「第3回」モーラ・リンパニー:ピアノリサイタル

・ショパン:24の前奏曲op.28
・ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調op.58
・ショパン:夜想曲ロ長調op.62-1
・ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調op.39
・ショパン:ワルツ第3番イ短調op.34-2
・ショパン:練習曲第5番変ト長調op.10-5「黒鍵」
・ショパン:ワルツ第11番変ト長調op.70-1
(1992.4.3 サントリーホール)

長年エアチェックを続けていると、思いもよらない名演奏に出会うことが度々ある。この時がまさにそうだった。懐かしい名前に惹かれてテープを回し始めてから、いつの間にか驚きと感動に満たされていく時間(とき)に浸っていたのだ。それはモーラ・リンパニーが1992年に来日した折の演奏である。モーラ・リンパニーは1916年イギリス、ソールタッシュで生まれ、2005年フランス、マントンで亡くなった女流ピアニストである。リンパニーといえば、60年代初めに録音されたサージェント指揮によるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の演奏が印象に残っている程度で、さほど注目もしていなかった。それどころか過去のピアニストと思っていたほどである。それから約30年が経って初来日したリンパニーは、指折りの名ピアニストに変貌していた。1992年6月にはイギリス王室女王陛下から男性の“サー“に相当する“デイム“の称号を授与されている。

この夜はオール・ショパン・プログラム。前半の「24の前奏曲」は一曲、一曲が無駄のない生命力に溢れた、若々しさと瑞々しさが湧き出てくるような演奏で、その語り口のうまさにどんどん引き込まれてしまった。後半の1曲目はピアノ・ソナタ第3番が演奏された。第1楽章はポリーニやアルゲリッチのように強靭な技巧に支えられた鋭く、クリアな演奏とは違い、とにかく音色が温かいのだ。語りかけるような一瞬一瞬の間も素晴らしい。軽快で溌剌とした第2楽章から、第3楽章は美しさの奈落へ落ちていくような夢心地の世界へと誘う。そして終楽章はこれまでの集中力が途切れることなく、さらに内に秘めた情熱が一気に爆発したかのようにのびのびと歌い、豊かな広がりを持ってコーダへ突き進む。これは圧巻だ。この演奏を聴くと、このソナタがどんなに傑作かが良く分かる。名曲にはそんな名演奏が必要なのだとつくづく思う。この後、夜想曲第1番、スケルツォ第3番と続き、アンコールとしてワルツ第3番、練習曲第5番「黒鍵」、ワルツ第11番が演奏された。優しく、ささやくような美しさが際立った夜想曲第1番、力強い表現力と生命力に溢れたスケルツォ第3番、叙情的なロマンティシズムが噴出するワルツ第3番、若々しい躍動感が心地良い練習曲第5番「黒鍵」、ワルツ第11番。どれも素晴らしい。この夜のリンパニーは、音色の美しさ、温かさもさることながら、スケールも大きかった。単に音量で圧倒するようなスケール感とは違う。奏でる音楽そのものが大きいのだ。ショパンの詩情がこれほど心に響く演奏というのも、めったにあるものではない。

リンパニーは結婚して家庭生活に入り、長い間引退のような状況が続いていたという。こうしてリンパニーの演奏を聴いていると、この家庭に入った経験がリンパニーを人間的な温かさややさしさ、力強い表現力を生む要素を作り出し、それが音楽に反映されているように思う。人の心を和ませる温かな音色はリンパニーの最大の武器だったのではないだろうか。

私も1994年の3回目の来日公演を聴くことが出来た。結果的に最後の来日公演になってしまったわけだが、期待通りの名演奏を披露してくれた。アンコールで演奏されたドビュッシー「月の光」の吸い込まれるような透明感と温かさ、そして弱音の美しさは、今でも脳裏に焼き付いている。リンパニーは2年後の80歳の誕生日には是非日本で過ごしたいと言っていた。しかし、指の怪我で来日が中止となり、その後リンパニーの演奏は永遠に聴く事ができなくなってしまった。指の怪我がなければもっともっと円熟の演奏を聴かせてくれたはずだ。現在リンパニーのようなピアニストが見つからないことを考えても、誠に残念でならない。このライヴ録音は、私にとってかけがえのない宝物である。2012.11.10

(2008.10.11 「ライヴ録音から選んだ“私の好きな名曲・名演”を集めて」で紹介)