〜ある昔話の寓話〜
*これはフィクションです。特定の人物、あるいは団体を指すものではありません。

当たり前? 良い音が聞きたければ「投資」をしろという訳です。 確かに高級なステレオ機械は複雑な回路設計や高価なパーツ、高価な素材(金銀銅)を使って所有欲を満たしてくれます。 「すごい音楽」ではなく「すごい音」を出してくれます。 秋(あき)顔(フェース)と言う高級機メーカーの製品は複雑極まりない回路構成で高額になってしまうのが仕方のない機械を売っております。 夜沼好狭氏などは「寒色的で熱っぽさに欠ける。」と批判するような事を述べていましたが、果たして本気で批判していたかは疑問です。 メーカーとの阿吽の呼吸が評論家の立場を決めているのです。 上の表現は「クリアーで明確な音」の裏返しの言葉です。 誠に見事な文学作品の語りです、いや、騙り(かたり)です。 あるいは、消費者に「タカッて」います。 文学的な言い回しがここでも最大限の効果を表しているのです。 しかも、この文学的な言い回しは例えば森鴎外のような立派なものではなく、三流の似非文学であります。 救われないのです。

結局! お金をかけなさい、そうすればよい音が手に入りますという資本主義の理論を刷り込ませるために手練手管を使っているだけです。 そのための文学でもあるのです。