「白上 冴ヴァイオリン・リサイタル」

・日 時:平成25年12月22日(日)14:00から
・場 所:「アトリエ・ドゥ・ダルクローズ」

当日のパンフレット

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・レヴュー

「過ぎて行く時」

天使が吹く楽器はラッパだが、悪魔が弾く楽器はヴァイオリンと相場が決まっている。 ヴァイオリンは姿形や色合い、もちろんその音で何処か人を引き付ける色香を漂わせる。 いや引き付けるどころでは無い。 魅了し惑わせ心を狂わせる。 今でもヴァイオリンには魂が宿っていると本気で思っている人達がいる。 悪魔が持つに相応しい楽器と感じるのはそうしたところにあるのかもしれない。

だから、一人のヴァイオリニストの演奏会に行く時は魂の声を聞きに出掛けるのだと言う人を知っている。 魂の声を聞くとはなんと大げさな、あるいは感情移入の激しい聞き方だろうと思いながら 何時の間にかそんな風に自分でも聞いている。ヴァイオリンの演奏を聞く事は確かに魂の声を聞くと言う事だと思えて来る。

白上冴のヴァイオリンに魂の声を聴く事が出来たろうか。 伴奏者吉田まどかのピアノに魂の声を支える凄味があったろうか。 ヴァイオリンの演奏の方向の一つにあてどない憧憬や誘惑や狂おしい感情を表現する演奏があるが、 白上冴がヘンデルの最初の一音を出したとたんにこの人のヴァイオリンは 何処までもまっすぐ伸びる素直な魂の声を持っているのだと感じた。 だから率直に言うのをお許し頂きたいのだが、 オペラ「カルメン」はその物語も音楽ももっとすれっからしだし誘惑に満ちているし、 野放図だし色恋沙汰の悲劇なのだから、編曲ではあっても演奏は自在で奔放あった方が良いのではないかと思えた。 テクニックの冴は名前の通りだと思うが、素直に過ぎる演奏だと思った。

この日の白眉はやはりブラームスだろうか。確かにブラームスの声が聞こえた。 ピアニストに取っても難関な曲が生き生きと語り滔々と流れると白上冴の魂の声はこの辺りにあるのだろうなと思えて来る。 シャイで人見知りが激しく恩師シューマンの妻であったクララに心ひかれ生涯を独身で過した、 残された写真などからは想像できない程純粋な魂を持ち続けたブラームスに白上冴も近いのだと思わせる演奏だった。 難関な曲を見事に支えた吉田まどかの伴奏が激しく又、密やかに鳴り響く時音楽を聞く事の喜びが全身を包むのを感じて今日、 この場に立ち会えた事が喜びとなった。 モーツァルトもチャイコフスキーエルガーも心に響く秀演だと思う。アンコールのタイスの瞑想も心を癒してくれた。

そう、そうして過ぎて行く時を味わう事が出来るのが音楽を聞くと言う事なのだろう。 音楽はそこに留まらず流れて行く。 魂の声を聞きながら無常にも過ぎて行く時が意味を持ち喜びとなるから私達は音楽を聞くのだし、 この日の演奏会の証人となるのもその為であったと思わせてくれる充実した演奏会だった。 当日演奏会場にいた全ての聴衆が魂の声を聞く証人になったのだ。そんな風に感じさせてくれる演奏会だった。

by KAZU