ストラヴィンスキー:春の祭典

あと千回のクラシック音楽リスニング(14

 

稀代の怪演・奇演にして名演、マゼール指揮VPOの「春の祭典」

 

ストラヴィンスキー「春の祭典」

ロリン・マゼール指揮ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

(LONDON)POCL-9972

私のライブラリーにはまだ封を切っていないCDが2枚ある。いや、なかなか封を切れないと言った方が早いか。
その1枚が、正確には2枚組だが、「バックハウス最後の演奏会」である。これはピアノの巨匠バックハウスがオシアッハでのコンサートで演奏中に体に変調を来たし、休憩後プログラムを変更して演奏した記録である。この偉大なピアニストの告別コンサート。それを考えると、購入はしたものの聴くのがこわい。
もう一枚、これはマゼール指揮ウィーン・フィルのストラヴィンスキー「春の祭典」である。
このCDは実際のコンサートの記憶と深く結びついており、その関係で何とはなしに封を切るのを躊躇ってきた。封を切らずにコンサートの記憶に留めておいた方がよいかも、その方がよいな、みたいな。
それは我が生涯一度のウィーン・フィルの定期演奏会体験なのである。
生涯一度のと書いたのはもうこの歳、いやそれ以上に、ウィーン・フィルは聴いてみたい、それも楽友協会の「黄金の間」でとは考えたりはするものの、もう聴いてみたいと思う指揮者がいなくなってしまったのである。強いて挙げれば、ティーレマンのブルックナー(第三、五、八あるいは第九)か、「ワルキューレ」第一幕のコンサート形式演奏か。
さて、その生涯一度のウィーン・フィル定期演奏会。それは我が「ヨーロッパ音楽無宿」の旅も煮詰まった1974年2月23日土曜日の午後のことで、あった。
今の時代であれば指揮者も演目もネット検索ですぐに情報が手に入る。しかし、当時はヨーロッパ渡航前にオーストリア大使館で手に入れた2月と3月のウィーンのコンサート・オペラの小冊子で、日程だけしか載っていなかった。
当日チケットが手に入るという保証はなく、とにかく朝から楽友協会に出かけ、可能性を探した。そして幸運にもキャンセル・チケットが手に入った。
席に座って、隣のご婦人にプログラムを確認した。そのご婦人はタイトルはフランス語なので、確認しますと、後ろの同年代の知的女性に問うた。私は二人にベーム指揮のシューベルト「グレイト」(前年の11月の定期)の印象を聞いたのだが、それもよかったが断然素晴らしかったのはこれだったと、ワルター・クリーンの独奏でシュタイン指揮のブラームスの第一ピアノ協奏曲、それにブルックナーの交響曲第六番の部分を指差した。それはともかく「ペトルーシュカ」や「火の鳥」ではないので、「春の祭典」だろうと見当はついたものの、よりにもよってマゼールの指揮、それに「春祭」か、とかなりの落胆を味わった。
さて、マゼールが登場して拍手が湧き起こる。そして厳かな静寂が訪れるはずなのに、会場はざわざわと一向に静まらない。マゼールが好きでもない私さへ指揮者が可哀そうと思うくらいの不作法。これはウィーン・フィルの定期演奏会の会員権は世襲制、やんごとなき家系の会員のマダム達を中心とした社交の場でもあるので、当日のプログラムに対するレジスタンスだったのかもしれない。
プログラムは最初にラヴェル「亡き王女のためのパヴァーヌ」、次がハイドンの交響曲第95番ハ短調、休憩後にストラヴィンスキー「春の祭典」というものであった。
ラヴェルでの官能的な木管の魅力、ハイドンでの「衣擦れ」のような弦のデリカシー、さすがウィーン・フィルと感心して、さて「春の祭典」である。
これが「爆演」というか「凄演」というか、度肝を抜かれるような演奏だったのである。
私は「レコード芸術」で音楽評論家のどなたかが「ふにゃふにゃした変な演奏」とウィーン・フィルの「春祭」を評しておられていたのを思い出した。確か指揮者がブーレーズ、ザルツブルグかどっかの音楽祭だったような。
ところがである、マゼールのタクトは凄かった。ウィーン・フィルの特徴の柔らかい優雅な弦が目立たないほどにブラスを炸裂させるのである。弦もザクザクというリズムの刻みでふにゃふにゃどころではない。
途中から、まだ盛り上がるのかと言う期待が生じるほどに盛り上がった。
そもそもこのオケはルーティンとして国立歌劇場で毎晩オペラ、それもドイツ系、イタリア系、フランス系、スラブ系何でもござれ、それをお勤めとして演奏している。当時カラヤンとかベームなどという大物はまず登場しない、どんなクソ指揮者でも一定レベル以上の水準の公演を成り立たせる職人軍団。言ってみれば毎晩が多様なプログラムでのゲネプロかリハーサルみたいなものだから、凄い実力が養えるのであると推察している。
例えば私が国立歌劇場で聴いたワーグナーの楽劇「ワルキューレ」、このオケで売り物のホルンなどミスだらけ(聴衆の反応は凄かったが)、モーツアルト「魔笛」では序曲での和音が全く揃わず、「恥を知れ」みたいな出来であった。因みに、前者の指揮はホルライザー、後者は米国の無名の若い指揮者だった。
なので、どんな音楽にも、どんな指揮にも対応できる能力を持っているのだが、マゼールの変態的解釈も楽しんで演奏していたに違いない。マゼールの解釈はデフォルム、このオケの優雅さを払拭するため、基本はスローテンポなのだが、敢えてテンポをギクシャクさせ、ブラスを炸裂させていたに違いない。ブラスの炸裂も、正月の餅で思い出したが、有機もち米を杵で突いた本格的な餅をほおばる折、まだ伸びるかと限界まで伸ばしてみるみたいな面白さがあった。
このCDを聴きながら、私はそのイメージを思い出した。このブラスの鳴らし方、源流にはクナッパーツブッシュが指揮したコムツァーク「バーデン娘」の演奏があるのではと疑った。あの演奏でのクナのブラスでのデフォルムはボスコフスキーが振ったCDと比べると別の曲のように聞こえる。
そして、このオケ本来の奏法をここまで改造できるマゼールの凄さ。
このウィーン・フィルの「春祭」で度肝を抜かれたのは私だけではない。一緒にキャンセル・チケット売り場にいた同世代の、そして初老の二人も終演後、顔を紅潮させて、「いやあ、ウィーン・フィルのブラスも凄いですね。恐れ入りました」と驚嘆していた。因みに二人ともカラヤン&ベルリン・フィル派であった。
第二部最後の「生贄の踊り」のショッキングな終結、その後の静寂、そして凄い拍手が起こり、あの無礼なご婦人方がこぞって指揮台のマゼールに近づきスタンディング・オーベーションを送っていた。現金なものである。
私はアバド派だが、ベルリン・フィルは彼よりもマゼールを採るべきだったのでは、と今になって思うのである。アバドは海千山千のモンスター・オケを相手にするには上品すぎるし、ヒトが良すぎる。マゼールのあくどさなら対抗できたかもと思うのである。
マゼールはカラヤンの後継者として自負しており、実際打診の電話を受けて、祝杯用のシャンペンまで注文済みであったらしい。マゼールはアバドなどライバルという意識は全くなく、競争相手はクライバーだけと思い込んでいたらしいのである。
マゼールはユダヤ系というのがネックだったのかなとも考えたが、現在のペトレンコもユダヤ系、カラヤン時代の名コンマスだったシュヴァルベも典型的ユダヤ、そもそも楽界ではユダヤ系抜きでは成り立たないのだから、アバドという選択となったのはカラヤンの専制的なやり方に対するアンチテーゼとしてのアバドの選択だったのかと考える。
さて、マゼール指揮のこの演奏は柴田南雄氏の「私の名曲・レコード探訪」でブーレーズ&クリーブランド管の1回目の録音とともに永久保存盤扱いにすると評価されている。
振り返ってみるとこの曲の存在を知ったのは中学生の頃、ポリドール(当時はDGのレコードはポリドールから販売されていた)の宣伝用小冊子でカラヤン指揮ベルリン・フィル盤のジャケットの写真で知った。どんな曲だろうと想像を膨らましたものである。
実際に、最初に購入したのはバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィル盤で、当時尊敬していた福永陽一郎氏の「春祭はただただうるさいだけの曲、うるさくないのはバーンスタインだけである」という評が決め手であった。その後、マルケヴィッチ盤、ブーレーズ盤3種、アバド盤(DG盤と海賊版らしきそのコンビのライブ盤)、デイヴィス盤、ゲルギエフ盤などなど。好きな曲ではないが、何故か相当数コレクションがある。何かでむしゃくしゃした折に聴くには存在感が増す作品である。
さて、マゼール&ウィーン・フィル盤、今回ようやく封を切って聴いてみて、やはり凄い演奏だったのだなと感心した。マゼールのアクの強さが功を奏した演奏と言うべきか。この世界は一言で表せば、「怪鳥が飛び交う」恐竜のそれであろうか。
しかし、このCDは、私の英国系のスピーカーやQuadやラックスの真空管のアンプではなく、JBLやALTECのモニター・スピーカーを米国製のマッキンでドライブして聴いてみたい。広い空間で、大音量が望ましい。