伝説のクラシック・ライブ 〜朝比奈隆&マウリツィオ・ポリーニ他〜
日時:2020年12月5日(土) 午後2時〜午後4時30分
場所:龍ケ崎市 市民活動センター 2階パソコン室
講師:東条碩夫氏(音楽評論家)
コロナ禍の中ではありますが感染対策を施した上で参加者を絞り講演会を開催しました。
今年最後の特別企画は昨年4月に大好評であった音楽評論家の東条碩夫氏を再びお招きすることにしました。 氏は元FM東京音楽プロデューサー/ディレクターで現在は音楽評論家としての精力的な出筆活動に加えミュージックバードで週5回の「新スペシャル・セレクション」放送を担当されるなどご活躍されています。 今回は「伝説のクラシック・ライブ〜朝比奈隆&マウリツィオ・ポリーニ他〜」と題して「TDKオリジナルコンサート」にまつわる様々なエピソードを中心に貴重な録音音源を使って講演いただきました。 会場限定のお話も多く東条節が炸裂するお話しに会場は大変盛り上がりました。(fumi)
当日配布したプログラムはこちら
<マウリツィオ・ポリーニのライブ>
ポリーニは演奏活動もそろそろ終わりかなと思われる現在78歳です。 初来日は1974年で本当に脂の乗った時期でした。 しかしその頃ポリーニは日本で一般にはよく知られていなかった時期でもあります。 招聘元の新芸術家協会の中でもあまりよく知られていなかったのです。 1960年、18歳の時に第6回ショパン国際ピアノコンクールで優勝したものの10年近く雲隠れした時期がありました。 その原因はいまだに謎ですが「事故にあって手が痺れていたのだ」と当時N響がヨーロッパーツアーに行った際のプロデュサーから聞いたことがあります。 それでいよいよポリーニを呼ぼうかと新芸術協会のマネージャーが提案したところ協会内では「マウリツィオ・ポリーニ」なんて誰も知らない状況だったそうです。 そこで誰かに聞いてみようということになって「アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ」に聞いたのだそうです。ミケランジェリはポリーニを教えたことがあるそうです。 ミケランジェリが答えて「知っているけれど、ポリーニはちょっと変わった奴だよ」と。 ミケランジェリが「変わった奴」だというなら「よっぽど変わっている」か「よっぽどまとも」かのどっちかだとなって招聘したそうです。 しかしその頃はポリーニなんて誰も知らない。 ただしレコードでは有名でマニアの人はよく知っていたのです。 ただ新芸術協会の人はコンサートで成功するか自信がなかったのでN響とのコンチェルトの他は2種類のコンサートしか組まなかったのです。 一つは都民劇場、もう一つが一般公演でウェーベルンとか現代音楽しかやらなかったので誰も見向きもしなかった。 私はレコードなどで「ポリーニは凄い」ことを知っていたので新芸術協会と交渉し今にして思えば非常に安いギャラでリサイタルができることになった経緯があります。 NHKがリサイタル放送に手を出さないと思ったのはNHKが既にN響とのコンチェルトを収録していたからです。 リサイタルでシューベルトとショパンのプログラムをやったら人気が凄かった。 新宿の厚生年金会館が本当に満員になった。 新芸術協会に「なぜポリーニのリサイタルをやらないか」と尋ねたら「ポリーニは誰も知らないし今リヒテルが来ていて邪魔をしたくないから」と、ポリーニにもこういう時代があったのです。 その時に放送したシューベルトとショパンをお聴きいただきます。 アンコールが7〜8曲あったのですが放送2週分で使わせてもらいました。 「TDKオリジナルコンサート」の番組は1時間番組なので正味45分ぐらいになるから2週に分けて放送することになり、収録した1週後とか2週後に放送を行う鮮度の良さが強みでした。 NHKだと数ヶ月から場合によっては1年後ということもある。 これも当時のスポンサーのお陰と感謝しております。 スポンサーには随分我儘を聞いてもらいました。
それではアンコールでの演奏を聴いていただきましょう。 当時ポリーニは30代半ばでとても切れ味の良い演奏だと思います。 聴いていただくのは音源テープからナカミチ1000 mark II(発売当時30万円)を使ってTDK-SAカセット・テープにダビングしたものをCDRに焼いたものです。
①ショパン:練習曲第12番ハ短調作品10-12 に「革命」(1974年4月厚生年金会館)
切れ味の良さがファンを集めるポリーニの持ち味ですが反面「冷たい演奏」、「キレがよすぎる」、「味も素っ気もない」とか色々言われたものです。 しかし今はポリーニを貶す人などいませんね。
1974年の初来日時は知名度が低くここまで述べたようになったのですが、2年後に新芸術協会が再び招聘し多くのリサイタルが企画されました。 そこで「TDKオリジナルコンサート」として再度リサイタルを開催させてくれと新芸術協会に申し込んだところ1974年当時と比べてギャラを10倍にも跳ね上げてきたのです。 これは一つのオーケストラ放送権の3倍にも相当する金額だったのです。 そこで粘り強く交渉して妥当な金額にしてもらいました。 なんといっても1974年の「TDKオリジナルコンサート」で初来日の「ポリーニ」を有名にしたのですから最終的には理解してもらいました。
それでは1976年再来日時のベートヴェン ピアノソナタ32番の前半を聴いてみましょう。 これも大変な切れ味です。 因みに、これはオリジナル音源ではありません。 オリジナルはスタジオ用標準テープScotch206を38cm/sec 2トラックでステレオ録音されたものです。 これを自宅に持ち帰りルボックスで再生してテクニクスのテープレコーダー、確か7803にダビングしたものをCDRに焼いたものです。
②ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111〜第1楽章(1976年3月東京文化会館)
ポリーニ、今はこの様な鋭い演奏しませんよね。 当時のポリーニの凄さが記録されているのかと思います。 現在のポリーニはもっと柔らかな表現で弾きます。
ところで当時のカセット・テープはなかなかの実力があって特にTDKのSAカセットなどはカッセトテープの一つの完成形であり今聴いてもなかなかの実力だったと思います。 次に同じ音源の一部をカセットにダビングしたものを聴いてもらい比べたいと思います。
③ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111〜第1楽章(TDK SAカセット)
この様に50年近く経ているカセット・テープでも結構いい音がすることがお分かり頂けたかと思います。 放送局ではオープン・テープばかり使っていましたから、当時カセットがこれほどいい音がするとの認識はあまりなかったのです。 今回改めていい装置でダビングして残しておくと50年を経た今でもいい音で聴けるのだと思いました。 これはオーディオ界の一つの奇跡と言えるのではないでしょうか。 しかしテープにも色々ありまして全て良いわけではなくあまりよろしくないカセット・テープもあります。 TDKのSAとEDはよかったですね。 フジもよかった記憶があります。 最近は若者たちの間でカセット・テープの人気が高いのだそうです。 私自身CDになった時にオリジナル・カセットを随分処分してしまったのが悔やまれます。
<オーケストラのライブ>
「TDKオリジナル・コンサート」が1971年に始まって翌年から毎年1回無料公開録音をやっておりました。 今から考えてみると結構凄い人達を呼んでいたのです。 初年度はカールミュンヒンガー&シュトゥットガルト室内管弦楽団、2年目がロリン・マゼール&ベルリン放送交響曲楽団、3年目がバーツラフ・ノイマン&チェコ・フィルハーモニー管弦楽団で「我が祖国全曲」これが一番反響がありました。 4年目が「TDKオリジナルコンサート放送4周年とFM東京開局5周年」の名目で武満徹さんに作曲を委嘱して「カトレーン」が生まれ世界初演をして芸術祭大賞をいただきました。この時にあまりに予算を使いすぎて暫く公開録音ができませんでした。
今日は2年目である1973年のロリン・マゼール&ベルリン放送交響楽団を聴いていただきましょう。 会場が日比谷公会堂で音が悪いことで有名なホールでした。 当時録音エンジニアとして有名な若林俊介さんをTDKの希望で呼びまして録音してもらいました。 しかしどうしても日比谷公会堂の癖が出てしまいます。
ところで一般的に公開録音は欠席者が多いので当選者を多めに発表します。 当初「マゼール&ベルリン放送響のTDKオリジナルコンサート」は回収率80%として当選者に案内を配っていたところ、当日お客さんがなんと95%も足を運んでくれ、招待状を持ったお客さんが入れなくなって大騒ぎになったことがありました。 これに懲りて翌年の「ノイマン&チェコ・フィル」の時は回収率100%として当選者に案内状を送ったら今度は逆に欠席者が多く東京文化会館の5階席はガラガラでした。 応募総数11万5千通(さだまさしの公開録音12万5千通の記録が出るまで破られなかった)もあったのに欠席者が多いとは予測とは難しいものです。
「マゼール&ベルリン放送響」の演奏会はブラームスの交響曲第1番とリムスキー=コルサコフのシェヘラザードがメインプログラムでした。放送はしましたが音が良くないので音源はお蔵入りにしていましたがキングレコードの大川氏がCD化したいとのことで、今後どのような音で発売されるか楽しみにしております。
④ブラームス:交響曲1番ハ短調作品68〜第4楽章後半(1973年2月 日比谷公会堂)
これが日比谷公会堂の音です。 うまく録っていても大体この様になってしまいます。 これをCDにする時にどれくらい改善されるかがレコード会社の腕の見せ所かと思います。 もちろんイジリ過ぎて音がつまらなくなる危険性はもちろんあります。 そのような例を後で紹介します。
もう一曲、マゼールはこの時40代前半、アンコール曲にグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲をめっぽう早いテンポでやりました。 それもあってマゼールが袖に引っ込んでから関係者に頭を叩かれたりと冷やかされておりました。
⑤グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(1973年2月 日比谷公会堂)
(この公開録音に参加していたのが我が理事長カラヤニストでした)
次にベルナルト・ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団全盛期、1977年の来日公演でのアンコール曲から一曲聴いていただきます。
元々はギターと弦楽四重奏のための五重奏曲です。 これを現代作曲家のベリオが編曲したものでマドリードの夜中に酔っ払った兵隊が兵舎に戻る情景を描写したものでオーケストラが上手いと実に聞き応えのある曲なのですが下手だとつまらなくなります。
⑥ボッケリーニ(ベリオ編曲):マドリットの帰営(1977年5月 東京文化会館)
録音の時に裏話がありまして当時番組の評判がよかったので週刊FMなどに収録に使ったオーディオ機器を掲載しようとなり使用テープレコーダーはアンペックス、アンプもアンペックスそして使用テープはScotch206と書いてしまったのです。 Scotch206は放送局のスタンダードテープでしたから正直に書いてしまった訳です。 ところがスポンサーがテープメーカーだったので…と色々ありました。 お詫びに伺ったら逆に磁気ネックレスをいただきお陰で肩こりに効果満点でした。 テレビのドラマでもスポンサー以外の商品を使わない配慮がありますよね。 同様の裏話をもう一つ。 1979年にオトマール・スウィトナー&ベルリンシュターツカペレ・ドレスデンの来日公演を新宿の厚生年金会館から生中継をやっていたのですが休憩時間に楽団員への生インタヴューを入れたんですね。 その中で「日本で何を買いましたか?」と質問したら団員が「日立のトースターを買いました」と。 スポンサーはその時テクニクスだったのです。それで一悶着ありました。
ここまで聴いていただいたのはカセットデッキの最高峰ナカミチ1000 mark II の音源を使いましたが、後半はCDとして発売された「TDKオリジナルコンサート」の音源を使って紹介したいと思います。
その前に一つ触れたいことがあります。 現場で録ったものはScotch206に録音しているのでScotchのクセがあります。 このオリジナルテープを使ってナレーションやCMを入れて放送用にダビングし直すのですがこのダビングで高音域が大分落ち明瞭度が失われるのですね。 これが悩みの種でした。 その上FMでオンエアすると更に高音域が落ちます。 オリジナルと比較すると一目瞭然です。 もちろんFMチューナーにもよります。 ケンウッドのFM チューナー L-02Tはびっくりするほど音がよかったです。 しかし一般のFM チュ―ナーは相当高音域が落っこちているので「補正したい」との思いから放送元で高音域を上げて送る試みを何度か行いました。 一つの例が1978年9月北海道厚生年金会館でのラザール・ベルマン初来日リサイタル、これは放送した後にオリジナルテープそのままでビクターがLPを発売しました。 聴いていただくのはそのLPをCDRにダビングしたものです。
これはベートーヴェンのトルコ行進曲をアントン・ルビンシュタインが4手に編曲したものでそれをベルマンは一人で弾いております。
⑦ベートーヴェン(アントン・ルビンシュタイン編曲)トルコ行進曲(1977年9月 札幌厚生年金会館)
もの凄いトルコ行進曲でしたが当時みなさんは大喜びでした。 東京でやって話題になって札幌でも話題になったのです。 このビクターが出したLPについてあるオーディオ雑誌の座談会で「これは名演ではあるけれどこのLPの録音はいささかシャープすぎるのではないか」との意見が多く出たそうです。 その中で唯一、オーディオ評論家の菅野沖彦さんだけが「これはFM放送用の音源なのでFMの欠点を補うべく高音域を上げて録っているのではないか」との意見を仰ったそうです。 菅野さんとは知り合いでしたが事前にお話ししたことはありません。 さすが菅野さんは裏の事情を実によく見抜いたものだと感心しました。 中にはダビングによる高音域劣化やヒスノイズが増えるのを避けるためオリジナルそのものに「ハサミ」を入れナレーションとかCMとか拍手部分はダビングテープを使って繋ぎ放送音源にしたこともあります。 アナログは一度のダビングで高音域が劣化しヒスノイズも増えますのでこの様なことをして音の明晰さを保つために様々な努力を行いました。
それではオリジナルテープをそのまま使ってCD化されたものを聴いていただきます。
当時ディートリヒ・フィシャー=ディースカウは全盛期、伸びのいい素晴らしい声が聴けます。
⑧シューマン:歌曲集「詩人の恋」から(1974年10月 東京文化会館)
当時のフィシャー=ディースカウの凄さがよく伝わったかと思います。 ひと頃、演奏家に花束を渡すのが流行った時期がありましたがそのはしりがフィシャー=ディースカウであったかと思います。 終わった途端に花束贈呈で多くの女性に囲まれていました。 彼も一人一人丁寧に花束を受け取り握手していました。 袖に戻ってきたときこちらを見てニヤリと笑い「僕はポップシンガー」と嬉しそうに戯けていました。 キーシンやひと頃のブーニンも大変な騒ぎでした。 花束贈呈があまりに多くスケジュールが進められないのでその後マネージャーが禁止にして受付などで花束は預かる様になりました。
握手で大変だったのがカール・ベーム&ウィーンフィル演奏会でした。 当時あまりに高い放送権料だったのでFM東京としては手が出せなかったのですがこれも粘り強い交渉で支払える金額にすることができました。 この公演はベームが最後から2番目になる来日でとても暖かい演奏でした。
⑨ブラームス:交響曲第2番に長調作品73 〜第4楽章後半(1977年3月東京文化会館)
ブラボーコールが凄いですね。 今はコロナ禍で演奏が終わっても拍手だけでブラボーと叫んではいけないので、まるで1950年代前半の演奏会みたいです。 ブラボーが爆発的に広がったのは多分1956年にイタリア歌劇団が来日した以降だったかと思います。 歌い終わると何でもかんでも「ブラボー」と叫んでいました。 頭にきて「拍手とブラボーの仕方」を朝日新聞に投稿したのですが残念ながら掲載されませんでした。
<朝比奈隆&大阪フィルハーモニー交響楽団のライブ>
1960年代後半から朝比奈隆&大阪フィル東京公演が始まりました。 FM東京では1970年代はじめに中継したりしていました。 朝比奈さんは人気があり演奏の評判もよかったのです。 ところが楽団の意向で「放送より後々記録に残るレコードの方がいい」との事で録音を全部持って行かれてしまいました。
FM東京でまだよく放送していた頃の1973年のブルクナーの5番があります。 これは朝比奈さんが東京公演で凄いブラボーコールを受け「これでブルックナーでやっていける」と自信を付けたきっかけになった演奏会だったと後日聞きました。 この時の「朝比奈隆&大阪フィル」は野武士の様な荒々しい感じがありました。 最初に録ったものなんかもそうなんです。 ティンパニーの轟音なんか目の前で爆発するような凄いものでした。 ところがCD化されると随分と大人しく柔らかくなってしまっているのですね。 元の音を知っているだけにそれ点が不満で仕方ないのです。 むしろ音源をカセットにダビングしたものの方が良かったですね。 しかしこのカセットはCDが出た時点で捨ててしまいました。
⑩ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 〜4楽章後半(1973年7月 東京文化会館)
ダビングの問題なのか歪っぽい荒々しさを感じました。 オリジナルはそんなことはなくもっと綺麗で金管がバリバリと奏でティンパニーもこんな後ろの方ではなくもっとダダダダダとリアルな音がしていました。 音が甘くなってしまっているのが残念です。 だからと言うわけではありませんがCDの音は当てにならないと思っています。 演奏家の特徴を捉えているものもあるけれど疑問に思うCDもあります。 昔のフルトヴェングラーやトスカニーニの録音だけ聴いて論評する評論家がいますがなんか危うさを感じてしまいます。 録音によってこんなに音が変わる、マスタリングでこんなに変わる、プレスによってまた変わる、それがまた2度、3度再発売するにあたりマスタリングによってまた変わる。 記録媒体だけで評論される方々はこんなに変わることへの危険性を十分理解して述べておられるのかと疑問を感じており、そのためレコード評論には手を出さないようにしております。 これは現場でノイマンのSM69ワンポイントのステレオマイクを使って録音していたのでマイクの高さ、角度でオケのバランスが大きく変わることを経験していたからです。 金管が飛び出すとか、弦が強くなるとか。 あるいはシャリシャリするとか、木管が遠ざかるとか近くなるとか、また木管にブースターマイクを立ててクローズアップするそのクローズアップする味加減でバランスが大きく変わります。 これを絶妙なバランスで仕上げるのがプロデューサーとエンジニアの腕の見せ所なのです。 そこの匙加減でどうにでもなるのでいかに録音とはこのような危険性を持っているのです。 しかし朝比奈さんの音というものは大フィルであれ新日フィルであれ野武士的な豪快な音であることは確かです。
これからお聴きいただくブルックナー交響曲第8番には3つのゴタゴタがありました。
一つ目は第一楽章の本番の真ん中辺り、5階で誰かがコーラの缶かなんかを落としたらしくカンカラカーンと大音響がホールに響き渡ってマイクが拾ってしまったのです。 これは放送的にはまさか使えませんのでリハーサルの時の同じテイクと差し替えました。 それぐらいは演奏者のためにはやらなければと思っておりました。 「カンカラカーン」の音が入ったテープは残念ながら処分してしまいお聴きいただくことはできません。 貴重なテープはたとえ邪魔であっても取っておくべきだったと自戒しております。
二つ目が朝比奈さんのうっかりミスなんです。 ブル8の第三楽章の頭でティンパニーの上にシンバルが豪快にジャーンと鳴ります。 ハース版でもシンバルが記載されています。 朝比奈さんがそれをリハーサルの時に打楽器奏者が「シンバルはどうしますか」と尋ねたところ、朝比奈さんはハース版の7番のことを考えていたようで(ハース版はシンバルがない)「いらないいらない」と言ってしまった様です。 そうしたら本番の時にシンバル奏者がいないと慌てたわけです。 朝比奈さん透かさず「シンバルがなくてもシンバルがあるかの如く馬力ある演奏を聴かせせるのが諸君の腕の見せ所だ」と煽っていたとか。 結局シンバルなしでやりましたが様になっているんですね。 ブル8はシンバルなしでもいいと証明したようなものかも知れません。
3つ目は東京文化会館で演奏中にどこからか猫が紛れ込んだらしく舞台裏でニャーニャーと鳴きまくっていたのですね。 我々録音側は全く気付きませんでした。 後で奏者に聞いたら「どこかで猫が鳴くのでやり難くて仕方なかった」と言っておりました。 チェックしてみたら確かに猫の鳴き声が入っているのです。 オーケストラが第3楽章でパウゼ(休符)になったところで猫の鳴き声が聞こえるのです。それをこれから聴いてもらいます。
⑪ブルックナー:交響曲第8番ハ長調 〜第3楽章(1977年4月 東京文化会館)
確かに猫の鳴き声が聴き取れますね。 今から考えてみてステージに猫が出てこなくて本当によかったとつくづく思います。 ブルックナーの様な高貴な音楽をやっている最中にステージに猫が袖から現れたら音楽がメチャメチャになっていたでしょう。 猫の声が入ったブルックナーは前代未聞だと思います。
(「朝比奈隆ベートヴェンの交響曲を語る」東条碩夫編 中公文庫、2020年12/23発売)
この様な秘話は他にもありまして新日本フィルの軽井沢音楽祭、当時の軽井沢プリンスホテル晴山館のバンケットルームで演奏会をやって放送したことがあります。 あそこは音がいいのです。 ところが外の音が色々入ってくるわけです。 窓を少し開けてやっておりますと軽井沢の駅から電気機関車の警笛音ピーが入ってきてしまうのです。 それがまたいいポイントで警笛が鳴るのです。 モーツァルトのフルート四重奏曲第1番の第2楽章から第3楽章に少し入ったところの休符でピーが入りました。 仕方がないのでそのまま放送しました。 他には自転車の音とか。レオノーレ序曲第3番をは大臣が到着するところで遠くからラッパを鳴らします。 ホールでやるときは袖のドアを開けて遠くから吹くのですが軽井沢ではそんなことができません。 そこでドアを開けて他の棟から吹かせたのです。 ところがその時は外が土砂降り状態だったのです。 そのためドアを開けると軒先からの雨のバシャバシャ音が入ってしまったことがあります。 正に土砂降りの中を大臣が到着した情景を出してしまったのです。 一番困ったのが蝉の鳴き声でした。 どうも蝉は音楽に合わせて鳴くようで音楽がガンガン鳴っていると蝉の鳴き声も大きくなる経験をしました。 自宅でも音楽を流していると必ず窓に蝉がやって来ました。 春の祭典と蝉の声が一緒で五月蝿くて仕方なかったことがあります。 軽井沢でもヴィヴァルディの四季の冬の第2楽章のゆっくりしたテンポのところで蝉が鳴くのです。 夏のところで鳴いてくれたらいいのに冬で鳴くのですから困ったものです。
その他、放送時の雑音の件で話題になったのは群馬交響楽団の高崎のホールで録った時でした。 ラベルのピアノ協奏曲やベルリオーズの幻想交響曲を録音していてピアニッシモのところでゴロゴロと音がしたのです。 誰か大太鼓の練習でもしているのかとスタッフに確認に行かせたところ「違います 大雷雨です」と言って戻って来ました。 私自身中継室から出てみたらガラス張りのロビーで雷雨が荒れ狂っている様子を確認しました。 雷は轟くは稲光は凄いは状態でした。 そして雷の音が全部演奏録音に入ってしまったのです。 しょうがないですから、これは群馬交響楽団の群馬での演奏会ですから名物の雷はローカル色豊かなご当地ソングの様なものだとして雷が入っていることをアナウンスした上でそのまま放送しました。 これが結構評判でエアチェックファンを喜ばせました。 「あの時の雷入り録音持っています」と仰ったリスナーの方と会ったことがあります。 もう一つ幻想交響曲の第3楽章のところで落雷のためか一瞬停電になりかけた時があります。 その時録音していたテープレコーダーのテンションレバーが落ちかかったのです。 落ちてしまうとテープレコーダーが止まります。 それを避けるべく当時の担当エンジニア及川公生さんがテンションレバーを跳ね上げてテープレコーダーが止まるのを阻止してくれました。 それで落ちかけたテープが回り続けることができました。 しかし後でモニターするとその部分に回転ムラがあるのです。なので後でオーケストラメンバーを集めてこの部分を再収録することになったのです。 指揮は山田一雄さんだったのですが始めようとしたら今度は完全に停電となり真っ暗になってしまったのです。 山田さんは「さー、指揮棒をよく見て」とジョークを飛ばし団員から笑いを取っていました。 しかし何分待っても電気が来ないのです。 楽団員は演奏には熱心ですが放送にはあまり興味がないらしく「この部分はカットして放送したらどうなのですか」と言い出す始末。 その頃の私は血気盛んな若者でしたから「我々はあなた方の演奏を最高の状態で放送したいのです」と反論していました。 あまりに停電が長引くので楽団員の帰宅のことを考えた楽団マネージャーが「もう無理だから帰しましょう」と言うので私は怒ってスコアをステージに叩きつけたのです。 そしたら楽団マネージャーは黙ってスコアを拾って渡して肩をまあまあと叩いてくれました。 この方は大人だな〜と感心したものです。 後で確認したことですが高崎市全体が停電で電車も止まっており再収録をやめても帰宅できなかったのです。 結局喧嘩別れとなって再収録できなかったのですがある方法で問題箇所をなんとかして放送しました。 修正方法は会場の方々にだけにそっとお話しします。
<トスカニーニの放送録音秘話>
はるか昔の1954年の話をしたいと思います。 大指揮者アルトゥール・トスカニーニはクラシックファンの皆さんはよくご存知かと思います。 アメリカでNBC交響楽団を指揮して17年間毎週NBCで生放送をやっていました。 最後の演奏会で大きなトラブルが有ったことはよく知られていますよね。 トスカニーニがワーグナーのタンホイザー序曲とバッカナールを演奏していた時に途中で記憶障害が起こってしまい演奏が止まってしまったという話があります。 これはサムエル・チョスナーの著書に実に詳しく書いてあるのです。 トスカニーニがバッカナールの途中まで来たときに演奏が急に乱れると思ったら演奏が止まってしまったと。 トスカニーニは左手で顔を押さえて後ろの手すりに寄りかかったと。 オーケストラは呆然としてそのまま、お客さんもそのまま、恐ろしい沈黙が30秒ほど続いたそうです。 その後トスカニーニは指揮棒を取り上げて指揮を始めたと。 一般に流布しているのはすぐ次のマイスタージンガー第1幕の前奏曲を始めたとなっています。 ここの部分が事実とは違うのです。 一般に流布されたレコードはマスターテープを編集して繋いでいるのです。 切れ目なしに繋がっているのです。 トスカニーニの伝記を書いた人の中でも「あの演奏は中断はなかったのだ、中断したとするのは著者の誇張だったのではないか」とする人も多くいます。 ところが当日のNBC放送を編集なしでそのままレコードにしたブライベート盤が僅かに出回っており、私もそれを持っております。 それを聴くと恐ろしい様な雰囲気が伝わります。 止まる少し前からオーケストラの演奏が少しずつ少しずつ乱れおかしいなと思ったころで止まっております。 当時の記録によるとNBC放送では万一のことを考えてブラームスの交響曲第1番を用意しており会場から切り替えてブラ1が放送に乗りました。 そしたら演奏が再開されたのでまた会場へマイクを切り替えタンホイザーのバッカナールが最後まで演奏されています。 これは放送のアナウンスでも確認できます。 このブライベート盤が広く流布していないこともあり一般に発売されているレコードだけで評論されている方々は「中断はなかった」説を支持されている様に思います。 その放送のブライベート盤をこれから聴いていただきます。
⑫トスカニーニ&NBC交響楽団のオール・ワーグナー・プログラム(1954年4月4日)
バッカナールで演奏が止まったところでアナウンサーも混乱したコメントをしていますね。 そしてブラームスの1番が鳴り出します。 30秒ほどでしょうか。 そして再び会場へマイクが切り替えられバッカナールが再開されている様子がわかります。 当時はエアチェックなど出来なかったでしょうから多分NBC放送局からテープを起こして誰かがレコードにしたのでしょう。 トスカニーニは当時87歳、アメリカでも神様のように尊敬されていました。 神様的存在のトスカニーニが前日の練習で間違いをしたらしく騒ぎになったそうで、完璧な記憶力のトスカニーニが間違えてオーケストラに「違う違う」と言い張ったそうです。 直後トスカニーニが間違いに気付いて「俺ももうこれが最後のリハーサルだな」と言って帰って行ったそうです。 前日にその様なこともありNBC放送局としては事件が起きたらすぐ切り替えられる様にブラームスの交響曲第1番を用意していたのだそうです。 それが現実に起こってしまったのです。 またトスカニーニはタンホイザーの演奏が終わった後に帰ろうとしたそうです。 そこでフランク・ミューラーにもう一曲マイスタージンガーがありますよと言われて指揮台に戻りマイスタージンガーを堂々と演奏したのだそうです。 ところがこれで最後までいけると思った最後の部分で思いがけないことが起こりました。 それは最後の和音を振り忘れて途中で指揮をやめてしまい指揮棒を落とし、指揮台を降りてしまったのです。 演奏そのものは最後の部分なので滞りなく終わったのですが聴衆に挨拶もせず第一と第二ヴァイオリンの間を通って帰って行き再びステージに現れることはなかったそうです。 最後に万雷の拍手の中で中継アナウンサーも再びステージに現れてほしいと語っており、正に歴史的な生中継だったわけですね。 トスカニーニはこの日を最後に引退し3年後に亡くなりました。 この日のマイスタージンガーを聴いていただきます。 この様なアクシデントやそれへの対応が記録に残るのも放送の一つの醍醐味なのかも知れません。
<放送で心掛けた事>
私がアメリカの放送をFENを通じて聴いて感じた事として、彼らは中継が始まる前の会場のざわつきやチューニングの音それに指揮者が現れて拍手が始る音など演奏前の緊張感の高まる様子を解説に被せて放送していました。 これを私も参考にさせてもらい演奏に入る前の緊張感をリスナーに伝わるようにしました。 放送では大体演奏に入る前に解説が入ります。 この解説でリスナーに長いと思われたら駄目なのです。 長いと思われない様にする手段として放送開始より会場のざわつきを計算して入れ拍手が始まる直前までナレーションを入れることにしました。 そうするとリスナーは本番が始まる前にナレーションで繋げていると錯覚してくれるのです。 ナレーションがあってバックに色んな音があって静かになってチューニングが始まる、そろそろ始まりが近いと、そのためにナレーションで繋げているのだと思わせるわけです。 そして拍手が始まり指揮者の足音がして登場となり演奏開始となるわけです。 この緊張感の盛り上げの種はNBCその他の放送に刺激を受けたのです。 今はこんなことやらないですよね。 解説は解説、演奏は演奏と分けるので何を長い解説をやっているのだとイライラすることがあります。 そう思わせないように本当はやらなければならないのではと思っています。