フルトヴェングラーの第九、1951年バイロイト盤再考(加筆版)
あと千回のクラシック音盤リスニング(11)
〜 フルトヴェングラーの第九、1951年バイロイト盤再考 〜
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調 Op.125
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団
EMI 東芝エンジェル AB7154-5
「第九」の季節がやってきた。
これはどこでも書かれているように、日本独特の現象である。
ヨーロッパでは年末は「メサイア」、「くるみ割り人形」、それに「ヘンゼルとグレーテル」、ウイーンでの年末の締めは「コウモリ」である。
滞米生活での年末、住んでいるマディソン、周辺のシカゴ、ミネアポリス、ミルウォーキーで年末にベートーヴェンの第九のコンサートが開かれるという話は聞いたことがなかった。クリスマス前の週末に私はマチネーの「メサイア」を、家内と娘は「ヘンゼルとグレーテル」を分かれて聴いた。当時は「メサイア」のよさが全く分かっておらず、隣席の青年が「ハレルヤ」を朗々としたテノールで、大きな声で歌ったことが記憶に残っている。その「ハレルヤ」で聴衆全員が立ち上がって歌うなどという儀式も初めて知った。
日本での「第九」のコンサート・オン・パレード、この量産はよくない、そんな作品ではない、そういうことは理解してはいるが、1年を締めるにふさわしい作品ではある。
私も大晦日の午後、形だけに近い大掃除を済まし、レコードで「第九」を聴く。
もう変色しかかったカートン・ボックスから、フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団のLPを取り出す。大学生時代に購入したAB7154-5という番号の2枚組のカートンボックスに入ったLPである。
独唱はエリザベート・シュヴァルツコップ、エリザベート・ヘンゲン、ハンス・ホップ、そしてオットー・エーデルマン。
大晦日、あるいは年末のとある日、学生時代は下宿で、次は福山の独身寮で、さらに結婚後は福山の木造の官舎で、儀式のように、この第九を聴いた。さらに、後半はつくばの公務員宿舎で、そしてようやく持ったマイ・ホームの書斎でこの第九を聴いてきた。また、海外出張で年末年始が含まれている際はカセットやMDに録音した第九を予め準備し、それを聴いた。それらの各々のシーンが走馬灯のごとく浮かんで来る。
このLPレコードにはいろいろな思い出が詰まっている。学生時代、音楽雑誌を読んでいたら、さる評論家が、買わずにおられないような褒め言葉をフルトヴェングラー盤に与えていた。さらに、指揮台に登壇するフルトヴェングラーの足音が入っているというので、まるで自分がバイロイト音楽祭の現場に居合わせたような気分になれる、こう思ってそのレコードを注文した。ようやく届いたレコードをターンテーブルに載せて音が出るのを待った。ところが、出てきた音は第一楽章の冒頭であった。心底、がっかりした。何故カットしたのかと、いたたまれない感情に襲われたことを思い出す。当時、2枚組のLPレコードはそう簡単に買える代物ではなかった。
そのAA番号のレコードはブライトクランクと呼ばれる、いわゆる人工ステレオ盤であって、そこでは冒頭の足音がカットされていたのである。
2年後、ようやく手に入れたAB番号のバイロイト盤で冒頭のフルトヴェングラー登場の足音に「万歳!」みたいな気分になったことを思い出す。
さて、フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管弦楽団のレコードをターンテーブルに載せる。
まず、会場の咳の音から始まる。すると、フルトヴェングラーの足音が聞こえてくる。
巨匠が指揮台に上がる。凄い拍手が鳴り渡る。フルトヴェングラーが当時いかに人気があったかを象徴するような凄い拍手である。 足踏みの音も混じり、怒涛のような音が収録されている。録音レベルを下げなければならないほどである。その後のざわざわした雰囲気、フルトヴェングラーらしき声に続いて厳粛味帯びた静寂が訪れる。いや、結構な臨場感である。これもオーディオのレベルが上がったことによる恩恵であろう。
長い静寂、計測すると約30秒。巨匠に最初の音が湧いて来るのを待たねばならない。そしていよいよ演奏が開始され、神秘的な空虚5度の和音が響き始める。
この冒頭、この神秘感溢れる序奏からして素晴らしい。巨匠のここの解釈がまことに素晴らしい。ライナーだったか、この冒頭の解釈が難しいとフルトヴェングラーに話をした折、巨匠の解説でようやく腑に落ちたらしい。一方で、そんな解釈は古いとするトスカニーニ派のやり方もある。音の背後にあるものを探るフルトヴェングラーと音響そのものトスカニーニの根本的な差異、私は「トスカニーニはアリアとトゥッティしかない」というフルトヴェングラーのトスカニーニ批判を採る。
バイロイト盤に戻って、その神秘的な序奏、そのそこから毅然と立ち上がる第一主題の素晴らしさ。まるで、目の前に巨大な秀峰が現れたかのような、としか表現のしようがないような大きさと迫力である。そして、山場でもある再現部の高揚、ここはもう少し録音がよければ、DECCAのスタッフ(実際そこにいたらしい)が手を貸してくれていれば、とないものねだりだが惜しい。しかし、フルトヴェングラーのフォルテは元々そう大きな音ではなかったらしい。非常にデリケートなピアニッシモとの対比での迫力かもしれない。そして、第一楽章は雄々しくも、哀感が滲み出るコーダで締められるのだ。
それに、第一楽章全体として眺めると、「エロイカ」でも同じなのであるが、第一主題の展開での間、しみじみとした雰囲気が漂う第二主題の不思議な世界が訪れる。これまた、素晴らしい。
時に、ただただうるさい音楽にしか聞こえないこともあるベートーヴェンのスケルツォであるが、この第九のスケルツォには耳を欹てる。第一楽章を受けるに充分立派なスケルツォに仕上がっていると確信する。ティンパニの打ち込みも素晴らしい。
そして、神秘的な美しさ、否、もっと深淵な世界に入ってゆく第三楽章のアダージョ・モルト・エ・カンタービレ、変ロ長調。主題の旋律が繰り返し配列で徐々に昂まってゆき、クライマックスに至る。このクライマックスの感動的なこと!戦慄が走る。ホルンのミスなんて全く気にならない、いやそれどころかこの演奏のリアリティを増している。
やはり、この第三楽章のクライマックスへの到達には、ここに至るまでの長い音によるドラマが必要なのではないか。録音での他の演奏を聴くとこの楽章が薄っぺらい物理的音響に聞こえる。
このレコードを最初は正座に近い姿勢で、神妙に聴いていたが、最近はお神酒と称して、日本酒を準備して第二楽章に入ったあたりから飲み始めることが多くなった。そして、第三楽章では陶然とした状態で上記したクライマックスのトランペットとその余韻を味わう。そこでお終い。フィナーレは聴かない。
などと書いてしまったのだが、どうもこれは異常な聴き方らしく、この大作のクライマックスは第四楽章の二重フーガらしい。そうらしいのだが、私にとってフィナーレはお祭り騒ぎのように聞こえる。そういう構想もあったらしいのだが、私は第14番の弦楽四重奏曲の素材でフィナーレをこさえてほしかった。「幽玄」のフィナーレになっていたはずである。あるいは弦楽四重奏曲第15番のパターンで。
さらに、どのフルトヴェングラー盤でも同じなのだが、フィナーレのコーダにおける突進型の締め方、どうも違和感がぬぐえない。効果の狙い過ぎのような、そんな印象が残る。実際のコンサート会場にいれば、そんな冷めた聴き方はできないかもしれないが。
いずれにしても、素晴らしい作品である。よくぞ、こんな雄大かつ深遠なシンフォニーを作ってくれたものである。こんな立派な交響曲を作られては、後続の作曲家たちは皆自分達の作品が何とちっぽけで浅いものかと嘆き、精神的EDに陥ったに相違ない。
このバイロイト盤は私にとって神盤であるので、その後数多くのLPやCDを買って試聴したが、気に入ったものはほとんどない。もちろん1951年バイロイトのCDも所有してはいるが、大晦日にはアナログ・ディスクで聴く。時々取り出すのがウイーン・フィルとの1953年録音(ライブ)、ルツェルンでのフィルハーモニア管との1954年録音(これもライブ)、そして1951年バイロイト音楽祭での本番ということが明らかとなったバイエルン放送所蔵録音盤(Orfeo)である。明晰な高速演奏は受け付けない。気まぐれに選ぶとすると、フリッチャイ&ベルリン・フィルのLPかヨッフム指揮ロンドン・フィルのCDである。
それはともかく、最近、1951年バイロイトの演奏を生中継したスウェーデン放送協会の所蔵音源の存在により、私が崇めているEMI盤は本番も入っているかもしれないが、リハーサルを主体に編集したものであることが明らかとなった。何ということだ。
また、フルトヴェングラー自身この演奏を気に入っておらず、破棄したいと考えていたらしい。
かのEMIの辣腕プロデューサー、ウォルター・レッグはコンサートの後、巨匠に感想を聞かれ、「思ったほどいい演奏ではありませんでした」と答えたらしい。巨匠が破棄したいと言ったのはカラヤンをサポートする狸親父レッグに貶されたことも大きかったはずである。 何せ巨匠は信じられないほどナイーブだったのである。
貶しながらもレッグは上手にライブ録音を編集し、フルトヴェングラーの死後、商品として売り出した。わが国ではベストセラーとなった。いや、世界的なベストセラーか。本当にやり手の凄腕の男で、でなければ才色兼備のシュヴァルツコップを娶ることなどかなわなかったであろう。
しかし、編集盤とは言いながら、神盤であることには変わりはない。何というか「神っている」としか表現しようがない雰囲気がこの録音には漂っている。
これはフルトヴェングラーの神のような表情を観ながら、楽員は皆奏いていたに違いない。バイロイト祝祭管弦楽団の、ベルリン・フィルハーモニーとかウイーン・ハーモニーとかの一部のメンバーを除き、「指揮の神様」のもとで、この崇高な作品を演奏させていただく、その光栄に浴するという心理状態が底にあるような気がする。
そもそも、巨匠にしてもバイロイト音楽祭再開のオープニング・コンサートという特別な舞台でカラヤンはじめ周囲に自分の実力を改めて知らしめるという野心が漲っていたに違いない。このオープニング・コンサートはヴィーラント・ワーグナーの苦肉の策であったらしい。楽劇はカラヤンとクナッパーツブッシュに絞って新風を吹かせたかったが、さりとて巨匠を無視するわけには行かず、という事情だったのだ。何はともあれ、ヴィーラントの腹黒い計算によって、結果としてフルトヴェングラーのバイロイト盤が生まれたのである。めでたし、めでたし。
さらに、巨匠は1954年、死の年に再度バイロイトで第九を振っているのだが、この「神ってる」雰囲気に欠ける。リハーサル録音付CDというので購入したが、巨匠の声はほとんど聴けない。こんなものをリハーサル付きなんて売り出すのは悪徳商法に近い。そもそも演奏もよく言えば「枯淡の境地」、悪く言えば「迫力不足」。録音にしても音揺れも多く、強音は歪み、もう少しするとステレオ録音も可能と言う時代の音ではない。ともあれ、1951年バイロイト音楽祭というのは特別なオケージョンだったのだ。
1974年にヨーロッパを回った折、ウイーンの書店でフルトヴェングラーのバイオグラフィーを見つけた。ドイツ語で書かれた本なので、本文はほとんど読んではいないのだが、フルトヴェングラーの幼少から晩年に至るまでの写真が結構沢山収められている。中でも1954年、フルトヴェングラーのバイロイトでの最後の第九演奏会の、タクトを振っている舞台姿とコンサートの後の写真は貴重なものである。この写真1枚ではそうは思えないのだが、もうフルトヴェングラーの時代は終わったというのがヨーロッパでの共通認識であったようだ。耳疾も相当進んでおり、ザルツブルグ音楽祭では大きなミスも起きていたらしい。
コンサートの後の彼の姿は抜け殻のようになっていて、痛々しい。いや、痛々しいというような現実の世界の姿ではなく、神々しいという表現も可能であろう。さらに手の甲の写真まで掲載されている。この偉大な指揮者の戦時中の数々の苦労が刻み込まれたような、襞の多いしかも分厚い甲である。ぶるぶると腕を震わせて指揮した振動で刻み込まれた甲とも言えそうである。
ところで、近年評価が高まっているのが、その後のルツエルンでフィルハーモニア管を振った録音で、私も気張ってSACDを買ったのだが、それほどよいとは思わない。これは第九というと必ず登場願わねばならないバイロイト盤では書くネタがなくなった評論家の選択のようにも思える。寄せ集めではないオケのメリットはあるにしても。
結論として、1951年バイロイト盤の素晴らしさを再認識した。
これはある意味、指揮者が作曲家を超えた演奏ではないだろうか。ベートーヴェン作曲フルトヴェングラー編曲とでも言おうか。
フルトヴェングラーの父親アドルフはミュンヘン大学の教授、母方はブラームスが出入りするほどの名門の家系、遺伝的な知的集積は十二分、さらに父親は巨匠に最高の学者による英才教育を敢行した。しかし、公立の教育機関で、周囲との協調性を学ぶなどいう時代がなく、パジャマ姿でウィーンの電車に無賃乗車するようなことがしょっちゅうあり、女性関係でも無類の女好き、記述が慮れるほどのエピソードの山。ベルリン・フィルの指揮者になるためにあらゆる手を使い、ワルターを蹴落とした。カラヤンに対しても異常に嫉妬し、自らの命を縮めてしまった。今のハラスメント・コンプライアンス時代には生まれようがない天才。
つまり、音楽家としての求道的な生き方と悪魔的なそれ、英雄にして卑怯、大人と子供、こういう矛盾する人格が怖ろしいほどのエネルギーを生んだのではないか。
無類の女性好き、これはトスカニーニも、クレンペラーも同様。ワルターだって徳性が称賛されているがミュンヘン時代のゴシップ、キャサリン・フェリアーはじめとする女性関係。ミューズとエロスは同居しているに違いない。
因みに1954年のバイロイトでの公演を吉田秀和氏は聴いている。まだ、ヨーロッパ渡航など難しい時代に、1954年にフルトヴェングラーを聴くことが出来たというのは、大げさに言えば「神の采配」のように思える。死の年といえども間に合ったのだ。「音楽紀行」での、この評論家によるフルトヴェングラーの指揮の描写は他のどんな表現よりも素晴らしいと思う。
上記したように、1951年のフルトヴェングラーによるバイロイト盤は最近お神酒と称して、その年に一番美味しいと思った純米酒か純米吟醸を準備して第二楽章に入ったあたりから飲み始める。そして、夜には「浦霞」を熱燗で呑みながら、この年の収穫としてのCDやLPレコードでお気に入りとなったものを次から次にかける。
これが私流の大晦日の儀式である。
1951年バイロイト盤(EMI 東芝エンジェルAB7154-5)の
解説書の表紙。巨匠の鉢の大きな、ラッキョウ型の頭部が強
調されている。渡辺 護氏による解説文も読みごたえがある。
1954年バイロイト盤(Archipel ARPCD 0439)のジャケット。