「第7回」ミラン・ホルヴァート指揮ベルリン交響楽団演奏会

マーラー:交響曲第8番変ホ長調「千人の交響曲」

ミラン・ホルヴァート指揮ベルリン交響楽団  マグダレーナ・ハヨショヴァ(sop)、ダグマール・シュレンベルガー(sop)  ビルギット・フィニレ(alt)、ダフネ・エヴァンゲラートス(alt)  ヴェルナー・ホルヴェーク(ten)、ユルゲン・クルト(bar)、 ヘルムート・ベルガー=トゥナ(bas)  ベルリン放送合唱団、ベルリン放送児童合唱団  (1987.4.13 ベルリン、シャウシュピールハウス)

クロアチア(旧ユーゴスラヴィア)出身の指揮者というと、 多くの方々がN響への客演でおなじみの巨匠ロヴロ・フォン・マタチッチを 真っ先に思い出すに違いない。 ここにもうひとり、1919年7月生まれ、2014年1月1日に93歳で亡くなった、 やはり同じクロアチア出身のミラン・ホルヴァートという指揮者が いた事をご存知だろうか。 ホルヴァートの最も重要なポストは1969年から1975年まで務めた、 オーストリア放送交響楽団(現ウィーン放送交響楽団)の初代首席指揮者の地位である。 このオーケストラをトップレベルに育て上げた手腕は高く評価されるべきで、 その後はザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団の終身名誉首席指揮者、 グラーツ交響楽団の音楽監督の他、ヨーロッパ各地のオーケストラに客演して、 常に質の高い演奏を聴かせてくれた名匠だった。
一般的には録音も少なく地味な印象のホルヴァートが、 一度一部の音楽ファンの間で脚光を浴び、大きな話題になった事がある。 それは1989年スロヴェニア・フィルを指揮したマーラーの交響曲第2番 「復活」のライヴCDが“素晴らしい名演”と評判になったからである。 ワゴンセールで置いてあるようなマイナーレーベルのCDだが、 口コミで評判が一気に広がったようだ。 決して一流と認められてはいないこのオーケストラから、 信じられない程豊かな音を引き出していた。

Horvat

今回ご紹介するマーラーの交響曲第8番は、1987年4月13日、 ベルリンのシャウシュピールハウスで、かつての名匠クルト・ ザンデルリンクが率いていた旧東ドイツのベルリン交響楽団を指揮した 演奏会のライヴ録音である。 交響曲第8番はマーラーの交響曲の中でも難曲の一つだ。 第1部が“宗教的な讃歌”なのに対し、第2部はゲーテの「ファウスト」 第2部終幕の場から採られた、オペラ的な要素を持ったオラトリオとも言える。 いわば全体を掌握するのに大変苦労する作品だ。
「千人の交響曲」と呼ばれる程大規模な作品のため、 力で圧倒するスケール感だけに注目されがちだが、 第1部はそれで通用するとしても、第2部はそれだけでは通用しない。 第2部には人間の心の襞を表現するような、叙情的な美しい部分が 随所にちりばめられているからである。 ホルヴァートの演奏は第1部は讃歌らしく祝典的な高揚感が素晴らしい。 決して力で圧倒するような演奏ではなく、独唱、合唱、オーケストラの一体感から 押し寄せる熱気が凄い。 第2部は冒頭からオーケストラの深淵な響きに心を奪われる。 随所で聴かれる叙情的な歌は感動的に鳴り響き、この指揮者の芸の広さを 痛感する事になる。 「神秘の合唱」は天上の音楽そのものだが、この美しい静けさから、 一気に上り詰めるコーダは、さすがにスケールが大きく、自然な開放感に満ちた 壮麗なクライマックスを築きあげている。 この演奏のもうひとつの素晴らしさが、最後まで緊張感を失う事のない独唱陣、 合唱陣の熱唱である事を付け加えておきたい。 この作品の記憶に残る名演のひとつである。
ホルヴァートは90歳を超えるまで現役で活躍していたらしい。 わが国へは1966年スラヴ歌劇団の指揮者のひとりとして一度来日しているが、 その後はわが国で聴く機会は最後まで失われたままだった。 ドレスデン・シュターツカペレとのドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、 オーストリア放送響との同じドヴォルザークの交響曲第6番、 チェルカスキーを迎えたリストの「死の舞踏」、 スイス・イタリア語放送管とのシューベルトの交響曲第6番など、 残されたライヴ音源は素晴らしい演奏ばかりだ。 忘れられない名指揮者のひとりである。2015.12.02