第4回「幕間1(休憩)歌劇場の闇」

やっと二か所の歌劇場を旅しました。この辺で幕間に休憩を取って歌劇場の「闇」に付いて考えましょう。とは言っても裏話とかやばい話の「闇」の部分の事ではありません。文字通り暗がりの事を考えて見ましょうと言う事です。

歌劇場に限りませんが、劇場は普通屋内にありますから外とは隔離されていて、窓も付いていないので照明を落とすと中は真っ暗になります。何故外の光が入らない様に設計されているかは改めて言う程の事でもないと思いますが、舞台効果を生み出す照明が存分に活躍出来るようにする為です。近代の舞台上演の最も発達した技術は電気照明による革新的な照明技術の進歩だと言えます。電気照明が登場する前の蝋燭や油を燃やしての照明から比較すると安全性も効果も別の次元の趣があります。歌劇場内で売られるプログラムには演出や歌手や衣装や指揮者等に交じって照明担当者の名前が載っているのも舞台効果の多くの部分を照明が担っているからです。と言うより照明がなければ演出そのものが成り立たないと言えます。ヴィーラント・ヴァーグナーの新バイロイト様式の演出にしろキース・ウォーナーの「指輪」にしろペーター・コンヴュチニーの演出にしろ照明が演出の意味や意図、思想を一手に担っていると言えます。照明は意識していなくてもかなり大きな役目をこなしているのです。

で、照明が文字通り「脚光」を浴びていると忘れられがちな事があります。それが「闇」の存在です。どんなに素晴らしい照明設備やその運用方法を手にしていても闇がなければ照明もその力を発揮することが出来ません。昼間の野外劇場では照明が出来る事はほとんどないと思って良いと思います。夜の闇かあるいは劇場の構造的な闇があってこそ照明はその力を発揮するのです。

「闇」は電気照明の力によって征服されるまでは、恐れと信仰と神秘の対象でした。森に行けばそこは漆黒の闇だったのです。いえ森ばかりとは限りませんが至る所に「漆黒の闇」は存在し人間はその「闇」がもたらす領域には立ち入らなかったのです。欧州的な考え方で言えば漆黒の闇がある森の中には妖怪や魔女がおり、悪魔が囁いて来るのです。有名なシューベルトの「魔王」も闇の中で子供が連れ去られるゲーテの物語を台本にしていますが、これなど典型的な「闇」への恐れを表した物語ではないでしょうか。

そうした「闇」のもたらす恐れや神秘や信仰を表現の場に用いたのが薪能やオペラの演出だったと思います。薪能の様に松明の炎の中、わざわざ夜に行うのはおそらく「闇」と「薄明かり」がもたらす神秘的な場面が人間の信仰心や幻想性を刺激するからだと思いますしヴァーグナーは「トリスタンとイゾルデ」の第2幕で「闇」を讃えてみせます。ヴェルディも作品の至るところで「闇」を効果的に示唆していますし、モーツァルトも闇に忍んで窓辺の愛しい人にセテナードを奏でさせています。

至る所に防犯の為でもありますが、照明があり真の暗闇が無くなった現代の、主に都会やその周辺に暮らす人々にとって「闇」はもはやその意識にものぼらなくなった概念なのではないでしょうか。松明や蝋燭や油の燃焼に頼っていた時代には「闇」は途方もなく深く濃いものだった事でしょう。闇の向こうには化け物や幽霊がいると素朴に昔の人達は思っていたでしょうし、それを非科学的だと笑うのは貧しい考え方だと感じます。現代でも特に子供達は素直に、素朴にそう思っている様ですのでそれは喜ばしい事です。「闇」を文明の力、電気照明で征服した時から私達の不遜さは助長され恐れると言う事を忘れてしまいました。「闇」を恐れる事を忘れて不遜になった私達は「何時かは」その自ら築いた文明の力に復讐されるのではないかと気になって仕方がありません。そして不幸な事に「何時かは」は「今」になってしまいました。照明の大元の発電と言えば今さら言わなくても分かりますね。ドレスデン国立歌劇場の一文で世界遺産を捨ててまでと書いたのはそんな気持ちも少しあったからです。

幕間には同行した人達や歌劇場内で知り合ったオペラファンや歌劇場でしか会わない友人達と楽しい話をしたり今観劇した第1幕の感想を話したり、少々ビールやワインを、下戸の人は珈琲や紅茶、ジュースを飲んだりして歓談するものですね。あまり重い話は歓迎されない様ですのでこの辺にしておきます。

「闇」の話に戻りますが、今度歌劇場に出掛けたら、照明が照らしだそうとしている暗闇の部分も見てください。そこにも演出家の仕掛けや考えが見えるかもしれません。照明担当の技術が窺えるかもしれません。「闇」の中からタイトルロールの歌手が現れる時にいきなりスポットライトを当てるのか、徐々に照度を上げて行くのか、あるいは照らし出された場所に歌手が歩み寄るのか。それは「闇」をどう律し様とするかの考え方の違い、少し大げさに言うなら思想の違いを知る事だと思います。舞台上の「闇」を良く見ましょう。何か新しい発見があるかもしれません。大道具係のオジサンがまだうろうろしていたり、装置担当者が場面転換の為に待機しているのが、見えたりして興ざめになっても私のせいにしないでくださいね。舞台裏は歌劇場の政治や権力闘争の様な「歌劇場の闇」の部分も含めて見えないに越したことはないですし、万が一見えても「見なかった事」にするのがオペラを楽しみ甘受する基本ですよ。

めったに見なかった事に出来ない私と同じ「損な性格の人」は仕方がないですね。「黙って」「抗議しましょう」と言う事で。さて第2幕が始まる様です。では次の幕間にまたお会いしましょう。ウーン少しワインを嗜み過ぎたかな・・・「程良い」お酒はオペラの良き友ですけどね。第2幕きちんと聴けるかな・・・。