ルーマニアの名指揮者 エーリッヒ・ベルゲル指揮バイエルン放送交響楽団演奏会

 シューベルト:交響曲第2番変ロ長調
 ハルトマン:交響曲第4番(弦楽オーケストラのための)
 ブルックナー:交響曲第2番ハ短調
 1978年3月16日 ミュンヘン、ヘルクレスザール

ルーマニア出身の名指揮者エーリッヒ・ベルゲルについては、「カラヤニストのコンサート漫遊記」でも初来日時の演奏が紹介されているので、興味を持たれた方もいるかも知れない。 今回はベルゲルがバイエルン放送交響楽団を指揮した貴重なライヴ音源をご紹介したいと思う。
エーリッヒ・ベルゲルは1930年、ルーマニアのトランシルヴァニア地方のローゼナウに生まれた。 ルーマニア出身の指揮者というと、真っ先に思い浮かぶのが、セルジュ・チェリビダッケだが、他にもコンスタンティン・シルヴェストリ、セルジュ・コミッショーナ、クリスティアン・マンデアルなど、優れた指揮者が少なくない。 音楽一家に生まれたベルゲルは、幼少からヴァイオリンとピアノ、フルートなどを学び、クルージュ音楽院で作曲と指揮を修得、1955年卒業後すぐにクルージュ・フィルの首席指揮者に迎えられた。 1972年ドイツ国籍を取得して本拠をドイツに移し、ベルリンのカラヤン・アカデミーで後進の指導に当りながら、ヨーロッパ各地への客演活動を活発化していった。 一時期北西ドイツ・フィルの音楽監督もつとめたが、1971年に初めて指揮して以来、ベルリン・フィルにはたびたび客演。 他にもバイエルン放送交響楽団、オーストリア放送交響楽団、ロンドン交響楽団、ロイヤル・フィル、BBCウェールズ交響楽団などもっぱら各地での客演指揮に専念している。 日本にも1975年に読売日響への客演で初来日、1982年にはNHK交響楽団にも客演しているが、この時の演奏は、NHK-FMの「N響ザ・レジェンド」でも放送されているので、お聴きになった方も多いと思う。 ベルゲルは1998年に68歳で亡くなった。
今回ご紹介するのは、1978年3月16日にミュンヘンのヘルクレスザールで行われた演奏会のライヴ録音である。 一夜のコンサートとしては、今日では考えられないようなボリュームだが、ベルゲルを知るうえでは、格好の選曲だと思う。
シューベルトの交響曲第2番は1815年18歳の時に書かれた作品だが、生き生きとしたリズムと若々しい弾むような躍動感を持った演奏で、シューベルト18歳の「青春」が見事に蘇ってくる。 この指揮者の卓越したセンスの良さが光る素晴らしい演奏である。 ミュンヘン生まれのドイツの作曲家カール・アマデウス・ハルトマン(1905-1963)は生涯8曲の交響曲を残し、20世紀ドイツ最後の交響曲作家とも言われている。 作品は常にナチスへの怒りから生まれているが、第4番は弦楽合奏による3楽章の作品で、1938年に作曲された「ソプラノと弦楽合奏のための交響曲」の独唱入りの楽章を外し、新たに1楽章を追加する形で、1947年に完成されている。 ベルゲルの演奏は、研ぎ澄まされた弦が、ピーンと張りつめた緊張感に包まれ、ゾクッと背筋が凍るような冷たい感触がある。 えぐるような鋭さを持った、凄みのある弦楽器群に圧倒される名演である。 最後はブルックナーだが、ベルゲルは、1975年の初来日時には読売日響と第7番を、1985年N響客演時には第1番を演奏している。 このバイエルン放送交響楽団との第2番は、最終稿と第1稿を使ったハース版による演奏で、自然体で進みながら、のびやかに歌い、オーケストラの響きも引き締まっていて、清らかな美しさ、伸びやかに膨らんでいく力感など、この曲の魅力を見事に引き出している。 第2番は第3番以降の作品に比べると第1番、第0番と共に演奏頻度の低い作品だが、このベルゲルの名演奏は、もっともっと演奏機会に恵まれても良い、素敵な作品だと思わせてくれる。
現在ベルゲルの正規録音はほとんど見当たらず、唯一、トランシルヴァニア・フィルを振ったブラームス交響曲全集が残されているが、入手困難な状況なのはとても残念だ。是非もう一度復活してほしいものである。

エーリッヒ・ベルゲル

エーリッヒ・ベルゲル

エーリッヒ・ベルゲル

ミュンヘンのヘルクレスザール(1995年著者撮影)

ミュンヘンのヘルクレスザール(1995年著者撮影)