「音楽とは何か」
福島と山形の県境にある白布温泉からロープウェイで上に登るとスキーロッジやペンション、 ホテルなど宿泊施設があるスキー場の基部に出る。 さらに上に向かって長さ3キロのスキー場が広がり夕方ロープウェイの最終便が出ると 宿泊施設は陸の孤島になる。 ここでのスキーが楽しみだった。 下界の煩わしさを忘れ、隔絶された大自然の中にいる気分になれた。 初めて訪れた時は音楽を聴く為にラジオやカセットテープを持ち込んだが、二度目にはもう必要なかった。 朝から夕方まで滑り、食事をし、お風呂に入り、人々との会話があれば満足した。 大自然が交響曲であり、ソナタ、三重奏曲、室内楽、リート、そしてオペラであった。 音楽が無いと生きて行けないと言いながら、そのスキー場で過ごす日々は、 バッハもモーツァルトもベートーヴェンもシューマンもブラームスもヴェルディや ヴァーグナーさえいらなかった。 不思議な体験であり懐かしい思い出でもある。 人はなぜ音楽を欲し必要とするのか? もしかしたら大自然の交響楽の替りだろうか? 音楽は相対的に都会のものなのに、音楽は実は自然そのものなのかもしれない。 歌劇場やコンサートホールは少なくともある程度人口のある都会に存在する。 モーツァルトやベートーヴェンが活躍したヴィーンも都会だとは今更言うまでもない。 19世紀のロマン派華やかなりし時に輝いた巴里ももちろん大都会だ。 音楽は都会で生まれ都会で歓迎され、都会で流布する。 マーラーの様に湖畔の小屋で作曲しても結局、作品は都会に戻りそこで披露され評価され生き残る。 音楽に限らないが芸術作品は人々が集まる都会で命を得る。 音楽が自然そのものであろうとも、生きる場所は都会の雑踏と混沌の中だ。 人口10万人の街で一千人の客席のオペラハウスが運営出来るとしたら オペラを聞く人達は1000人に一人だ。 人々が集まる都会でなければ音楽はその命脈を保つ事すら難しい。 いや、都会でなければ音楽はその存在そのものが危うい。 今日の様にCDやFM放送やインッターネットが発達し山の中でも音楽が享受出来る時代にあってさえ、 発信元は都会の放送局やCD制作会社やプロバイダーなど都会を拠点とする、 都会に存在する組織なのだ。 そうすると音楽とは都会の物と言う事になるのかもしれない。(kazu)2016.11.05


 音楽の「楽しみ方」には、その人固有のアプローチがあるので、 それを知るのも興味深いですね。 私の場合、やはり音楽ソフト中心です。 私が中学から大学の頃はレコードが全盛の時代。 『一枚入魂』で、今よりは曲に向き合っていましたね。 やがてCD隆盛の時代がやって来ます。 音楽に向き合う姿勢は同じでも、手軽に曲の頭だし、早送りが可能になった分、 曲の断片だけ聴いて解った気分になり、中途半端なまま次の曲に手を出す「癖」が 身に付いてしまいました。 最近の音楽配信サービスなど、まさに言わずもがな…。 それでも、昔のように「向き合う姿勢」を取り戻す機会が、 思わぬタイミングで訪れた事があります。 8年ほど前、前職を辞めフリーランス(所謂プー太郎)状態の時、 有り余る時間を有効活用すべく、学生オーケストラを集中して聴きに行った時のこと。 何故かその年は、ラフマニノフの当たり年で、大好きな交響曲第二番を実演で 3公演立て続けに聴く機会に恵まれました。 これが凄かった!! お目当ての3楽章の泣き節が、他のプロオーケストラが出せない音色で迫って来る。 クラリネットの息の長いソロの後、弦楽セクションがためらいながらも、 徐々に参集し、力を貯めて一気に奔流となって行く様子が間近で見られた悦び。 楽員一人一人の真摯な表情からは、自分達のラフマニノフはこうです、 どうか聴いてください、と訥々と語りかけてくる。 熱意が音となって伝わって、打ちのめされましたね。 これまでいい加減に曲を聴いて来たせいか、2楽章の第二メロディが、 3楽章に充分匹敵しうる雄弁さであると悟り、終楽章の心憎い曲構成 (前3楽章のリプライズ)、練り上げられたコーダの迫真性(ティンパニの使い方が絶妙、 万感胸に迫る金管のコラール)に初めて気付きました。 生の演奏に触れるという事は、新たな発見があるという事。 忘れていた感覚を呼び起こすために、今年残り2ヶ月コンサートに出掛けよう!!(TORU)2016.11.05


「ウィーン・フィル in fukushima 」
2011年3月11日午後2時46分頃、東日本大震災発生。 福島県中通り地区の停電は一部回避出来た所もあったようだがほぼ丸2日続いた。 その後、福島第一原発事故により屋内待機、外出自粛と同時に当時東京を中心に 来日中の外来奏者が各本国(特にEU圏は強制帰国であった)から帰国命令が出て 続々出国したことからしばらく日本では演奏会は望めないとされていた。 しかし、指揮者のズービン・メータ氏が再来日しN響チャリティ演奏会 (同年4月10日)のベートーヴェン:第九をきっかけに外来奏者が再び戻ってきた。 メータ氏はドイツ・ミュンヘンで代表3大オケ(バイエルン国立管弦楽団、 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団)による チャリティ演奏会を開催し(ベートーヴェン:第九)、ディスクにもなっている。
前置きが長くなったが、その後福島県にて大震災復興補助事業として クラシック・演奏会は室内楽を中心に、大小様々(オケはN響が主)聴く機会があったが 東日本大震災追悼公演としては、2013年11月7日郡山市民文化センターの ルイゾッティ&東京フィル他のヴェルディ:レクイエム(ヴェルディ生誕200年記念)が 最初であったように思う。 実は、これが翌年9月21日郡山市民文化センター、ウィーン・フィルfukushima公演の 地ならしだった事は、あまり知られていない。 無理もない、EU圏の人々にはチェルノブイリの印象が強烈に残っているから 原発爆発当時日本国内報道はプロパガンダ状態(後に、ドイツZDFが指摘)、 海外からの情報の方がより詳しく(不利な内容を伝える事こそが情報)、 一刻も早く日本から脱出したい奏者が多かった。 それなのに5年も経たない内にウィーン・フィル本体がfukushima県に現れた。 今から思えば奇跡に近かった。 このチケットの取得がまた困難を極めた。 これは、他の演奏会とレベルが違う事は承知していたので、都会と違い地方は 会場での販売が主で(ぴあ扱い分も勿論有るが)最良席は会場でしか出さない事を予測し、 発売日前日から並び、夕方には10名程度が既に集まって、夜が明けた頃に30名程となっていた。 発売1時間前には200名超が販売を待つ状態であった(この時の先頭は前日朝9時頃~。 因みにN響チケット並びの先頭は、通常発売日当日の朝5時頃~)。 音楽愛好家はいつも貪欲によい音楽を求めるのである。(sachi)2016.10.17


青春時代の忘れられない一曲=
前回はアルビノーニのオーボエ協奏曲第2番第2楽章の思い出, 今回はもう一つの忘れられない曲。 それは,私が高校1年のときのこと,英語が好きだったので部活動はESSという英会話クラブに入部。 毎年秋の文化祭で英語劇をやっているのですが,1年生は舞台に立たせてもらえず, 裏方の音響係をやらせられました。 夏休みに毎日学校に行き劇の舞台稽古,私もテープレコーダーに録音した効果音 (先輩が録音したもの?)を,劇中の場面・場面で音楽や効果音を流す役目を受け持ちました。 友達と二人で台本を見ながらタイミングよく音を流すべくレコーダのスイッチを押す。 その苦労は大変でしたが,緊張しながらも本番で上手にやり遂げることができ 友達と大いに喜んだのを覚えています。 その年の劇は,オー・ヘンリーの小説『最後の一葉』でした。 「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」と病床で悲観する若い画家が, 最後の1枚になっても嵐に耐えて落ちることがなかった蔦の葉を見て生きる力を取り戻す。 しかし実はその葉は飲んだくれの老画家が精魂をこめて描いてくれた壁の絵であった, という結末の劇でした。 そのクライマックスにテープで流した曲がベートーヴェンの交響曲第7番第2楽章です。 哀調を帯びた葬送の曲想と生死をさまよう劇の最後が今でもまぶたによみがえります。 この曲もクラシックを聴くようになって,社会人になってからだと思いますが, あるとき再び耳にして初めて7番の2楽章だと知ったのでした。 高校生になって大事な役割を任せられて,やり遂げられたあのときのことがこの曲を聴くと 懐かしく思い出されるのです。(sakahide)2016.09.28


今回は、ちょっと「ひとり言」のタイトル趣旨からは外れるような気もしますが、 この夏に印象に残ったことについてお話します。 最近、仕事関係で2つの講演会に出席する機会がありました。 1つは最近急速に普及が進んでいるLED照明による「光」の演出を行っている 照明デザイナー氏によるものでした。 氏は国内だけでなく海外でも活動され、お寺、公共施設、橋、タワー、ビル、 病院施設など多岐にわたり、室内照明だけでなく外装に対しても照明デザインを 行っておられた。 室内照明をとっても、照らすだけではなくその場の目的や機能を同時に 満足させる「あかり」であった。 コンセプトは、暮らしのなかの「あかり」は、人の気持ちを和やかにする感性的な存在で 目的に合った光環境を創り出すものでした。

もう一つは、音楽制作、音響デザイン、音場創成をプロデュースしサウンド・ スペース・コンポーズの分野を確立した方の講演であった。 作品例としては、JR新宿駅、JR渋谷駅の発車ベル、愛知万博、上海万博、表参道ヒルズ、 東京銀座資生堂ビル内の環境サウンドプロデュースであった。 また、これらの商業施設ばかりでなく病院や医療センターにおいても活用されており、 例えば病院のエントランスに入った時からすでに音のデザインがされていて、 音楽療法、緩和ケア、化学療法室などで応用され音を聴いて思い出を振り返る時間にしたり 「自然の音」により疲れているときでも人に心地よい環境を創り出すものであった。

いずれにしても、「ひかり」、「音」で共通するのはそれらの刺激によって脳内の神経細胞に リラックスする反応を引きだしているのだろう。 それは最新のテクノロジーの動向と方向性を示唆していた。

さて、脳内の反応等々はひとまず横に置いて。ようやく暑い夏が過ぎ秋の到来です、 せいぜい日頃の煩わしいことを忘れ音楽をじっくりと楽しみましょう。(hidekame)2016.09.13


梅雨が明けこのところ連日、猛暑が続いている。
毎年、この時期になると「寄席」では「怪談噺の会」が開催される。 落語好きな私もよく「会」に足を運んでいる。
とりわけ、「寺」の本堂等で開かれる「怪談噺」は薄暗い高座の両脇を照らす 和蝋燭が「噺」の雰囲気をさらに盛り上げる。
因みに私が贔屓にしていた落語家の一人が今は亡き「古今亭志ん朝」師だった。 「師」の独演会をはじめ定席や落語会にはよく足を運び今も記憶によみがえる。 しかし振り返って今思えば「師」はこと「怪談噺」はほとんど高座にかけることはなかった。
記憶をたどるとかれこれ30数年前、「千石」にあった「三百人劇場」で 当時開催された「志ん朝の会」で一度、圓朝作「真景累ケ淵」から 「豊志賀の死」を口演(小生も会場に足を運ぶ)、その粋な語り口は今も鮮明によみがえる。 幸いこの模様は彼の死後、「志ん朝復活」と題しCD化され今も聴くことが可能である。 60分余りに及ぶ長講だが「師」の匠な江戸調とも云えるスマートな噺の運びに 聴き手を飽きさせない。
これはまさに「志ん朝」魔術である。
「志ん朝」がこの世を去りはや15年が経つが 彼の話芸は現在も私の心の中に生き続けている。(カラヤニスト)2016.08.13


 先日、千葉県、多古町教育委員会・T様のご好意により、高木龍馬という 新進気鋭のピアニストのリサイタルを聴いた。 プロフィールを読むと、中村紘子、パウル・バドゥラ=スコダ、 ボリス・ペトルシャンスキー氏に師事。 第6回ホロヴィッツ国際ピアノコンクール、第19回浜松国際ピアノアカデミー コンクール、ウィーンの第38回エレーナ・ロンブロ-シュテパノウコンクール等 数々のコンクールで優勝、現在はウィーン国立音楽大学に在学中という 1992年生まれの23歳となっている。
プログラムは、モーツァルトのピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」、 ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番「熱情」、シューマンの「アラベスク」、 「交響的練習曲」、そしてアンコールにショパンのスケルツォ第2番など 4曲という盛りだくさんの内容だった。 まずそのテクニックの素晴らしさに驚いた。 決してメカニックにならず、安定感がある。 若者らしく音楽にスピード感と勢いがあるのがいい。 あとは音楽性ということになるのだが、これがなかなかで、豊かな響きから 実にドラマティックな音楽を作り上げていて、聴きごたえ充分、どれも 胸のすくような快演ばかりだった。 やや走り過ぎのピアノが作品の美質を損ないかけそうになる部分もあったが、 そこは今後に期待したいと思う。 勉強不足で直前までまったくその存在を知らなかったが、 日本にもこんなに凄い若手ピアニストがいたなんて、 と驚きと希望に胸を膨らませながら、家路に着いた。(nobu)2016.08.04


「ショパンとグールド」
ショパンの名を知らぬ人はいない。 又、彼が偉大なピアニストであることも多くの人の知るところである。 だが意外な事にショパンが開いた公式な演奏会は指折り数えられるほど僅かだ。 ライバル、リストが御婦人方を卒倒させた数えきれないほどの 演奏会に比べれば信じられない事だ。 だから口の悪い人々がショパンは所詮サロン音楽の演奏家にしか過ぎないなどと言う。
演奏会の数が少ない、いや、ある時からまったく演奏会を開かなくなったピアニストを 私たちはもう一人知っている。 グレン・グールドだ。 この二人のピアニストは似た者どうしだ。 ショパンがもし現代に生きていたら、彼はレコーディングスタジオに 引き籠って新作を発表し、録音してCDを売り、ネットで配信しているかもしれない。 要するにグールドと同じような生き方をしている気がする。 ショパンが神経質で病気がちで、世間や音楽界を斜に構えてみていた事を 考えるときっと現代にあってはそうしたことだろう。 残念な事に19世紀はまだ電子技術の無い時代だったから グールドのような生き方が出来なかった。 もし現在に生を得ていたらショパンはもう少し幸せであったかもしれない。 グールドと同じように少なくとも50歳くらいまでは生きられたのではと、 在らぬことを空想してしまう。(kazu)2016.07.10


 絵も好きだが音楽が最も好きだ。 9/10に国立新美術館のルノワール展に立ち寄って来た。 今回初来日という「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」、 もちろん有名な絵なのでよく知っていたものの最高傑作とされる意味が わからないでいたのも事実。 しかし、実絵を目の前にして圧倒された。 その木漏れ日の描写、木々の影、人間模様の構成を観て印象派の 最高傑作であることを理解した。 やはり本物を見なければ印刷物では何も分からないと改めて思った。 ドビュッシー達音楽家との交流も深かったようでワーグナーが亡くなる 前年(1882年)に念願叶い、面会して描いたという肖像画もあった。 平日で空いていたこともあり至福の時間を堪能した。
夜はサントリーホールでブリテン、ドビュッシー、スクリャービンを大野和士/都響で聴く。 このプログラムで平日満席とはやはり文化水準が高い。 お気に入りのスクリャービン「法悦の詩(The Poem of Ecstasy)」では 神秘的な弦とハープの囁きから煌びやかな管、パーカッシブな鐘とホ-ルを 揺さぶるグランカッサと重厚なパイプオルガンの響きで寄せては返す 極彩色の音楽に酔いしれた。 しかし、大野が指揮の手を下さないうちに“ブラボー”を叫ぶ人が いたのだけは残念でした。 (fumi)2016.06.12


「東京・春・音楽祭」
毎年3月中旬から1ヶ月間東京文化会館ほか上野の8つの会場で多彩なコンサートが催される。 今年は3つのコンサートを聴いた。
3月26日東京国立博物館 法隆寺宝物館 エントランスホールでJ.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲(ヴィオラ版)第1番~第4番 ヴィオラ:キム・カシュカシャン、 響きの良いホールで間近に聴くバッハはヴィオラ自身が歌っているように音楽を奏でていた。
3月29日カラヴァッジョ展が開催されている国立西洋美術館講堂で古楽器 アンサンブルのアントネッロ(リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、 ヒストリカル・ハープ)による演奏会。 カラヴァッジョが生きた16世紀末から17世紀のイタリアで愛された パレストリーナなどの曲を上野の森に生き生きと蘇えらせた演奏でした。
4月9日 国立科学博物館 日本館講堂でソプラノ、ホルン、ピアノという 珍しい組み合わせで日本歌曲、R.シュトラウスほかの曲を聴く楽しい演奏会だった。 因みに、小林沙羅(ソプラノ)河野紘子(ピアノ)の美貌がより印象に残った コンサートでもありました。(kuni)2016.04.29


誰でも人生のあるときに聴いた忘れられない一曲というものがあると思う。 それはたいがい青春時代の思い出と重なってくるものが多い。 私の場合もその例にもれず、45年も前に聴いた一曲が忘れられず、 その曲を聴くと特別の感慨を持つ。 その曲とは、アルビノーニのオーボエ協奏曲第2番ニ短調。 青春時代の思い出とは、テレビで観たNHKの交通事故防止ドキュメント。 小松川警察署管内の交通事故の取材で、交通事故で家族の一員を 失った家族の悲しみを通して、交通事故の悲惨さを訴えた ドキュメンタリー作品。 その作品の中で背景を支えて流されていたのが、アルビノーニのオーボエ協奏曲・・・。 特にドキュメントの最後の場面で、小松川警察署管内を流れる荒川の 夕暮れの土手、日が落ちて少しずつ暗くなっていく中で、悲しみに 打ちひしがれ途方にくれる家族が遠くを見つめるという場面、 そのとき第二楽章が流れてきた。 私は悲しみにくれる家族の感情に同化し、曲を聴きながら番組が終わるまで 涙が溢れて仕方がなかった。 そのときは曲の名前も分からずにいたが、あるとき、その曲が アルビノーニのオーボエ協奏曲だと分かった。 ああ、この曲だったのか! それからその曲を聴くたびにあのドキュメンタリー作品の 最後の場面が脳裏によみがえってくる。 もう一度あの映像を観たらきっとまた泣いてしまうだろう、 曲を聴くたびに私はそんな感慨にふけるのです。 流れていた曲のその演奏は、きっと次の演奏だったと思う。 アルビノーニ協奏曲集、作品9からオーボエ協奏曲第2番ニ短調 イ・ムジチ合奏団 ハインツ・ホリガー(オーボエ)1967年6月 (sakahide)2016.04.13


「三大歌劇場」より「三大高速鉄道」
先日、現役の社員を交えたOB会があり、私が退社後、ヨーロッパ旅行で、 「三大歌劇場」と称される、ウィーン国立歌劇場、パリ・ガルニエ宮、 ミラノ・スカラ座でオペラを鑑賞したことを話すとまったくの「ドン引き」でありました。 ところが都市間の移動に際し、利用した鉄道には大いに興味を示しました。 「○○さん、ヨーロッパ三大高速鉄道ルート制覇ですよ」、 第1にパリ~ストラスブール間のTGV (鉄輸・鉄レール方式で574.8km/hの世界最速記録達成)、 第2にフランクフルト~ケルン間のICE(40%の急勾配を駆け上る)、 第3にローマ~フィレンツェ間のイタロ(高速新線ディレッティシマ)、 各国の鉄道技術の最先端の区間とのことでした。 若い社員には鉄道ファンが多く、テレビのバラエティではお笑い芸人や 若い女優が鉄道マニアとして出演しているのを見ると鉄道のイメージが 変わったと昭和の時代の国鉄職員の私には感じられます。 反面、国会中継で、北陸新幹線延伸ルートを議論しているのを見ると 明治時代の「我田引鉄」の言葉が想起され、政治と鉄道との関係は あいかわらずのものだ、との思いがします。(SHIMI=KIN)2016.04.03


小生、3月19日で74歳の誕生日を迎えました。 物ごころついてから今日まで、クラシック音楽の世界は「運命」、「未完成」、 「新世界」・・・と変わりません。 そんな世界と付き合っている自分は単細胞ではないかと思ったりします。 でも、食べ物の世界も同じなのですね。 ご飯にお味噌汁、漬物、カレーラース・・・。 大人になってからはお酒、日本酒、ビール、ウィスキー・・・。 ところで、カレーライスの本当の味ってわかりますか。 食べた事ありますか。 誰もないでしょう。 それは「本当の味(レシピ)」の意味、味そのものが千差万別だからです。 作る材料、作る人、作る国、盛り付けする器、食べる場所等によって変わるのです。
名曲もしかり。 指揮者、オーケストラ、会場・・・。 ナマ演奏でなく、CDコンサートでもそうでしょう。 再生装置、会場、勿論、その時再生するCD、解説によって印象が違ってきます。 ゲヴァントハウスのコンサートで経験済ですよね。
つまり、「運命」、「未完成」、「新世界」の本質は永遠のテーマなのです。 このような誰でも聴けば、親しめる曲なのに、底知れない奥行きのある作品を作った、 ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザークは本当に偉い。
小生、定年後、自分史を書き続けております。 最近はブログに転換しました。 これにだって奥深いものがあるんですよ! 本当かなあ・・・。
(hatakeshun 秋田生まれ)2016.03.21


ゲバントハウスメンバーとCDコンサート参加者との茶話会
ゲバントハウスが現会場のリブラでCDコンサートを始めてこの9月で10年を迎えます。 そこでこのコンサートに参加されている皆様のご意見ご要望を伺うべく茶話会を催しました。 参加された皆様はクラシック音楽に限らず幅広い音楽愛好家であることを感じました。
貴重な多くのご意見を戴きありがとうございました。 今後とも多くの方々に参加いただきクラッシック音楽を通じて 心豊かな交流が続けられればと願っております。(fumi)2016.02.24


冬の旅
別に心に傷など負わなくても、冬に旅に出る。 感傷を背負って旅に出るほどもう若くもなくなった。 冬の旅は厳しい場所であればあるほど心が豊かになる。 雪で閉ざされた所を訪れる時、遥かな道のりの旅をした気持ちになる。
音楽が好きだからと言ってシューベルトの「冬の旅」など持ち出して冬の旅を思う訳ではない。 あちらは若き魂の迷いであり、こちらは単なる非日常を味わいたいだけの 比較するのも恥ずかしい「旅行」である。
それでもなぜか冬の旅は格別な雰囲気に満ちている様な気がする。 寒さや雪やもろもろの困難が春夏秋とは違って存在するからその中を旅するのが 格別な気分になるのかもしれない。 そんな気分だからカバンの中にはシューベルトの楽譜と室生犀星の詩集を入れて旅に出る、
シューベルトの楽譜はもちろん「冬の旅」では、無い!ピアノソナタD960だ。 キザな事、華々しい。 我ながら恥ずかしいが、人に言う訳でもないし、吹聴して回る訳でもない。 ここでは言ってしまったが。
人それぞれの冬の旅があり、人それぞれの持つものに違いはあるだろうけれど、 音楽に関わりのある何かを一つくらいは持って旅に、いや「旅行」に出掛けたいものだ。 (kazu)2016.02.16


 毎週土曜の夜放送されている、 NHK-FM『N響 ザ・レジェンド』が始まってしばらくが経つ。 NHKアーカイブスに残された過去60年分のN響の貴重なライヴ音源を 選りすぐって放送していく番組だ。 リクエスト募集を知ってリクエストしたのが昨年の秋だったが、 年が明けた今年の1月、私のリクエストが放送された。 "nobu"の「秘蔵ライヴ音源紹介」でも紹介しているディーン・ ディクソンの指揮、NHK交響楽団の演奏である。 1968年の録音、ストラヴィンスキーの舞踊組曲「火の鳥」1曲のみ だったのは残念だったが、この放送によってディーン・ディクソンという 指揮者の存在を、多くの方々に知ってもらえたのではないかと思っている。 その意味で大変価値のある放送だった。1915年生まれ(1976年没)、 昨年がちょうど生誕100年の記念の年だった。(nobu)2016.01.30


コンサートヘ出かけるよりも自宅のオーディオ装置で 音楽を楽しむ事が多く、仕事を終え疲れていてもほぼ毎日スイッチを入れている。 年齢のせいか、1曲目が終了する前にソファーで居眠りに入ってしまうこともしばしば、、、 結局同じCD盤を何回もかける羽目になる。 しかし、直ぐに眠りに落ちるという事は音楽を聞いて心地良く安心し リラックスするからに他ならないと思う。 何か脳内で神経細胞が反応するのだろう、いずれにしても体の筋肉を刺激し トレーニングするのと同様に聴覚を刺激する事も老化防止には良いかもしれません。
少し専門的な話になって恐縮ですが、音刺激により誘発される脳波を検査する装置 (聴性脳幹反応: ヘットホンやイヤホンで音を聞いてもらいその時の誘発脳波を検査)を 取り扱った経験が有りますが、不思議な事に本人の意志や覚醒しているかどうかに 関わらず睡眠時でも脳内神経に誘発されるため返事の出来ない赤ちゃんの聴覚検査や 寝たきりになった人の脳幹機能検査(脳死判定)にも使用されています。 つまり寝ていても聴覚神経は反応している、しかも意識が無くなってからも 聴覚神経はしばらく機能し最後まで働いているらしい、、、 まぁ人の悪口を言ってはいけないという事でしょうか。
人生を豊かにする、音楽を聞く趣味はこれからもずっと続け音楽体験を 少しでも増やしていきたいと思っています。(hidekame)2016.01.09