特別企画 第3回「蘇る ”往年の名演奏”」
日 時:2022年9月10日(土) 午後2時〜午後4時30分
場 所:龍ケ崎市市民活動センター2階大会議室
講 師:新忠篤氏(オーディオ研究家、元フィリップスレコード・オランダ本社副社長)
当日配布したプログラムはこちら
コロナ禍で3年ぶりにオーディオ研究家の新忠篤氏に登壇いただきSPレコード、初期LPによる当時のエピソードをふんだんに盛り込んだ講演会を開催しました。 音楽を聴き込めば全くSPの針音が気にならないのを実感し、初期LPによる音と音楽の素晴らしさを堪能した講演とコンサートとなりました。(fumi)
ご紹介預かりました新と申します。 あまり良く覚えていないのですが今日は第8回目になるのだそうです。 もうびっくりしているところです。 コロナ禍でご無沙汰しておりました。 佐貫駅が龍ヶ崎市駅に名前が変わっていました。 今回声をかけていただいたnobuさんから今回のプログラムをどうしようかということで、私もグッディーズでダイレクトトランスファーCD-Rをやっており、SPないし、LPの商品の名演奏を復刻するシリーズをやってきました。 それで龍ヶ崎ゲヴァントハウスさんからのリクエストによるCDコンサートにする事になりました。 プログラムの大方はリクエストいただいたもので、それを並べ替えたり、1楽章になっていたのを全曲にしたり、多少手直しをして出来上がったのが今回のプログラムです。 私としては気が大変楽でした。 自分だけでプログラムを作るのは結構大変なのです。 多分わかっていただけると思います。
それでは早速ですけども最初の1曲目ですね。 これはヨーゼフ・ラフの「カヴァティーナ」ですね、SPレコードではなくて、初期のLPレコードの復刻です。 演奏者は、ご存知の巌本真理さん。 日本が産んだ女性ヴァイオリニストのトップです。 巌本真理さんの時代は日本人のアーティストのレコード化が非常に少ないのです。 ヴァイオリンに限らず、ピアノも少ないです。 ですから、巌本真理さんが最初に録音されたのは第2次世界大戦の最中です。 戦後1951年に渡米しジュリアード音楽院でバーシンガー、エネスコに師事し研鑽を積み翌年帰国しました。 今でしたらそこで協奏曲をいっぱい録音すると思うのですが当時のレコード会社はそういうことを考えなかったと思うのですね。 録音は当時のメジャーレコード会社のコロンビアやビクターでなく、新興レコード会社であった東京芝浦電気レコード(後に東芝EMI)で録音されました。 ラフの「カヴァティーナ」ですが作曲者ラフの経歴はよく知りませんでした。 お配りした曲目解説に書きましたがラフはリストの演奏会を聴き感動してリストの追っかけをやってリストの助手となり名を成したようです。 ラフの作品は他にも沢山あるのですけれど、現在演奏されるのは「カヴァティーナ」ぐらいです。 それでは巌本真理さんの演奏を聴いてもらいます。 1958年の録音です。 東京芝浦電気レコードがスタートしたのは1956年ですので、創立2年後に録音されたものです。
- ラフ:カヴァティーナ作品85-3
巌本真理 (ヴァイオリン)/鷲見五郎(ピアノ)、1958年発売のモノラルLP録音
2曲目はサラサーテの「序奏とタランテラ」、サラサーテは「ツィゴイネルワイゼン」の作曲で有名ですけど19世紀の半ばから演奏家として活動を始めました。 自身バイオリニストですけど、もちろん作曲家としても有名ですね。 この「タランテラ」他たくさんあります。 レコード録音は1904年、 SPの初期ですね、今世紀の初めに10枚ほど録音したものがあります。 これはお聴きになった方もいらっしゃるかと思います。 しかし、例えば「ツィゴイネルワイゼン」なんかでは有名な第2部がカットされて、第1部と第3部だけで中間部がないのです。 美しいメロディーがカットされています。 そんなこともあるのですけども、サラサーテはバイオリンの名手でしたのでこの時代の大作曲家、ラロとかサン=サーンスとかブルッフとかそういった人たちがサラサーテに弾いてもらおうと曲を献呈しています。 スペイン交響曲、これの初演もサラサーテがやっています。 そんなことで、サラサーテという名前は非常に通っていました、もちろん「ツィゴイネルワイゼン」のあの美しいメロディーがあったからこそです。
今日聴いていただくのは辻久子さん。 この方、先ほどの巌本真理さんと同年代ですが、関西、大阪で活動していて、この辻久子のお父さんがですね辻吉之助というバイオリンの先生であり、バイオリン奏者だったんですが、非常に厳格な指導をしてですね、バイオリン教室を主宰しても、もうその指導の激しさのため、弟子が大体2回か3回でやめてしまうということで、娘の久子さんだけがお父さんの指導を最後まで受けたようです。 吉之助自身は大正時代にもやっぱり結構ですね、能力があって、これは僕も初めて聴いてグッディーズでCD化しました、娘の辻久子が弾いたのが3曲ばかりありましたので、それも一緒に復刻CD化しています。 それで、この辻吉之助さんと辻久子さんのその関係はですね、TVドラマ「弦鳴りやまず」だったり、あるいは小説「道なき道」、織田作之助ですね。 これ Amazonで買えます。 辻久子さんのレコーディングはすごく少ないのです。 お聴きいただくのは昭和18年の録音です。 ここで「ニッチク」というレーベル、これは日本コロンビアの戦時中の名称です。 「コロンビア」は外国語なので使えなかったのです。 日本蓄音機協会「ニッチク」への録音を2曲。 それから国際文化振興会とかっていうこれは日本の有望な演奏家たちの演奏を国策として録音したものが昭和18年頃に出たのですね。 そこに1曲あって、 SP 時代に3曲しか録音してない。 戦後のLP時代にも録音がないのです。 でも辻久子という名前は、大変よく知られていて、なんとですね、デジタル時代になって LP が2枚出てきた。 その LP はポリスターという会社で録音されています。 それは CD 化されていますので入手することができるのですけどそれは後年になって録音したものです。これからお聴きいただくこの録音は辻久子が18歳の時の録音です。 非常に激しいきつい指導のもとで行われています。 レコード会社が考えているギャラと吉之助さんの考えているギャラが合致しないためにレコード録音が成立しなかったようです。 それで、わずか3曲だけとなっています。 けれども演奏会が13歳の頃からでこの録音も18歳でした。 そのわりに名前が通っているのはドラマになったり小説なったりがあったからだと思われます。 真剣に辻久子を聴いたのはこのSP の復刻を通じてでしたがちょっとびっくりしました。 それではサラサーテの「序奏とタランテラ」を聴いていただきたいと思います。
- サラサーテ:序奏とタランテラ 作品43
辻 久子 (ヴァイオリン) 田中園子 (ピアノ)、1944年のSP録音
昭和19年にしては良い録音だと思います。 レコードは少ないのですが辻久子さんの評価について、コンクールの審
査員として来日した外国のアーティスト、レオニード・クロイツァー、日本でも活躍したピアニストですけども、彼が評するに「自分は13歳の ミシャ・エルマン(Vn)の演奏を聴いたことがあるがその時のエルマンの演奏はこの少女以上でも以下でもなかった」と激賞しています。 ヤッシャ・ハイフェッツにしても13歳でこれほど弾けたか疑問だという評もあります。 めちゃくちゃな褒め方 です。 それから日本で新響(N響の前身)を指揮していたドイツの指揮者ヨーゼフ・ローゼンシュトックは「あの子は悪魔の子だ」と絶賛しているわけですね。 この曲を聴いても、その言葉が裏付けられているような気がしました。 このニッチク盤は A面B 面とも辻久子さんなのですが、国際文化振興会レーベルから同じ頃に出たレコードはA面に巌本真理、B面に辻久子となっています。 ある時「ポーランドから辻久子の録音が出ているじゃないか」と問い合わせがグッディーズにありました。 「A面に辻久子は入ってないのか」の問い合わせなのですがその曲は辻久子録音していないですね。 それで「A面は巌本真理だ」と言ったら問合せ者はちょっとがっかりしていました。 そういうことで極めてレアな演奏ここで披露しました。
3曲目はワルツ王のヨハン・シュトラウスの作品です。自分の作曲した作品を、自分が組織した楽団で広めてヨーロッパに演奏旅行をしてきて、春の声というのは歌付きのワルツでこれ歌っているのはエルナ・ザックというソプラノが歌っています。 エルナ・ザックは1892年生まれでドイツのナイチンゲールと言われた歌手でした。 いわゆる戦前の歌唱法ですけど、どれほど人気があったのか聴いてみてください。 指揮をしているのは戦後ずっと活躍しましたハンス・シュミット=イッセルシュテット、ドイツの指揮者です。 これは私事になりますけど、僕がオランダ-フィリップスに行ったときですね、どういうものを録音するかっていう選定会議にシュミット=イッセルシュテットの息子さんがいました。 DECCA出身のエリック・スミスっていう人でした。 その人とこれを録音しようとかっていう話を常日頃やらせていただいたすごく素晴らしい人なのですね。 彼が小澤征爾とか内田光子の才能を見て、これはどうしてもやらなきゃいけないと言っていました。 彼なくして現在のような小澤征爾とか内田光子はなかったかもしれません。 シュミット=イッセルシュテットの奥さんはユダヤ系の人で当時ヒットラーの台頭とユダヤ人迫害を逃れロンドンへ子供を連れて移ったようです(イッセルシュテット自身はドイツに留まったようです)。そんな事情もあり息子のエリック・スミスはロンドンで勉強したそうです。 この様に戦時中のいろいろな事情があるという事です。
- ヨハン・シュトラウス2世:春の声 作品410
エルナ・ザック (ソプラノ)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団、1935年4月2日のSP録音
ハイの伸ばし方がすごいですね。曲芸師みたいですね。 オペラの中ではなかなかこういうことなんかできませんのでシュトラウスの曲なんかを好んで録音したアーティストの1人です。
4曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲の1番です。 先ほどブルッフのヴァイオリン協奏曲をサラサーテが初演したと言ったのはこの1番じゃなくて2番です。 この1番はですね当時のヴァイオリン名手、ヨーゼフ・ヨアヒムによって初演されました。 ヨアヒムの助言を得てブルッフは完成させています。 聴いていただくのはゲオルク・クーレンカンプ(Vn)。 彼はユダヤ人ではなかったので戦時中のドイツで活躍できた非常に数少ないヴァイオリニストの一人で彼が録音しています。 戦後イギリスのDECCAに同じ曲をカール・シューリヒト指揮チーリッヒ・トーンハレ管弦楽団ともう一回録音しています(1947年)。 聴いていただくのは日米開戦の年、昭和16年(1941年)録音されたもので全曲通して聴いていただきます。
- ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第 1番ト短調作品26
ゲオルク・クーレンカンプ (ヴァイオリン)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、1941年ベルリンでのSP録音
5曲目はベルリオーズの幻想交響曲、ブルーノ・ワルターの指揮です。 ワルターは1934年にナチスのオーストリア侵
攻でユダヤ人の彼は身の危険を感じてウィーンを離れます。 最初パリに少しいてそれからロンドンに渡って最終的にはアメリカへ行って市民権を取ります。 ウィーンからパリに移った時にレコード会社が彼を追っかけてパリ管弦楽団でベルリオーズの幻想交響曲を録音しないかと素晴らしい提案をした訳です。 彼はそれを受けたのです。 ワルターはHMVのアーティストなのです。 日本は日本コロンビアのレコード製造上の特許をHMVに提供した見返りに、ワルターの録音を全部日本コロンビアで発売する権利を得ていました。 ところが、この幻想交響曲はHMDの係の人が間違って原盤をビクターへ送ったらしいのです。 それで、ビクターは黙ってプレスして出しちゃった。 すぐ発売中止になって商品は回収されました。 ですから、ビクタープレスのビクターレーベルのワルターによる幻想交響曲が僅かながら存在するわけです。 もちろん後で日本コロンビアから発売されました。
それではベルリオーズの幻想交響曲第5楽章を聴きます。 いつものベルの音、金の音がちょっと違います。 ピアノと何かでベルを使っていません。
- ベルリオーズ:幻想交響曲作品14より第5楽章:魔女の祝日の夢
ブルーノ・ワルター指揮パリ音楽院管弦楽団、1939年5月19-20日パリ、ピギャール劇場でのSP録音
ワルターはLP時代にベルリオーズの幻想交響曲を録音しなかったのでこのSP録音だけとなります。 もう一つワルターが名曲の中でSP録音だけしか残さなかったのはチャイコフスキーの悲愴です。 しかもこのSP録音はラッパ吹込みで電気吹込みもLPもありません。
6曲目はプロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を聴いていただきます。 プロコフィエフは高名な作曲家ですが自身がピアノの名手でもありピアノ協奏曲を書いています。 実際にプロコフィエフの演奏が聴けるのはこのSP盤だけです。 プロコフィエフは1918年のロシア革命のときにロシアを離れてシベリア鉄道に乗って日本経由でアメリカへ移住したのです。 日本にも何ヶ月か滞在したらしいのですけども、実はその滞在期間中に日本の音楽に触れる機会があったそうです。 実は日本で聴いた印象的な音楽「越後獅子」のメロディーがピアノ協奏曲の第3楽章に少し出てきます。 それよりプロコフィエフのピアノ演奏は凄いなと、一聴に値するなと思います。 この録音はヨーロッパに戻って来て1932年にロンドンで録音されたものです。 素晴らしいプロコフィエフ本人のピアノ演奏が聴けます。
- プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26
セルゲイ・プロコフィエフ (ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮ロンドン交響楽団、1932年6月28日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオでのSP録音
7曲目は有名なドップラーのハンガリー田園幻想曲でこれの全曲版です。 SPの初期にモイーズによる2面の縮小版が出て大ヒットしています。 それで全曲版(4部作)を出した訳です。 1934年にロンドンで録音されたものです。 戦後モイーズの弟子ジャン=ピエール・ランパルも録音しています。
- ドップラー:ハンガリー田園幻想曲作品26
マルセル・モイーズ (フルート)/ルイ・モイーズ (ピアノ)、1934年5月24日ロンドンでのSP録音
8曲目はフランス歌曲、ガブリエル・フォーレの「夢のあとに」を聴いていただきます。 原曲はこれから聴くのですけども、チェロとピアノ版もあって人気があります。 歌っているのはマギー・テイストという、これはイギリス出身のソプラノ歌手です。 なぜイギリス人がフランス歌曲を歌っているのかというとパリでジャン・ド・レスケの薫陶を受けたんですね。 ドビッシーのペリアスとメリザンドの初演を歌ったメアリー・ガーデンもイギリス出身のソプラノでしたがマギー・テイストはその後継者として活躍した人です。 日本ではあまり有名でないのは第二次世界大戦の影響で、これも1941年録音ですから昭和16年、日本では発売されませんでした。
- フォーレ:夢の後に
マギー・テイト (ソプラノ)/ジェラルド・ムーア (ピアノ)、1941年3月26日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
それでは9番目の今日最後の曲、ベートーヴェンの交響曲第7番です。 指揮をしているポーランド出身のルネ・レイ
ボヴィッツは実は作曲家なのです。 20世紀の初頭に活躍した現代音楽の作曲家、シェーベルクとかウェーベルの影響を受けて作曲していましたが指揮者としても活躍しました。 戦後指揮者としてマイナーレベルに多少の録音していたのですけど、実は1960年代、私も学校を卒業して、日本コロンビアに就職する直前なんですけど、リーダーズダイジェストっていう本の出版社から突然ですねベートーヴェン交響曲全集LPが箱で発売されたのですね。 ベートーヴェン交響曲全集となると大体有名な指揮者が多いわけですから、そこでレイボヴィッツの指揮と書いてある、これ何?っていう感じですね。 とにかく買って聴いてみよう、買っても7万円ぐらいで結構高いのです。 学生時代は親の脛を齧っていたのですけど、就職して給料をもらうようになってから、無理して買って聴いてみたらスッゴイ新鮮な響きがあったのでびっくりして皆んなに話していました。 実は学生時代早稲田大学に在籍していたのですけど、そこの音楽同好会というクラッシック音楽の鑑賞会みたいなのに属していたのです。 この龍ヶ崎ゲヴァントハウスでも時々来て講演している東条碩夫さんは同級生で音楽同好会の仲間です。 東条さん、学部は違うのですけども、友達になって同じ目黒区に住んでいましたのでお互いの家を行き来していろいろレコードの話をしたりオーディオの話をしたりしていました。 彼はオペラが大好きでワーグナーに入れ込んでいたのですが、僕はどちらかっていうと、器楽が好きで当時はヴィヴァルディが大好きでした。 全然好きなものが違うのですけど、彼とはずっと仲良くしてもらいました。 彼は卒業して放送局に僕はレコード会社に入ったということになりました。 卒業してからはあまり行き来がなかったのですけれども、どういうわけか龍ヶ崎 ヴァントハウスにどちらも講師として招聘していただいております。 彼は今も音楽評論家として演奏会の秘宝をネットで流していてすごく大活躍しています。 真面目なすごく真面目な男です。
それではベートーヴェンの交響曲第7番の第4楽章を聴いていただきます。 これ、激しく素晴らしい演奏です。 ちょっと音量上げ気味で再生してください。
- ベートーヴェン:交響曲第 7番イ長調作品92より第4楽章:アレグロ・コン・ブリオ
ルネ・レイボヴィッツ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
(1961年4月5-7日ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホールでのステレオ録音)
いわゆる伝統的なベートーヴェンの演奏とは違ったものです。 ベートーヴェンの楽譜をよく読み込んで解釈し演奏
していると思います。 カラヤンとも違うし、ワインガルトナーとも違う。 新しい世界を見たような気がします。 もう60年近く前の演奏をリクエストしていただいたことを大変嬉しく思います。
ところで現在オーディオ・システムというのはあまりにも高すぎるのですね。 アンプでも100万、200万円は珍しくなく1000万ぐらいの装置もあります。 スピーカーとかも500万以上そんなものですね、それが堂々とオーディオ冊子に載っています。 呆れます。 職業柄そういうのを聴かせていただくチャンスはありますけれども、私はオーディオ評論家じゃないのでそういうものを聞いても一切それにコメントしないようにしています。 私自身オーディオ6〜70年やっておりますが最近やっているのは、いかにお金をかけないで音楽を楽しむかということをやっております。 昨今コロナ禍で外に出られませんけど自分でそういうものをやって、例えばプレイヤー、アンプ、スピーカーのトータルで3〜5万円のシステムでも音楽を充分楽しめるんですよと。 チャンスがあったらぜひその様な装置を紹介しますので聴いていただきたいと思っております。 本日はご参加いただきありがとうございました。