ブレンデル その4

ご存知の様にアントン・シントラーの証言は今や信頼できない資料の筆頭株です。 「テンペストを読め!」とベートーヴェンがシントラーに向かって本当に言ったのかどうか、信頼のおける論証は何もないのです。 それにもかかわらず対話だと言えるのは多くのピアニストがテンペストを弾いていると対話の形が見えてくると感じ取っているからです。 彼ら達の演奏が対話を表現しているのが分かるからです。
ブレンデルは若干早いテンポで三楽章に挑んでいます。 メトロノーム記号♩.=72にこだわるわけではありませんが、学研肌と思われるブレンデルがなぜ研究者の間では認識され意識されている♩.=72のテンポを取らずに早いテンポを取るのでしょうか? ブレンデルは♩.=72に反対しているのでしょうか?
そうではありません。 先に「せわしないソプラノの問いかけ・・・」と書きましが、ブレンデルはそのせわしなさを表現したかったのだと考えられます。 せわしなさは早目のテンポで表現できるものです。
学研肌のピアニストとブレンデルを考えていましたが、この様に感情的な感性で違った面を見せる演奏をしていることが分かってきます。 ブレンデルは既存のベートーヴェンのピアノソナタの枠組みに縛られてはいないのです。 ブレンデル自身の感情表現を行っており、そこに独自の解釈が見られるのです。 研究にいそしむだけのピアニストではないのです。
ブレンデルのベートーヴェンのソナタの演奏は「つまらない」と評価する向きがあります。 なぜそうなのか考えてみますと、ブレンデルが提示する演奏は上で述べました彼独自の解釈を冒険的な領域には決して持ってこないからなのです。 節度があると言っても良いでしょう。 やりすぎは絶対にしていないのです。 そこには良識を持っているピアニストの姿が浮かんでくるのです。 あえて言えばそこから学研肌の印象が造られるのかもしれません。
「テンペスト」から少し離れますが、初期のピアノソナタ第1番作品2-1の演奏では、ブレンデルはソナタ全体を通して強い打鍵を控えめにしています。 ここでは音量の事を言っていません。 音量は十分に確保されています。 ブレンデルははっきりした打鍵、明確なタッチ、強い表現、強拍の打ち込みなどを避けて柔軟性を心がけています。 表現が難しいのですが、曖昧さやぼんやりした音色などでは無いわけですが、ベートーヴェンの若い作品にありがちな勢いを重視していません。 技巧を発揮しいかにも当時即興演奏の熟達者と認識されていた若いベートーヴェンを描き出しているのではないのです。 言い過ぎを承知で述べればふんわりした感覚をも、もたらしさえします。
その演奏はまるでベートーヴェンの心が何処にあるのかを「さぐっている」のではないかと思えるような響きです。 「テンペスト」に話を戻せば第1、2楽章の演奏もそうした感覚の延長線上に連なるのです。 「さぐっている」と述べましたが、演奏自体がおどおどしているとか、暗中模索であるのではなく、楽譜からベートーヴェンの述べたい事を引っ張りだそうと精神を集中し凝らしているのだと考えて頂ければと思います。 練習中には手探りをしているかもしれませんが、聴衆の前で演奏する時にはもちろん何の迷いもなく演奏しているのですし、ピアニストが舞台上で方針を変えるのは滅多にない事です。
(つづく)

ピアノ・ソナタ第1番 ヘ短調 Op. 2, No. 1:(https://ml.naxos.jp/work/4975285):ブレンデル(Pf)

ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」 Op. 31, No. 2:(https://ml.naxos.jp/work/4464101):ブレンデル(Pf)

 

アルフレート・ブレンデル(Pf)