「私の昭和歌謡レコード史」(6)

今回は日本歌謡界大御所のひとり1960年に股旅もの「潮来笠」で華々しく粋なデビューを飾った「橋 幸夫」にスポットをあててみたい。 彼の「エポック・メーキング」になったレコードはやはり1962年の「吉永小百合」との初のデュエット曲「いつでも夢を」(佐伯孝夫 作詞・吉田 正 作曲)だったと思う。 この曲はこの年「日本レコード大賞」の「大賞」を受賞、現在も幅広い年齢層に歌われ国民的歌謡として愛されている(写真1  「いつでも夢を」シングル盤ジャケット(ビクター VS-807 モノラル1962年)。 その後も「夢のコンビ」とまで称されこのコンビでのデュエット曲「若い東京の空の下」、「若い歌声」(以上1963年)などが続いてリリースされる。 そして1964年4月にリリースされた「そこは青い空だった」は当時「全日空」初導入ジェット機、スマートな3発リア・エンジン「ボーイング727」のイメージ・ソングでもあった。 ジャケット写真に使用された初塗装の「727」が懐かしい。 レコードB面には吉永小百合が歌う「空色のワルツ」がカップリングされている。 もちろん両曲とも作詞・作曲-佐伯孝夫・吉田  正のコンビである(写真2 「そこは青い空だった」シングル・ジャケット、ビクター SV-36 ステレオ 1964年)。 そこには古き良き時代、日本の高度経済成長期の姿もあった。
(つづく)

写真1    「いつでも夢を」橋 幸夫・吉永小百合 シングル・ジャケット(ビクターVS-807 モノラル)

写真2    「そこは青い空だった」橋 幸夫・吉永小百合 シングル・ジャケット(ビクター SV-36 ステレオ)