名門楽団員が語る「音楽と指揮者とオーケストラ」

日時:2019年6月15日(土) 午後2時〜午後4時45分
場所:竜ヶ崎ショッピングセンター・リブラ2階「旧映画館」
講師:白上冴 氏(ヴァイオリニスト、米国クリーヴランド管弦楽団楽員)

 

今年度2回目の特別企画は地元龍ヶ崎市ご出身でヴァイオリニスト(米国クリーヴランド管弦楽団楽員)の白上冴氏をお招きし「名門楽団員が語る「音楽と指揮者とオーケストラ」」と題して、対談形式の特別講演会を開催しました。 オーケストラ楽団員として多くの指揮者、ソリストと接し、楽員でなければ知り得ない隠れたエピソードの数々をご紹介いただきました。 大雨の中であるにも関わらず多くの聴衆を迎え大変盛り上がり講演会は大盛況のうちに終えることが出来ました。(fumi)(当日配布したプログラムはこちら

S:白上冴 氏、F:当法人理事 “kazu”

F:クリーヴランドまではここ龍ヶ崎からどのくらい移動時間がかかりますか
S:成田から西海岸かニューヨーク経由で行きますのでdoor-to-doorで24時間ぐらいでしょうか
F:ヴァイオリンを持っての演奏会と今日の様な講演では緊張の度合いが違いますか
S:講演会をさせて頂くのは初めてなので違った緊張感があります
F:月並みな質問ですがヴァイオリンを選ばれた理由は
S:母が育った時代は音楽をやれるような環境になかったので、もし娘を授かったら何か音楽をやらせたいと思っていたようです。ピアノは場所の問題で難しかったのですが偶々新聞記事でスズキメソードを知り「何方でも歓迎」との記事であったことと、ヴァイオリンならば大きくないので可能ということで習うことになりました
F:その時は将来ヴァイオリニストになると思っておられましたか
S:全くそのようには思っておりませんでした
F:ヴァイオリンは5歳から始められたとのことですがどんな少女時代でしたか
S:凄くヤンチャで運動神経も抜群に良かったらしく、走れば早いし、縄跳びもいくらでもできました。スポーツが得意で男の子を怖がらせるくらいでした。女の子らしいお人形遊びなんかはあまりせず、男の子と缶蹴りや鬼ごっこしたりするお転婆でした
F:お転婆でないとヴァイオリニストにはなれないのかも知れませんね(笑)
S:一方、不器用で家庭科で裁縫とかするとダメなことで有名でした。パジャマを作る課題があって一生懸命頑張ったのですが出来上がったら腕が通りませんでした(大爆笑)
今も不器用さは変わっていません
F:ヴァイオリンを弾く能力と裁縫の能力は違うのでしょうか
S:はい、全く違うと思います(大爆笑)
F:スズキメソードは一般的なのでしょうか
S:才能教育の普及ということで長野県松本の鈴木鎮一先生が「子供だったら誰でも音楽ができる」との考えで、「聴くものが良かったら耳は育つし誰でも音楽はできるんだ」との考えで始められた様です。ヴァイオリンが主ですがピアノ、フルート、チェロもあります。今ではアメリカの方がスズキメソードは盛んかと思います
F:それでは10歳の時の演奏を聴きたいと思います

①バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調〜第1楽章:白上冴(Vn)(10歳時の演奏)

F:改めて少女時代のご自分の演奏を聴いて、ご感想はいかがですか
S:この頃の方がしっかり弾いてるなと感心しました(大爆笑)驚きました
F:15歳の時に渡米なさったと聞いておりますがその時はプロのヴァイオリニストになるとの決意があったのでしょうか
S:そんなことはなく。プロのヴァイオリニストになる気持ちは当時はなかったです
F:意地悪な質問ですがでは何になろうと当時は思っておられてたのでしょうか(笑)
S:特になかったのですが「ヴァイオリンは続けていこう」とは思っていました
F:ご自分の性格として「行き当たりばったり」と思っておいでですか
S:そうですね「なるようになるか」というところはありますね
F:ひとつ教えられました。立派になるにはそのぐらいでないとダメだということですね
F:次はピアノ・トリオに参加された演奏を聴かせていただきます。ザ・ガシガ・トリオについて紹介いただけますか
S:ヒューストン響にいた時に一緒だったピアノとチェロのギャレット夫婦と行ったものです。最初のコンサートをする際に名前が必要だとなって悩んでいたら当時の指揮者クリストフ・エッシェンバッハさんがみんなの頭文字を取ってギャレットからGAを二つ、白上からSHIで「GASHIGA」でどうだとの提案がありました。最初は躊躇しましたが結局チェロのデイヴィットが「GASHIGA」に決めてしまいました
F:エッシェンバッハさんも結構「行き当たりばったり」ですね(笑)
S:そうですね(爆笑)。でも流石に咄嗟に出てくるところは凄いですね

②ゴンドラの歌、待ちぼうけ:ザ・ガシガ・トリオ(The GaShiGa Trio)(白上冴(Vn)/ジュンコ・ウエノ・ギャレット(P)/デイヴィット・ギャレット(Vc)、2002年録音)

F:クリーヴランド管弦楽団へはどのような縁で入団なさったのでしょうか
S:オーケストラは空きがあると募集があるので応募してオーディションを受けて入団しました
F:噂によるとオーディションは幕を引いて演奏者が分からないようにして行うとか
S:その通りで奏者がわからないようにスクリーンパネルを立てて聴く人達に見えないようにして行います。第一審査はオーケストラによっては2〜3分、クリーヴランド管弦楽団は5分ほど弾きました。次に呼ばれると10分ほど弾いてと続きます。最後はスクリーンを取って弾きました。このように何段階かの審査がありました
F:何人くらいオーディションを受けていましたか
S:クリーヴランド管弦楽団は最初から書類で選んでいるようです。ヒューストン響を受けた時は確か100人近かったのを覚えています。一次で3日間、4日目に2次でしたね。オーディションは聴く人の好みもあるし、弾く人の体調もあるし、自分の前にどんな人か弾いたかとかもある。弾く人も聴く人も人間なので運の要素も大きいと思います
F:入団して初めて分かったオーケストラ事情などありますか
S:クリーヴランド管弦楽団は雰囲気が良いことで有名なオーケストラでした。確かに入団しても皆んながリラックスした感じのオーケストラでした。私が入団した初日が9.11その日だったのでリハーサルに行ったけれど、皆んな帰されてしまい強烈な印象が残っています。責任者が出てきて「国の悲劇が起こったので帰宅してください」との指示がありました。コンサートは中止となりました。指揮者はクリストフ・フォン・ドホナーニさんの時代です
F:クリーヴランド管弦楽団と云えばシニア世代にとってジョージ・セルのお話を聞かない分けには参りません。もちろん白上さんはその世代の方ではないのですがどなたかセルの時代の奏者はいらっしゃいましたか
S:今、ヴァイオリンで一人残っておられます。彼からの話ではないですが数年前まで残っていた楽員から色々話を聞いてオーケストラの伝説のようになっています。イングリッシュホルン奏者からは使用メガネが「楽譜はよく見えるけれど指揮者はあまり見えないメガネ」を使っているとセルに呼び出されて「メガネをちゃんとしたものに替えてこい」と言われた」その上、メガネ屋の予約も取ってあるので行けと。その他、セルさんの控え室から楽団員が帰る姿がよく見えたらしいのですがファゴット奏者は自宅にもファゴットがあり帰りは手ぶらで帰っていたそうなのです。それをセルさんが見て「自宅で練習していない」と決めつけ注意されたそうです。それ以降ファゴット奏者は空のケースを持って行き来するようになったとか。この様にセルさんは独裁者そのもので厳しかったようです。フレンチホルンの奏者がシカゴ交響楽団からオーディションを受けに来ないかとのお誘いがあった際に、もうその噂だけでセルさんは「もうお前はここを辞めろ」と辞めさせられたそうです。もっともそのフレンチホルン奏者はシカゴ交響楽団には合格したそうです。昔は独裁者タイプの指揮者が多かったようですが今なら指揮者として成り立たない時代になっています
F:昔の指揮者は気に入らない奏者は首を切れたのですね
S:そうなんです。「そこのチェロ、クビだ!」なんてこともあったようです
F:サラリーマンより厳しいですね。今の指揮者フランツ・ウェルザー=メストさんはもう少し優しいのですか
S:そうですね。今の時代は独裁的にはやっていけないので楽員と仲良くするように気を使っている気がします。しかし全員と仲良くなるのはできないので温度差がどうしても生まれます。彼はスーパーとかで出会うと気を使って話しかけてくれたりします。指揮者と奏者の関係はなかなか難しいところがありますね
F:ウェルザー=メストさんはオーストリア生まれの方ですがお国柄を感じることはありますか
S:それは感じます。リハーサルで多分普段は相当我慢して指揮なさっていると思いますがヨハン・シュトラウスのワルツとかモーツァルト、シューベルトとなると彼は生まれた時から聞いているので「前言っただろう!」とか皆よく怒られます。すごく腹が立つみたいです。ウェルザー=メストさんより年上の奏者は多く、音楽経験も豊富なのですが譲れないところがあるようで何時も怒られています。不機嫌になって真っ赤になって怒りますね
F:真っ赤になるって指揮者って血圧によくない職業ですね(笑)
S:そうみたいですね
F:それでもよい関係なんですよね
S:彼はオペラとか合唱の入っている曲になるとご機嫌になります。もの凄く好きみたいでご自身も少年合唱団で歌っていたらしいです。オーケストラの雰囲気も良くなります。一方、「モーツァルト、シューベルトやワルツの時は覚悟しろ」とメンバーと話しています
F:次は小澤征爾指揮ボストン交響楽団にいらした時のメシアンの曲を聴かせて頂きます

③メシアン:トゥーランガリラ交響曲〜第10楽章、小澤征爾指揮ボストン交響楽団
(2000.5.7 ケルン・フィルハーモニーホール)

F:奏者にとっても大変難しい曲だと思いますが
S:そうですね。この曲はヒューストン響で初めて弾いて、終わってもう二度と弾くことはないだろう「バンザイ」となったのですがボストン響に2年しか居なかったのに1年目と、2年目はツアーにも持っていくことになりました。ツアーだと同じ曲をいろんな都市で弾くので何回も弾くことになりました。クリーヴランド管弦楽団に来ても何回か弾くことになって人気の曲なのだと初めて知りました(笑)
F:小澤征爾さんはこの曲得意なようなんですが何か秘訣があるのでしょうか
S:小澤先生は基本フランス物がお好きなようです。ヨーロッパにこの曲を持って行った際、この曲は真ん中あたりに10分ぐらい弦だけの静かな部分があります。凄くゆっくりで永遠に続きそうな部分で私は苦痛で苦手なのですが小澤先生もそうであったようで部分的にトラブルがありました。当日は録音を行っておりその10分の部分をお客さんが帰った後に録直した経験があります。皆すごく怒っていました。小澤先生も平謝りでした(笑)。この曲を弾く度に苦い思い出としてそれを思い出します。弦は一つの譜面台を二人で使いますがこの曲の時は譜めくり役の方に座りたくてそうしています。そうして譜めくりをゆっくりやるのです。その間は弾かなくていいですから(爆笑)。ボストン響の時それをやったら隣の怖いおばちゃん奏者に凄く睨まれたのを覚えています(爆笑)
F:海外のオケにいらして日本人同士の交流はあるのですか
S:音楽家同士としてはそんなに意識していませんが海外に出ている日本人同士ということでは音楽家に限らずアメリカの愚痴を言い合うなどで盛り上がったりはします。同じオケ内の日本人同士が集まることも時々あります
F:異国だと連帯感が生まれるのでしょうか
S:そうですね
F:クリストフ・エッシェンバッハさんがPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を指揮者さていた時に白上さんはコンサート・マスターを担われていたとか
S:そうですね。やらされました(笑)
F:クリストフ・エッシェンバッハさんはどんな指揮者でしたか
S:エッシェンバッハさんは自分の理想としているものがはっきりとしていてそれを容赦なく出来るまで許してくれない方でした。ヒューストン響の時代もお世話になったのですがプロのオケだとそこまで要求するのは難しくとも、学生のPMFの時はとことん出来るまで指導されました。基本暖かい方なので学生の皆んなも彼の為ならと頑張りました
F:指揮者は皆んなをやる気にさせる能力も高くなくてはいけませんね
S:人柄が大きいと思います。特にプロのオーケストラになると奏者の皆さんはプライドもあるし指揮者にああだ、こうだと言われると言方によっては反発も生まれる。エッシェンバッハ&ヒューストン響のヨーロッパ・ツアーの際にアメリカの感謝祭の時期だった話ですが。アメリカ人にとって感謝祭は日本で言えばお正月のようなものでその時期に家族と離れる辛さを汲み取り、楽員のディナーを用意する為にシェフを雇いレシピもアメリカから取り寄せ対応してくれたらしいです。ターキーやパンプキンなどアメリカの感謝祭でのディナーを用意する様な心遣いが出来る指揮者ですね
F:指揮台で音楽を指揮するだけではなくその様な心遣いが大切なのですね。
S:その様なことが出来る人柄が音楽にも出てくると思います。エッシェンバッハさんは表面的ではなく心からその様な心遣いをしてくれるので私も指揮に対し素直に受け入れることが出来たのだと思います。そうでない指揮者もいらっしゃいますので(笑)
F:レナード・バーンスタインの指揮で演奏なさったこともあると聞いておりますが
S:バーンスタインさんはカリスマの凄い人で、PMFでの学生時代バーンスタインさんのことはあまりよく知らなかったのです。彼がリハーサルの部屋に入って来た時のオーラが凄くて、リハーサル中のカリスマが凄いし、言葉の意味はよく分からなくても伝えたいことを分かった気にさせてくれる不思議さがありました。彼のテンポは極端に遅いことで有名ですが何か説得力があるのです。何をしても凄い人だなと思いました。クラシックのみならずジャズも、もの凄くできて、ピアノの即興演奏もこなせる人ですがそれがカラダから滲み出ていました
F:バーンスタインさんの様な指揮者を前にして緊張されましたか。一緒に音楽の高みに行けるかとか
S:今だったらもの凄く緊張するかも知れませんが、何も考えずに弾けた感じでした
F:黙っていても音楽の高みへ連れて行ってくれるのが大指揮者ということでしょうかね。次にマーラーの「復活」を聴かせてもらいます。ヴァイオリンソロを白上さんが演奏されています

④マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」〜終楽章より、クリストフ・エッシェンバッハ指揮パシフィック・ミュージック・フェスティバル・オーケストラ、 佐藤しのぶ(S)/クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)(1991.8 札幌芸術の森・野外ステージ)

F:今改めて聴いてどう思われましたか
S:いい曲だなと改めて思いました。この時までこんな長い曲を演奏したことがなかったので「終わりよければすべてよし」と思って聴いていました
F:オーケストラの楽員が普段どの様な生活をしておられるのか教えていただけますか。例えば今晩コンサートがある場合など
S:コンサートは大体週4回あります。1回目は大体木曜日に始まるのですが木曜日の午前中に最後のリハーサルがあります。10時に始まりますので、朝は7〜8時に起きて散歩など運動をして朝ご飯を食べリハーサル会場に向かいます。リハーサルは12時半には終わりますがコンサートは夜の7時半なので誰かとランチに行ったり、家に戻って料理をしたりすることもあります。メンバーの中にはその間の時間を利用して生徒さんに教えたりしています。私も少し高校の弦楽をやっている人達数名にグループレッスンをしたりします。後、室内楽をするのにリハーサルをやったりもします。ヨガに凝りすぎてヨガの先生の資格を取った人もいますね。合間の時間を使っていろんな趣味の世界を広げている人もいます。お茶に凝っていろんな人に飲ませたりしているフレンチホルンの人もいますね。環境問題を気にしていろんな活動をしている人もいます。奏者は体を酷使するのでマッサージや鍼に行く人もいます
F:お休みはどうなっているのですか
S:基本的に月曜日が休みです。火曜、水曜、木曜がリハーサルで木曜の夜から土曜まで3日間コンサート演奏することになります。日曜の昼のコンサートもありますがなるべく日、月は休みになる様に配慮してくれます。金曜だけマチネの場合もあります。別の日に映画音楽をやったりするときは余分にやったりする事もあります
F:レコード会社とのレコーディングなどは別の日に入ったりするのでしょうか
S:最近はレコーディングはないです。ほとんどがコンサートのライブ録音かDVDの録画になります。クリーブランド管弦楽団に行ってからレコーディングのみの演奏はほぼ経験がありません
F:演奏旅行、ツアーのエピソードはありますか
S:ツアーは普段話せない楽員と話せる機会なので楽しいです。例えば子供さんが5人のスーパーウーマンと仲がいいので一緒にジョギングしたり食事に行ったりします。フライトでたまたま一緒になった人なんかこんなに話し易い人なんだ、と気付かされてたりします。結構ツアーは普段と違い緊急事態が起こったりするのでお医者さんが一緒に一人付いて来ます。一人風邪をひくと瞬く間に広がるので皆んな気を付けています。ツアーはグループとして団結する機会でもあります。いろんな人がいるので相性が合わない人もいます。ツアーの前に飛行機の座席希望のアンケートを書きますが通路側、窓側以外に誰と一緒にしてほしいとか、誰とは絶対一緒は嫌だとかも書いたりすることができます(笑)。同僚でこの人とは絶対隣は嫌だと書いた人がいます(笑)。でも私は普段喋る機会のない人と喋れるいい機会だと思っています。音楽家は基本食いしん坊ですが食べる趣味の合う人と一緒にツアー先でレストランを物色したりするのは楽しいです。コントラバスとフレンチホルンの大男二人が東京にきた際にANAホテルに泊まり時間があるからとジョギングしたらしいのですが迷ってしまって(笑)お金は持っていないし自分のホテルも分からない、道を聞こうと人に近づいたら真っ赤な顔の汗びっしょりの大男なので皆逃げてしまったそうです(笑)。2時間半も彷徨って地下鉄とかにあった地図を見て運良く帰って来たと話してくれました。私もスイスのルツェルンでジョギングしてたら牧場の中に入ってしまっていて牛に遭遇したので必死で出口を探して人を見かけた所の柵を乗り越えたらそこは高級ゴルフコースで紳士淑女から好奇の目で見られた経験があります。なんとか運良くホテルに戻れましたが(笑)
F:お好きな指揮者はいらっしゃいますか
S:先ほどのクリストフ・エッシェンバッハさん、最近では固く構えていない人が好きでイギリスのマッキーゲンさんが来るときは楽しみです。フランス人のステファン・ドネーヴは冗談ばかりで場を和ませるのですが作り上げる音楽は的を射ていると感じさせてくれます。客演の指揮者が来るとアンケートがあるのですが後で発表された結果を見ますとバラバラで人それぞれ好みが分かれていると感じています。
F:どんなソリストと協演なさいましたか
S:エマニエル・アックスさん(Pf)、ギル・シャハムさん(Vn)、五嶋みどりさん(Vn)、フランク・ペーター・ツィンマーマン(Vn)、フランスのジョン・F・ティボディ(Pf)、イェフィム・ブロフマン(Pf)、ラン・ラン(Pf)などいろんな方がいらっしゃいます
F:お好きなソリストは
S:フランク・ペーター・ツィンマーマン(Vn)さんはやっぱり凄いなと感じます。ギル・シャハムさん(Vn)やエマニエル・アックスさん(Pf)さんは本当に暖かい人達で、凄い曲を弾く前なのに和かに団員と喋っていて始まるとたちまち凄い演奏をやってのける。彼らの弾く感じも暖かいのです。私の好きなフランク・ペーター・ツィンマーマン(Vn)さんは脱帽を感じさせる演奏です。五嶋みどりさん(Vn)も本当に尊敬していて一本芯が通っていることを感じさせます
F:次に白上さんがソロ演奏されているバッハを聴いていただきます

⑤バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番〜シャコンヌ、 白上 冴(V)(2013.6.18 八ヶ岳高原音楽堂)

F:バッハはお好きですか
S:好きですね。難しいですけれど
F:他に好きな作曲家は
S:ブラームスは聴くのが好きです。モーツァルトは以前、聴くのも弾くのもあまり好きでなかったのですが最近は心地いいなと感じています。モーツァルトを聴くと頭が良くなるとの話があり聴きまくりましたが効果はなかったです(笑)
F:演奏するのに好きな作曲家と聴くのに好きな作曲家というのはありますか
S:モーツァルトもシンフォニーを弾くのは好きになって来たのですがソロとかは絶対弾きたくないですね。マーラーを弾くのはすごく好きですがブルックナーはトレモロが多く弾き手としてその良さはよく分かりません。しかし聴衆の方々はブルックナーが心地よいと人気があります。マーラーは派手で弾いていても弾き甲斐がありますがそれが聴衆には伝わっていないようです。やはり聴くのと弾くのでは違いますね
F:家ではどんな音楽を聴かれますか
S:クラシックはまず聴きません。同僚の車に乗せてもらうと結構クラシック音楽が流れていますが私は絶対にないですね
F:内田光子さんとの協演のお話を聴かせてください
S:光子さんがピアノ協奏曲全曲をクリーヴランド管弦楽団と協演しました。彼女は物凄い練習魔で毎回毎回細かくやるので皆んな「また始まった」と思うのですが演奏があまりに素晴らしいので結局は皆んなが楽しく弾きこなすようになります。光子さんが来るとムードも良くなります。人柄も気さくでステージの真後ろ側に楽員の休憩場所があるのですが指揮者やソリストに用意される個室に篭らず出て来て楽員と話しています。私も彼女の服のことで「これは妹が作ってくれたのよ」とか話してくれました。とても気さくで接しやすい人で大好きです。英語で言えばdiplomaticといって人との対応が上手ですね。つい最近彼女が来てバルトークの3番、難しい曲をやった時に指揮者が早いテンポで進めるためフレンチホルンが遅れるとか指揮者が言っていたのですが光子さんはその部分はもう少し遅く行きたかった様で、しかしそれを言ってしまうと指揮者の立場もなくなるので「私のテンポが遅いのね」と言い、「ここはピアノの音が沢山あって大変なのよ」と言って団員を笑わせ、指揮者にもメンツを立てながらテンポを落とさせていました。彼女の自分を卑下してユーモアで笑を取って、さりげなく彼女の主張を取り入れさせる手腕は素晴らしいなと思いました
F:では協演なさったモーツァルトのピアノ・コンチェルトを聴かせていただきます

⑥モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調〜第1楽章、 内田光子(Pfと指揮)クリーヴランド管弦楽団(2010年録音 グラミー賞受賞盤)

F:フランツ・ウェルザー=メストさんはオーストリアのリンツ生まれですが故国に帰えられた時の様子はいかがでしたか
S:そうですね。張り切りますね。オーストリア特にウィーンに行くとリハーサルの細かさが増します。聖フローリアン教会で彼は教会の少年合唱団で歌っていたので特にその傾向があります。彼はブルックナーが大好きでよく選曲します。指揮のタイミングが響きが豊かなこの教会に合わせてやっているのだということがここで演奏してよく分かりました。他のホールで弾いていると彼にしてはたっぷり時間を取るなと感じていたのですがこの教会の響きを頭に描いて指揮していたのだと思いました
F:聖フローリアン教会の響きはそんなに凄いのですか
S:どの教会も響くとは思うのですがフルオーケストラでやることもあり、しばらく響いていますね
F:それではブルックナーの「ロマンティック」を聴いていただきます

⑦ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」〜終楽章より、 フランツ・ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団(2012.8 聖フローリアン教会)

F:ウェルザー=メストさんはこの演奏で一番気にかけていたことはどんなことでしたか
S:音楽の流れを止めないことですかね。彼の有名な言葉として「そこで座り込むな」と彼は常に言っていました。とにかくずっと流れていく様にしなければならないと
F:今後の予定はクリーヴランドへ帰られるのですか
S:今年は2019年のシリーズスタートがニューヨークのカーネギーホールであって、1月にフロリダ州のマイアミに行きます。来年の春はウィーン、パリからアブダビに行くことになっており興味深々です

F:フォロアからご質問はございますか
Q:白上さん使用されていヴァイオリンは何を使っていらっしゃいますか
S:1902年製のイタリアのリガーニです。ヴァイオリンの中ではモダン楽器と呼ばれています

F:白上さん、今日はヴァイオリンを持たずに慣れない舞台を勤めてくださいました。本当にありがとうございました(大拍手)

 

<白上 冴 氏プロフィール>
5歳よりヴァイオリンを学び始め、15歳で渡米、サンフランシスコ音楽院およびクリーヴランド音楽院大学卒業。 ASTA、カーメル、フレッシュオフの室内楽コンクール等で受賞。 タングルウッドおよびアスペンの音楽祭に参加。 また巨匠レナード・バーンスタインが始めた札幌のパシフィック・ミュージック・フェスティバルには1990、1991、1994年にコンサート・ミストレスとして参加。 クリーヴランド音楽院卒業後、ヒューストン交響楽団に入団。 1999年ボストン交響楽団に移籍。 2001年にクリーヴランド管弦楽団に移り現在に至る。

会員メンバーとの懇親会