カラヤン&ウィーン・フィルの世界一周演奏旅行、1959年

ヘルベルト・フォン・カラヤン&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の40日間に及ぶ「世界一周演奏旅行(1959年10月〜11月)」は今から60年前の昔に遡る。
当時の演奏紀行についてはウィーンの音楽ジャーナリスト・作家アレクサンダー・ヴィテシュニク(AlexanderWiteschnik)著「Sied umschlungen Millionen(もろびと手をとり)」(1960年出版)に詳細に綴られこの翻訳本は1991年に「芹沢ゆりあ」訳で「カラヤン、ウィーン・フィルとの旅」(まほろば書房)と題し出版された(写真1)。 この当時、まだ「プロペラ機」が主流の時代、スタッフも含め総勢120余名が二機に分乗し世界一周演奏旅行に出かけるという想像に絶する一大イベントだったのである。 記録によれば世界17の都市で延べ26回のコンサートが開催され内25回がカラヤンの指揮、東京開催の「ヨハン・シュトラウスの夕べ」のみが当時のコンサート・マスター「ウィリー・ボスコフスキー」の指揮で行われている(11月5日東京体育館)。 またこの世界一周演奏ツアーで活躍した航空機は当時の花形大型4発プロペラ機「ロッキード・スーパー・コンステレーション」(KLMオランダ航空)-THE FLYING DUTCHMAN(空飛ぶオランダ人)だった(写真2 「ロッキード・スーパー・コンステレーション–“THEFLYING DUTCHMAN”模型」おおまかな飛行ルートはウィーン✈アテネ✈ベイルート✈ニューデリー✈ボンベイ✈バンコク✈マニラ✈香港✈東京✈ウェーク島(給油)✈ホノルル✈サンフランシススコ✈ロスアンゼルス✈ソルト・レーク・シティ✈シカゴ✈クリーヴランド✈ニューヨーク✈ボストン✈ニューヨーク✈モントリオール✈アムステルダムといった具合である。 ただしホノルルからアメリカ国内、カナダの「モントリオール」までの区間は「ユナイテッド航空」ほかアメリカの航空機が使用されたようである。 注目の日本公演は10月27日の「旧NHKホール」における特別コンサート(モーツアルト交響曲第25番ト短調K.183/ブラームス交響曲第1番ハ短調作品68)を含めると延べ10公演が東京・大阪・名古屋の3都市で開催された(写真3 公演プログラム表紙/ 写真4 公演日程)。 とりわけ一般公開コンサートの初日を飾った本邦初演ブルックナー「交響曲第8番ハ短調」は真のクラシック音楽ファンに大変注目を浴びたようである。 当初はこの作品一曲のみが演奏される予定だったそうだが本邦初演ということもあり頭にモーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が追加されている(写真 5・6・7・8・9・10 来日公演A~Fプログラム)。

写真1    カラヤン、ウィーン・フィルとの旅/アレクサンダー・ヴィテシュニク著・芹沢ゆりあ訳(1991年出版)

写真2    「Lockheed Super Constellation/The Flying Dutchman( KLM)模型

写真3    カラヤン&ウィーン・フィル 1959年来日公演プログラム表紙

写真4    カラヤン&ウィーン・フィル1959年来日公演日程

写真5    来日公演プログラムAの演奏曲目

写真6    来日公演プログラムBの演奏曲目

写真7    来日公演プリグラムCの演奏曲目

写真8    来日公演プログラムDの演奏曲目

写真9    来日公演プログラムEの演奏曲目

写真10    来日公演プログラムFの演奏曲目