本人が望んでいたかどうかは分かりませんが、シュツトゥットガルト放送交響楽団との一連の放送録音が南ドイツ放送協会から提供された録音テープによりNHK・FMで放送され、その素晴らしい演奏が広く喧伝されてセルジュ・チェリビダッケは多くの音楽ファンにその名前を知られる様になりました。
戦後のベルリンフィルの一時期を支えた指揮者として知る人ぞ知る指揮者だったのですが、フルトヴェングラーの陰に隠れてどんな指揮者であるのかもあまり一般の音楽ファンには知られていなかったのです。 幻の指揮者と言われていたとか、その経歴が知られる様になったのも、ドイツから提供された多くの放送録音のおかげだったのです。 それまでは実はチェリビダッケの名前や存在すら知らなかったのが、日本における当時の一般的な聴衆の実態だったと思います。
FMラジオで放送された音楽が大変優れた内容だと思うにも関わらず、そのことよりもチェリビダッケの発言などの周辺の事ばかりがささやかれて行きました。 チェリビダッケの優れた演奏は横におかれてしまったのです。 FM放送でその素晴らしさを知った人々も大変たくさんいたのですが、なぜか音楽より、面白おかしい噂話の方が独り歩きを始めておりました。それが、1970年代中から後半にかけての日本の音楽界でした。

当時の読売交響楽団は海外の優れた指揮者を積極的に招聘する路線を取っていましたが、チェリビダッケを招聘すると言う快挙を成し遂げたのです。 読売交響楽団創立15周年記念の公演でチェリビダッケが来日することになりました。 1977年10月18日東京文化会館の名曲シリーズと10月28日の神奈川県民ホールの特別演奏会でした。
チケットが入手難であったのかどうかを実は覚えていないのですが、当時は多分、読売交響楽団の定期会員だったはずですからそちらで入手したと思います。  いずれにしろ「幻の指揮者」の来日に期待が高まったのです。

ところで一連のNHK・FMで流れたチェリビダッケの演奏の中に1975年8月13日の放送では前年の1974年12月20日にリーダーハルレ・ベートーヴェンホールで収録されたチェリビダッケ指揮シュトゥットガルト放送交響楽団のブルックナーの交響曲第8番が放送されました。 当時のブルックナーの演奏と言えば我等が朝比奈隆指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団が啓蒙を兼ねて盛んに取り上げるようになっていましたが、まだまだ、一般的な扱いになるには今少しの時間が必要でした。
そんな時代でしたが、彼の地ではブルックナーは好き嫌いを別にすれば取り上げるのは特別な事ではありませんでした。
手元には当時のNHK・FMの放送を録音した音源がありますが改めて聞いてみると、素晴らしくまとまりのある演奏にチェリビダッケの実力のほどが分かるのです。
(つづく)