第2回「蘇る ”往年の名演奏”」

日 時:2019年12月14日(土) 午後2時〜午後4時30分
場 所:竜ヶ崎ショッピングセンター・リブラ 2階 「旧映画館」
講 師:新 忠篤氏(オーディオ研究家、元フィリップスレコード・オランダ本社副社長)

今年最後の特別企画として、2年ぶりの登場となりました音楽・オーディオ界の第一人者、 新 忠篤氏による講演会とコンサートを開催しました。 これまでは氏自身が開発した「SPレコード再生用イコライザー」を通したDSDレコーディングによって素晴らしい音質で聴かせていただいきましたが、今回はさらにDSD5.6MHzのネイティブ再生によって行われました。 DSDネイティブ再生とは、DSDファイルフォーマットを内部でPCM変換せずに、DSD方式のまま再生する方法で、新氏が手掛けた膨大なSP録音、LP初期録音の持ち味がフルに発揮され、往年の名演奏がさらに高音質で蘇りました。 往年の名演奏家たちの知られざるエピソードや録音秘話、感動的な名演奏の数々に圧倒される思いでした。(nobu)

当日配布したプログラムはこちら

ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」から第1楽章
リヒャルト・シュトラウス指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1928年SP)
ベートーヴェンの「運命」は戦前のレコード会社が力を入れた作品で、1900年初めから1925年まではラッパの前で録音したラッパ吹き込み(機械式録音が正式名)で、1925年以降がマイクロフォンで録音した電気録音でした。 調べてみますと「運命」が最初に録音されたのは1900年が最初で、2番目に1913年アルトゥール・ニキシュ指揮ベルリン・フィルという歴史的な録音がありました。 この録音を含めてラッパ吹き込みの時代にはすでに10種類の録音が存在することが分かりました。 このリヒャルト・シュトラウスが指揮した録音は、電気録音ですが、電気録音の録音方式には2種類あり、まず最初がアメリカのブランスウィック社のライト・レイ録音で1926年にポリドールがフルトヴェングラーの指揮で録音しましたが、あまり評判がよくなかったので、1928年にウエスタン・エレクトリック社が開発した電気録音でリヒャルト・シュトラウスの指揮で再録音しました。  第1楽章はSP2面からの演奏です。 リヒャルト・シュトラウスの指揮は、生き生きとした様相で、風格というより、若さ、勢いのある演奏と言えると思います。
(試聴後)
シュトラウスが64歳の時の録音で、この録音は久々に聴きましたが、非常に生気があり、こんな良い音で聴いたのははじめてです。

グリーグ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調から第1楽章
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)/セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)(1928年SP)
ベルリンでの録音で、クライスラーとラフマニノフが同じマネジャーだったこともあり、クライスラーが当時ベルリンに住んでいて、ラフマニノフを呼び寄せて録音したものです。 この時代のクライスラーは協奏曲の名曲をたくさん録音していますが、室内楽をやったのはおもしろいと思います。
クライスラーはスタジオに入ってからやる気を出すタイプで、録音は5回(テイク5)やり直しています。普通やり直しは2回までで、大物でなければ5回もやり直すことは出来ません。 こんなアーティストは他にいないと思います。 SPレコードの場合、盤面のレーベル外側にテイクがいくつかの刻印があり、そこにテイクの回数が分かるようになっているのですが、クライスラーには、テイク7というものもあります。 何度もやり直して良い物を残しているので、こんなに凄い演奏を聴くことが出来るのです。 余談ですが、グリーグは1900年初めの頃に自身ピアノを弾いたレコードを残しています。

バッハ:ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調から第1楽章
マルセル・モイーズ(フルート), アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン), ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ指揮ブッシュ室内合奏団(1935年SP)
1930年代に入り、マイクロフォンを使用した電気録音が確立され、安定した音で聴けるようになりましたが、これは1935年の録音です。 ブッシュはドイツのヴァイオリニストで、自ら室内合奏団や弦楽四重奏団を組織して活躍しましたが、あまり長生きせず1952年に61歳で亡くなっています。 ピアノのゼルキンは奥様がブッシュの娘だったことから、ブッシュ・ファミリーとして参加していましたが、1940年代半ばにゼルキンがアメリカに移住せざるを得なくなり、その後ブッシュもアメリカに移住しています。 これはまだヨーロッパ時代の録音で、フルートにフランスの名手マルセル・モイーズを加え、1932年に開設されたEMIのアビーロード・スタジオで録音されました。
ブッシュの多くの録音は、先のクライスラーに比べ、全てテイク1で録音されています。 これは奇跡的な厳格さで、少なければ良いという事でもありませんが、練習に練習を重ね。 完成したものをそのままスタジオに持ち込むという態度が、いかにもドイツ気質というような、彼の演奏スタイルにも通じる凄いものを感じます。

モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調から第1楽章
ベニー・グッドマン(クラリネット)/ブダペスト弦楽四重奏団(1938年SP)
ベニー・グッドマンはジャズの世界では神様と言われるほど偉大な奏者です。 そのグッドマンは1938年1月にカーネギーホールでジャズの演奏家としては初めてのコンサートを開きました。 それが「カーネギーホールに出るんだったら、凄い人なんだろう」という評判となり、それだったらモーツァルトを録音しようという事になったのではないかと思います。 この頃のおもしろい話があります。このカーネギーホールの録音はビクターが企画しましたが、LPになって出たものはコロンピアでした。 ある日自宅の倉庫にカーネギーホールでのコンサートの原盤があるのを思い出したグッドマンが、娘に「これをレコード会社に届けておいて」と頼んだのですが、届けた先がコロンビアだったのです。 コンサート当時はビクター専属でしたので、ビクターはコロンビアにクレームを入れました。 当時LPが出たばかりで、コロンビアとしては2枚組という長い音源がよほど欲しかったのでしょう。 いくら払ってもあれは取れ、という社長の命令があって、コロンビアはビクターに巨額の金額を払ってレコードを作ったのです。

フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番ト短調から第1楽章
マルグリット・ロン(ピアノ)/ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
モーリス・ヴィユー(ヴィオラ)/ピエール・フルニエ(チェロ)(1940年SP)
当時のフランスの名手を集めた演奏で、この中でヴィオラのヴィユーはあまり知られていませんが、フルートのモイーズ、ハープのラスキーヌとドビュッシーのトリオを録音するなど、当時のヴィオラの名手のひとりとして知られていました。 これは1940年の録音で、第二次大戦が始まっていましたが、この頃ティボーの息子が戦争に出征していて、ベルギーの戦線に行っていたので、ティボーはすごく心配していましたが、録音の3日後に戦死したという知らせが入ったということです。 40年代の演奏というのは、戦争とかナチスの問題とかが絡んでいますが、これはそういう時代の録音です。

シューベルト:歌曲集「冬の旅」から第1曲「おやすみ」、第11曲「春の夢」
ロッテ・レーマン(ソプラノ)/パウル・ウラノフスキー(ピアノ)(1941年SP)
ロッテ・レーマンはユダヤ系のドイツの歌手ですが、ドイツに居られなくなってアメリカに移住した名ソプラノで、これは1941年ニューヨークで行われた録音です。 この録音は最初ビクターが一部録音して、残りをコロンビアが録音したという不思議なレコードで、ビクターは「菩提樹」などを録音していますが、第1曲から第24曲まではコロンビアが録音していて、今回聴いていただく2曲はコロンビアの録音です。 「冬の旅」はもともと男性歌手が歌うように書かれたものらしいのですが、SP時代には他にも、エリザーベト・シューマンという名ソプラノが全曲ではありませんが、歌ったものがありますし、LP時代にもいくつもの録音がありました。

ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調「新世界より」から第1楽章
ウィレム・メンゲルベルグ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1941年SP)
1941年メンゲルベルグが常任指揮者だった頃の録音で、当時はコンセルトヘボウ イコール メンゲルベルグみたいな人でした。 マイクロフォンにテレフンケンが開発したコンデンサー・マイクロフォンが使用されています。 帝国放送にはかなり使われていましたが、商業レコードに使われたのは初めてかどうかは分かりませんが、少なくともこの演奏には使われています。 最初聴いた時、「なんでこんな事が起きているんだろう」と、びっくりするほど、あざやかな録音で、素晴らしい音がしています。メンゲルベルグ指揮コンセルトヘボウはテレフンケン以外にもフィリップスの放送録音にはベートーヴェン全集がありますし、古い時代にはコロンビアやビクターにもありますが、このテレフンケン録音の「新世界」は戦時中ですので、日本では発売されなかったと思います。
私はアムステルダムに赴任していた時に、コンセルトヘボウまで3分のところに住んでいて、このホールにはよく行っていましたが、オーディオ・マニアに言わせると、どろどろの低音みたいな事を言うんですが、ホールがこういう音なんですね。 床が揺れているんです。 この頃コンセルトヘボウの地下が地盤沈下で危ないというので、コンクリートの棒を下から入れて支える工事が行われ、安定はしたのですが、そのあとは昔の音はしなくなりました。 私は1977年から1980年までアムステルダムにいましたが、1977年以前の録音は深い低音が出ていましたが、それ以降の録音は普通のオーケストラみたいになっています。 興味のある方は聴き比べてみてください。

ラロ:スペイン交響曲から第1楽章
アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団(1953年LP)
次はLP時代に入ってからのテープ録音です。LPが最初に出たのは1948年、アメリカのコロンビアが出しました。 音源は磁気録音のテープなんですが、アメリカ・コロンビアは1940年位から将来に備えて、ワックス原盤で録ったものをSPで発売される時に、原盤はそのまま残しておいて、コピーをしてもう一度原盤を作り直すような方法を取っていました。 先程の「冬の旅」はその時代のSPの作り方で、SPから一度コピーしたものなので、少し音がなまっていると思いますが、LP時代になって原盤からLPに直した時に、SPレコードからコピーして作った会社とは違って、ほとんどノイズのない名演奏がコロンビアにはたくさん残っています。
カンポーリはイタリア生まれのヴァイオリニストで、初期の頃にはポピュラー音楽やダンス・ミュージックなどもやっていましたが、戦後になってクラシックのソリストとしてデッカと契約した人です。 メンゲルベルグの後任としてコンセルトヘボウの指揮者になったオランダ出身のベイヌムがロンドン・フィルの指揮をやっていた時代の録音で、ベイヌムはコンセルトヘボウのリハーサル中に56歳で亡くなり、その後は若いハイティンクが起用されたわけです。 コンセルトヘボウの歴史はそんなところにありますが、カンポーリのLPはどんな音がしていたのか、聴いてみたいと思います。

サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調から第1楽章
ジャンヌ=マリ・ダレ(ピアノ)
ルイ・フレスティエ指揮フランス国立放送管弦楽団(1955年LP)
最後はフランスのピアニスト、ダレというピアニストのサン=サーンスです。 ダレは10歳でパリ音楽院に入って、マルグリット・ロンに師事しました。 第1位で卒業後、すぐにこのサン=サーンスの第2番をパレー指揮コロンヌ管弦楽団とSP時代に録音しています。このサン=サーンスはすごく華やかな曲で、私も大好きな曲なんですが、LP時代になってもう一度録音してくれ、というリクエストがあったのでしょう。 1955年に再録音したのが、これから聴く盤です。指揮者のフレスティエは1892年生まれの人で、パリ音楽院で学んで一等賞を得たのち、パリ音楽院の指揮科の教授に任命され、1962年まで努めたという人です。

《プログラム終了後》
今日のこの素晴らしい音は、石井さんのお手柄だと思います。こんなにSPレコードがきちんと聴こえて、しかもそのあとに聴いたLPレコードとの音の差がほとんどないですね。 ノイズは少ないですし、LPはもちろんいいんですね。 ただ、LPは古いLPですからキズがあったり、いろいろありますが、レコードの基本的な音は、石井さんの装置で生まれたものだと思います。

最後に、今回一緒に来られたという、新氏の努めていた元会社のエンジニアで、5年前まで、講師としてお越しいただいていた、常盤清氏の紹介がありました。 常盤氏は3年前まで、鹿児島県の「霧島音楽祭」の録音スタッフとしてご活躍され、現在は「レコード芸術」誌の録音評を担当されています。 詳しくは演奏会履歴をご覧ください。