「二つの“プロコフィエフ・交響曲第6番”」 - 秘められた戦争の悲惨さと平和への願い -

日 時:2017年06月17日(土) 午後2時~午後4時15分
場 所:竜ヶ崎ショッピングセンター・リブラ 2階 「旧映画館」
講 師:竹森道夫氏(元NHK交響楽団音楽企画部長)

今年2回目の特別企画はNHK音楽プロデューサー、 NHK交響楽団演奏企画部長としてご活躍された竹森道夫氏をお招きし 講演会とコンサートを開催しました。

氏は1980年代終わりから1993年にかけて世界に日本の美しい映像技術を紹介すべく 世界の歌劇場でNHKハイビジョンによるオペラ収録を企画され、 ザルツブルグ音楽祭、ウィーンフィル・ニューイャーコンサート、 サントペテルブルクのマリインスキー劇場(キーロフ劇場) それにニューヨークのメトロポリタン歌劇場での収録を手掛けられたとのこと。 1989年のベルリンの壁崩壊時にはミュンヘンでサバリッシュによる ニーベルングの指環を収録された。 指揮者ゲルギエフとは1992~93年に芸術監督を務めるマリインスキー劇場での収録で 苦労を共にされ親しくなられたようである。 その時、北オセチア出身のゲルギエフ曰く「ゴルバチョフのペレストロイカがなければ 今の自分はなかった」と語っていたそうである。

二つの“プロコフィエフ・交響曲第6番と題した理由の一つは1996年 サントリーホールでのN響定期演奏会にゲルギエフを招聘することになり ゲルギエフにやりたい曲を聞くと「プロコイエフの交響曲6番をやりたい」とのこと。 もう一つは指揮者デュトアがN響の常任指揮者となり1997年のN響ヨーロッパツアーの際に デッカ・レーベルでのレコーディングを企画しデッカ側と曲目を相談すると 「プロコイエフの交響曲6番をやりたい」とのこと(ウィーン・コンツェルトハウスで 録音されたこのCDは屈指の名録音としても知られる)。 このような経緯からN響にとってこの曲が国際的に通用する重要なレパートリーとなると 確信したとのこと。 戦争の悲劇と犠牲を内面的に描いたとされる6番は本当に難解な曲とされ、 生涯の友人であったミャスコフスキーですら3度聴くまで 理解できなかったことを告白している。 聴く機会の少ない6番ではあるが同じ楽団による演奏でも指揮者によって 大きく伝わる音楽が違うことを実感されたと思う。 スイス生まれのデュトアは緻密なリハーサルを信じられないほど繰り返して臨み、 一方ゲルギエフは1日半程度しかリハーサルしない手際のよさがあった。 ロシア人の図太さと繊細さと神経は日本人にはない強さがあり演奏にも現れている。

紹介頂いたエピソードを一つ、 80年代のソ連時代にボリショイ劇場での収録時の経験として、 宿泊先には毎晩3回の無言電話があったことや、銃声の聞こえない夜はなかったこと、 夜外出すると多くの人が歩いているにもかかわらず話し声はなく、 また外人と話すと拘留されるとの恐怖からか皆逃げてしまい、 ホテルまでの道さえ訪ねることができなかったようで密告社会の恐怖を経験された。 奇しくもスターリンとプロコイエフの命日は同じであるが厳しい過酷な時代の中に ありながらも彼は反骨の精神を音楽に残している。

この他にも様々なエピソードを紹介頂き、時には過酷な東側の恐怖を、 時には音楽への情熱を熱く語り、最後は親しみやすいプロコフィエフの小品を 紹介いただきユーモア溢れるその講演は大盛況のうちに終了しました。(fumi)

プログラム

(1) ボロディン:オペラ「イーゴリ公」より「韃靼(ダッタン)人の踊り」
(初来日の1993年11月にコンサートの間隙をぬってNHK509スタジオで収録)
ヴァレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団、ゲルギエフ41歳)

(2) プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調op.111から第一楽章、第二楽章
シャルル・デュトア指揮NHK交響楽団(1997年ウィーン・コンツェルトハウスで録音)

(3) プロコフィエフ:交響曲第6番変ホ短調op.111全楽章
ヴァレリー・ゲルギエフ指揮NHK交響楽団(1996 サントリーホールでのライヴ録音)

(4) プロコフィエフ:ヘブライの主題による組曲op.34
ヴァルター・ブイケンス合奏団

当日配布されたプログラム

竹森道夫氏と龍ヶ崎ゲヴァントハウスメンバーとの記念撮影