情で、デリケートな筆でそっと描かれたような、含羞のサウンドで現れる第一テーマ。 素敵である。
演奏にしたって、指揮者でも上から目線の大指揮者ではなく、繊細な感受性を持った先述の“含羞”の趣きを持った指揮者が適しているようだ。 ペーター・マーク指揮ロンドン交響楽団の録音が長く愛さされているのはそういうことだと思う(写真2)。 ましてや、ショルティだとか、ムーティとかの直線型指揮者との相性はよくないはずである。
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この「スコットランド」、最初に手に入れたレコードはサヴァリッシュ指揮ニュー・フィルハーモニア管のフィリップス盤(SFL-8547)である(写真3)。 そのレコードは当時尊敬していた福永陽一郎氏が推薦していたので、迷わず買ったものである。 今聴いても、過不足のない演奏で悪くない。 先日、久し振りに、アナログ・ディスクをかけてみて、そう思った。 録音は1967年6月、大家になる前のサヴァリッシュ、ここがポイントなのである。 イギリスのオケ、これも効いている。 ジャケットの若きサヴァリッシュの指揮姿が懐かしい。 最初に手に入れたサヴァリッシュ&ニュー・フィルハーモニア管によるLPレコード(1967)。 若きサヴァリッシュの雄姿。
本曲の英語表記は通常“Scottish”であるが、本盤は“Scotch”となっている。
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私はサヴァリッシュのメンデルゾーンの録音はこの「スコットランド」だけかと思った。 ところが調べてみると、何と交響曲全集まで仕上げているのである。
全集魔のカラヤンは1970年代に全集をものにしているが、マーラーと同様、ユダヤとの関連が物議をかもしていた。 まあ、商品としての全集だったに違いない。 しかし、ミュンヘンに拠点を置いていたドイツ人指揮者の典型のようなサヴァリッシュが1960年代に全集を録音していたなんて、想定外である。 さすがに右寄りの都市ミュンヘンではなく、英国のオケと組んである。
時は流れ、CD時代となってマーク盤(DECCA)、クレンペラー盤(EMI)そしてアバドの新旧両盤を購入してきた。 この曲は頻繁に聞くと飽きやすいので、時折、どれかを取り出して愛聴していた。 中でどれか一枚となると、選択はクレンペラー指揮のセッション録音盤であった。 そのクレンペラー盤、サヴァリッシュの爽やかな演奏に比べて、そのテンポの遅いこと。 しかし、遅いテンポにより見える風景が異なってくるように、音楽も重力を失って沈み込む「詠嘆」の風情が湧いてくるのである。
メンデルゾーンの音楽はモーツアルトと同様、天才的で音楽の湧出速度が早すぎて、重みが足りないように感じることも多いが、老匠クレンペラーの遅いテンポがそこを救っているとでも言おうか。 さらに、両翼配置も効いている。 クレンペラーこだわりの木管のニュアンスも素晴らしい。 あの鬼のような顔をした老匠から、このようにロマンティックな音楽が湧いてくるのが不思議である。
だがしかしである、今回のバイエルン放送響とのライブ録音盤はセッション録音盤が作り物的な音楽に聞こえるほど、スポンティニアスに楽想が湧いてくるような、そんな趣に溢れている。 セッション録音盤の風景が、リアルに動き出したような、真実味がある。
録音は1969年5月23日、場所はヘルクレス・ザール。 ミュンヘン放送局録音で存外いい音である。 1969年、微妙な年である。 クレンペラーが引退した年が1972年、晩年も晩年、しかもフィジカルには老齢のみならず、数々の大病や事故、左手と目線だけで指揮していたに違いない。 にも拘わらず余程体調もよかったのであろう、素晴らしい指揮ぶりである。 久々のドイツでの指揮ということも指揮者を心理的にリフレッシュさせるような要因の一つになっていたに違いない。
この交響曲は暖色系の、例えば(ドホナーニ指揮のDECCAの録音があるが)ウイーン・フィルのサウンドで聴いてみたいとは思わない。 シベリウスと同様に「lean」な音で聴きたい。 オーディオもそうである、ソナスファーベルのふくよかな音なんて合いそうにない。 まして、アメリカ西海岸のJBLの乾いた音とか、東海岸のKLHやボストン・アコースティックなどの重い音はお呼びでない。 ドイツの子音が明瞭に出る、固いサウンドも同様である。
なので、できればQuadのコンデンサー・スピーカーを真空管アンプで鳴らしてみたい。 録音もDECCAではなく、PHILIPSがふさわしい。
ところで、私はこれまで一度だけスコットランドに旅した経験がある。 1998年、エディンバラで開催された国際植物病理学会に参加するためである。 その学会と並行してエディンバラ国際音楽祭が開かれており、いろいろなプログラムを楽しむことができた。
エディンバラはスコットランドの首都であるが、スコットランドはオーディオにも縁が深い地である。 タンノイもリン(Linn)もスコットランドの会社である。 英国製と表記されるが、正確にはスコットランド製なのである。 蒸気機関車のジェームズ・ワット生誕の地でもあり、学術都市としても名高い。
だが、左党の私にはそのようなことよりも「スコッチ・ウイスキー」である。 ウイスキーと云えば「スコッチ」、その国際学会でもミニチュア瓶が会議バッグの中に2本入っていたが、オプションのツアーでスコッチウイスキー博物館を訪れると日本で接するスコッチは正に氷山の一角であり、夥しい数のブランドがあることに驚かされた。 そして、今やアイラ島のシングル・モルトを愛飲する筆者はよい時代が訪れたと感慨一入である。
さて、振り返ってみると、この交響曲にはいくつかの思い出がある。 まだ福山に住んでいた頃、N響の広島公演で、サヴァリッシュ指揮でこの「スコットランド」を聴いた。 期待が大き過ぎたのか、思ったほどの出来ではなく、最初の序曲「フィンガルの洞窟」の方が印象に残っている。 米国滞在中、クリスマス・シーズンはヨーロッパ式に「くるみ割り人形」、「ヘンゼルとグレーテル」そして「メサイア」などを劇場で立て続けに聴いたが、正月元旦にTVのスイッチを入れたら、PBSチャンネルでいきなりチョン・キョンファとショルティ&シカゴ響がメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏している画面が現れ、そのプログラムのとりが「スコットランド」であった。
数日後、ルーム・メイトのイラン人留学生モハマッド君がこの曲はよかったと凄く褒めていた。 スコットランドの海、寄せては返す波の描写が素晴しいという評であった。 今や昔のなつかしい思い出である。
さて、この稿を閉じるに当たり、フィナーレのコーダの改変について一言述べたい。 メリー・ワルツなどという名曲に至らず、迷曲の方に近い作品もあるが、クレンペラーには作曲家の一面もあり、さすがの改変とまでは行かないが印象深い音楽に仕上がっている。 なかなかのコーダである。