第13回  ポーランドの名匠ヤン・クレンツのライヴ音源

・チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」
  ヤン・クレンツ指揮フランクフルト放送交響楽団
    (1973.1.26 ヘッセン放送協会大ホール)
・ラフマニノフ:交響曲第2番ホ短調op.27
  ヤン・クレンツ指揮ケルン放送交響楽団
    (1982.3.19 ケルン放送協会大ホール)
・ドヴォルザーク:交響曲第7番ニ短調op.70
  ヤン・クレンツ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団
    (1994.3.20 ザールブリュッケン、コングレスハレ大ホール)
・ベルリオーズ:ハンガリー行進曲(劇的物語「ファウストの劫罰」から)
  ヤン・クレンツ指揮ベルリン交響楽団
    (1997.2.6 ベルリン・コンツェルトハウス)

今年(2021年)の3月名指揮者ジェームズ・レヴァインが77歳で亡くなった。 早すぎる訃報は新聞、ニュース等で報じられたが、方や同じ3月に100歳で亡くなったバロック音楽の大家ヘルムート・ヴィンシャーマンについては、ほとんど報じられることもなかった。 ヴィンシャーマンのように、さしたる扱いもなくひっそりとこの世を去る演奏家も少なくないが、ヤン・クレンツもその一人。 昨年を振り返ってみると、友人からの知らせを受け、クレンツの訃報を知ったのは、しばらく経っての事だった。 幸い私はクレンツの生演奏を一度だけ聴く機会に恵まれた。 それは1996年3月2日。 この日、私は所用で友人とふたりで上野に来ていた。 その後クレンツ指揮の演奏会がある事は知っていたが、チケットは買っていなかったので、池袋へ直行、当日券を求めて売り場へ行くと、すんなり購入する事ができた。 読売日本交響楽団の芸術劇場シリーズの第22回で、メインプログラムはベルリオーズの幻想交響曲。 これが凄かった。 とにかく情熱的でパワフル。 きらきらと輝く色彩感に圧倒される名演だった。 終演後ロビーで再会した私たちは、歩み寄るなりにっこりと握手、この時私たちが同じ感動を共有した瞬間だった。

ヤン・クレンツは1926年7月14日、ポーランドのヴウォツワヴェク生まれ。 ワルシャワ音楽院でピアノや作曲を学び、1946年にボズナニ・フィルを振って指揮者デビュー。 翌年にウッチ音楽院を卒業。 1953年〜67年ポーランド放送響の首席指揮者、1968年〜73年ワルシャワ国立歌劇場の音楽監督、1979年〜82年ボン市の音楽総監督などを歴任。 日本には1963年にポーランド放送響と初来日し、その後読売日本交響楽団、札幌交響楽団などを指揮している。 2018年に音楽アカデミー名誉博士号を獲得。 2020年9月15日に94歳で亡くなった。 ヴィトルド・ロヴィツキやパウル・クレツキ、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ等を輩出しているポーランド出身の名匠である。
今回はクレンツが残したライヴ音源から年代順に代表的な名演奏をご紹介したいと思う。
70年代は1973年のライヴ、チャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」を取り上げたい。 オーソドックスなスタイルながら、ところどころでメリハリを利かせ、美しさと力強さを巧みに引き出した演奏で、この曲の魅力をはじめて知ったのもこの演奏を聴いてからだった。 この時クレンツ46歳。クレンツという指揮者に注目する切っ掛けとなった演奏でもある。 80年代はそれから9年後の1983年のライヴ、ラフマニノフの交響曲第2番が真っ先に思い出される。 第1楽章の冒頭から情感たっぷりに歌い上げ、第3楽章のアダージョでみずみずしいロマンティシズムの頂点を築き上げる。 そして第4楽章は起伏の大きな壮大なコーダで締めくくっている。 全体に弦楽器、管楽器の美しさが際立っているが、ダイナミックなスケール感も見事だ。 この名曲の隠れた名演のひとつ。 90年代はさらに12年後の1994年のライヴで、ドヴォルザークの交響曲第7番。 きりりと引き締まった響きは、切れ味が鋭く、スケールが大きい。 終楽章の推進力にあふれた熱気も素晴らしい。 従来の演奏とはひと味違う魅力を充分に伝えているが、民族色が云々という前に、一シンフォニーとして捉えた完成度の高い演奏で、充実したサウンドに魅了される。 最後にもうひとつ。 ベルリオーズのハンガリー行進曲だが、これは「ファウストの劫罰」から「鬼火のメヌエット」「妖精の踊り」「ハンガリー行進曲」の3曲をベルリン交響楽団と演奏したもので、残念ながら放送もこの3曲のみだった。 前半の2曲も美しい演奏だが、圧巻はハンガリー行進曲で、豊潤な響きと、凄まじいほどのパワーを持った推進力でコーダに向かって突き進む凄みのある演奏で、なかなか聴く事の出来ない超名演。

もともと正規録音が極端に少ない指揮者だが、現在現役盤はグリュミオーと共演したメンデルスゾーンのホ短調と二短調のヴァイオリン協奏曲、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲と憂鬱なセレナードの2枚のアルバムしか見当たらない。 どちらもクレンツ指揮ニュー・フィルハーモニア管の演奏である。 もう一枚、シェリングと共演したヴィニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第2番をカップリングしたアルバムがあった。 こちらはクレンツ指揮バンベルク交響楽団の演奏で、もちろんシェリングのヴァイオリンは素晴らしいのだが、クレンツの精緻な棒さばきも特筆ものだった。 現在は廃盤のようなので、このアルバムは是非復活してもらいたい(NMLでの配信はこちら)。
過去のライヴ音源のCD化が進む昨今、クレンツの埋もれたライヴ音源のCD化を是非実現してほしいと願っている。