nobuの秘蔵ライヴ音源紹介 第14回
小澤征爾のライヴ音源を振り返る(ベルリン・フィル編 前編)
2024年2月6日、小澤征爾氏が亡くなった。 1935年生まれ、享年88。 2月10日、訃報を伝えるニュースは新聞やテレビ等で列島を駆け巡った。 いつかはやって来るだろうと思っていた事が、いざ現実になってみると、ついに来てしまったか、という無念の思いが強く、ショックは隠せない。
1970年代からレコードを買い集め、同時にFM放送等のエアチェック・ライヴ音源を収集し始めた。 もちろんレコード等の正規録音盤にも名演を多数残しているが、ライヴ音源の方が魅力ある録音が多く、しかも聴いていて面白い。
今回、小澤のライヴ音源を振り返ってみようと思うのだが、とにかく量が多いため、最も相性の良かった(勝手に思っている)オーケストラのひとつ、ベルリン・フィルに絞り2回に分けてご紹介したいと思う。
ちょうど「kakuchanのクラシック音盤リスニング」で、「ベルリン・フィルはアバドよりもマゼールを採るべきだったのでは」との言葉で思い出すのは、当時カラヤン亡き後の指揮者選びが話題となっていて、その第1候補がマゼールだった。 他にハイティンク、バレンボイムなどと並んで小澤の名前も挙がっていて、アバドの選出は予想外だったのである。 私は密かに小澤の就任を期待していたが、結果的にはアバドと票を分けたものの、敗れ、その夢ははかなく散ってしまった。
小澤が初めてベルリン・フィルの定期に登場したのは、1966年9月で、ベートーヴェンの交響曲第1番、ホルヘ・ボレット独奏によるシューマンのピアノ協奏曲、ヒンデミットの画家マティスというプログラムだった。 今のところ、この録音は残っておらず、聴くことが出来ないのが残念だ。 ベルリン・フィルとのFM放送音源で最も古い録音が、1970年ヘンリク・シェリングの独奏によるバルトークのヴアイオリン協奏曲第2番である。 バルトークは1972年、クリストフ・エッシェンバッハの独奏によるピアノ協奏曲第2番の録音へと続く。 情感たっぷりで濃厚なシェリングのヴァイオリン、溌剌として躍動感に充ちたエッシェンバッハのピアノ、小澤の指揮はどちらも力強く自信がみなぎっている。 1973年に演奏されたラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲も記憶に残る名演だ。 キラキラした色彩感、ぐいぐいギアを上げて白熱化して行く「全員の踊り」も圧巻で、まるでニューヒーロー誕生を祝福するかのような聴衆の熱狂ぶりもしっかり伝わってくる。 1975年にはアイヴスの交響曲第4番、ベートーヴェンの交響曲第7番、ベルリオーズのレクイエム、マーラーの交響曲第8番が演奏されている。 どれも素晴らしい演奏だが、ここではやはりマーラーの交響曲第8番を語らずにはいられない。 ベルリン芸術週間25周年記念特別公演で、一流ソリストに加えて、そうそうたる合唱団の顔ぶれも豪華だ。 みなぎる緊張感と圧倒的なスケール感、そしてこの大曲を見事にまとめ上げる小澤の手腕に舌を巻く。 小澤40歳。 この時でなければなし得なかった貴重な記録である。 1977年に交響曲第2番「ウクライナ」、1979年には交響曲第6番「悲愴」とチャイコフスキーが続くが、どちらも若々しく勢いのある演奏で、ベルリン・フィルもしっかり機能している。 付け加えておくと、「悲愴」の前半にはイツァーク・パールマンとのブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番が演奏されている。 パールマンの艶のある美しい独奏に小澤の情熱的なオーケストラが絡み合い、素晴らしい演奏となっている。 その後、チャイコフスキーは交響曲第4番が1988年に演奏され、同じ頃正規録音のCD盤も発売された。 チャイコフスキーは全集になる予定との触れ込みもあったが、結局次に第5番がリリースされただけで続かなかった。 第4番のライヴはスタジオ録音盤よりさらにボルテージが上がっていて、時折暴走しそうになる荒馬をしっかり手綱を引き、ある時は鞭を打ち、白熱の演奏を繰り広げている。 1992年には交響曲第1番「冬の日の幻想」が演奏され、正規盤を含めると第3番を除いて全て聴けた事になる。 この第1番も素晴らしい。 終楽章の弾むようなリズムと、弦、ティンパニ、ブラスの小気味良い掛け合い、他演奏と聴き比べても、こんな素敵なコーダは聴いたことがない。 小澤だけにしか出来ないだろうと思わせる。 小澤の指揮に見事に反応するオーケストラも特筆もの。 1980年には第8番以来ののマーラー、交響曲第1番「巨人」とストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」を挙げたい。 マーラーの「巨人」はみずみずしい感性と情熱に圧倒される演奏で、特に終楽章はオーケストラをフル回転させて爆発的な高揚感で締めくくっている。 「春の祭典」はシャープな切れ味とリズムの冴えも抜群で、やや速めのテンポが全体を引き締め、押し寄せるエネルギー感も見事だ。 1982年はベルリン・フィルの創立100周年記念の特別コンサートを小澤が指揮している。 ツィメルマン、メニューイン、フルニエ、ネルソヴァ、ワイセンベルク、ムターなどをソリストに迎え、名演が繰り広げられた。 この年は他に、ハイドンのオラトリオ「天地創造」、クリスティアン・ツィメルマン独奏によるショパンのピアノ協奏曲第2番とベルリオーズの幻想交響曲、それにマルタ・アルゲリッチを独奏に迎えたラヴェルのピアノ協奏曲とベートーヴェンの交響曲第7番が演奏された。 このアルゲリッチとのラヴェルとベートーヴェンのコンサート映像が、朝日放送制作による「ボクの音楽武者修行」の中で一部分紹介されている。 楽屋裏でアルゲリッチに「終楽章はいつもより20パーセント早く弾いたね。素晴らしい、凄いね」と興奮しながら声を掛けているのだが、疾走するアルゲリッチのピアノに小澤の指揮も素早く反応していて実にスリリングな演奏となっている。 ベートーヴェンの交響曲第7番は、1975年にも演奏されていて、これも名演だったが、82年の演奏はさらにオーケストラの精度が上がっていて、自然な力感も心地よく、しかも爽快な演奏になっている。 その後ベートーヴェンは1987年に第8番、1989年に第2番が演奏されているが、どちらも引き締まった純度の高い響きをオーケストラから引き出していて、小澤&ベルリン・フィルによるベートーヴェン像が見えてくる。 1983年はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」、ギドン・クレメル独奏によるシベリウスのヴァイオリン協奏曲、ブラームスの交響曲第4番、モーツァルトのセレナード第10番とフィッシャー=ディースカウ独唱によるマーラーの「子どもの不思議な角笛」が演奏されている。 クレメルとのシベリウス、ブラームスの第4番も悪くないが、「フィンガルの洞窟」が陰影に富んだ名演で、この時、交響曲の全曲を是非聴いてみたいと思ったものだ。 マーラーの「子どもの不思議な角笛」は8曲が歌われている。 フィッシャー=ディースカウは、流石に往年のような声の張りは衰えているが、力みがなく、自然な歌いっぷりは円熟味を増してうまさは健在だ。 小澤の指揮も流れが良く、柔らかな響きがこの曲の美しさを引き出している。
1984年はカラヤンとベルリン・フィルの関係が最悪になった時期で、異様な緊張感の中、小澤とベルリン・フィルが精力的な活躍を見せた。
(後編に続く)
【ご紹介した主なライヴ音源】
・バルトーク:ヴアイオリン協奏曲第2番(ヘンリク・シェリング)
1970年8月2日 ザルツブルク祝祭大劇場
・バルトーク:ピアノ協奏曲第2番(クリストフ・エッシェンバッハ)
1972年10月25日 フィルハーモニーホール
・ラヴェル:舞踊音楽「ダフニスとクロエ」全曲(ベルリン聖ヘトヴィッヒ教会合唱団)
1973年10月17日 フィルハーモニーホール
・マーラー:交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」
アナベル・バーナード/ゲルティ・ツォイマー/ルーシー・ピーコック/ノーマ・プロクター/マルガ・シムル/
ドナルド・グローブ/バリー・マクダニエル/ジークムント・ニムスゲルン
バイエルン放送合唱団/南ドイツ放送合唱団/北ドイツ放送合唱団/リアス室内合唱団/ベルリン大聖堂少年合唱団
1975年9月18日 フィルハーモニーホール
・チャイコフスキー:交響曲第2番ハ短調「ウクライナ」
1977年4月16日 フィルハーモニーホール
・ブルッフ:ヴアイオリン協奏曲第1番ト短調(イツァーク・パールマン)
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」
1979年11月10日 フィルハーモニーホール
・マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」
1980年2月3日 フィルハーモニーホール
・ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」
1980年2月7日 フィルハーモニーホール
ベルリン・フィル100周年記念特別コンサート
・ショパン:アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ(クリスティアン・ツィメルマン)
・ベートーヴェン:ロマンス第2番ヘ長調(ユーディ・メニューイン)
・フォーレ:エレジー(ピエール・フルニエ)
・ガーシュイン:ラプソディ・イン・ブルー(アレクシス・ワイセンベルク)
・サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン(アンネ・ゾフィー・ムター)など
1982年5月8日 フィルハーモニーホール
・ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(マルタ・アルゲリッチ)
・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調
1982年6月22日 フィルハーモニーホール
・メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調(ギドン・クレメル)
・ブラームス:交響曲第4番ホ短調
1983年6月10日 フィルハーモニーホール
・モーツァルト:セレナード第10番「グラン・パルティータ」
・マーラー:歌曲集「子供の不思議な角笛」(ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ)
①トランペットが美しく鳴り響くところ ②ラインの伝説 ③死んだ鼓手
④この世の生活 ⑤魚に説教するパドヴァの聖アントニウス ⑥番兵の夜の歌
⑦少年鼓手 ⑧塔の中の囚人の歌
1983年12月16日 フィルハーモニーホール
・ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調
1987年6月28日 フィルハーモニーホール
・ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調
1989年9月24日 フィルハーモニーホール
・チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調
1988年5月30日 フィルハーモニーホール
・チャイコフスキー:交響曲第1番ト短調「冬の日の幻想」
1992年9月14日 フィルハーモニーホール