アルゲリッチ その2

シューマンはアルゲリッチが表現した様な圧倒的な演奏を望んだのでしょか。アルゲリッチの熱狂がト短調のピアノソナタの本質なのでしょうか。 アルゲッチはそうでない演奏をする事はいくらでも出来たのです。 これがホロビッツの弾き方、これがルビンシュタイン、これがシュナーベルと他の有名なピアニストの演奏をアルゲリッチは見事にまねて弾いてみせたそうです。 モノマネなどピアノ演奏の本質に何のかかわりも無いと言えばその通りでしょうが、それにしても何と言う才能でしょう。
それ程のテクニックを持っていて尚、アルゲリッチはシューマンのト短調ソナタを自身の演奏としてあの様に弾いたのです。 圧倒的な個性であり、既にしてゆるぎない自身の表現手段を確立している訳です。 演奏だけではなく才能も圧倒的だと言う事です。
冗談の様な話ですから、まともに受け取らないでは欲しいのですが、同じアルゼンチン・ブエノスアイレス出身のピアニスト、現在は指揮者としてベルリン国立歌劇場の音楽監督として活躍しているダニエル・バレンボイムはアルゲリッチの圧倒的なピアニストとしての力量に脱帽して自分はとても及ばないのでピアニストではなく指揮者を目指したと言うのです。 たぶん冗談でしょう。
アルゲリッチは圧倒的なシューマンのト短調ソナタの演奏を聞かせた訳ですが、第2楽章のアンダンにおいてはシューマンの蠱惑的な幻想性が聴こえて来る様に弾いてみせているのです。 アルゲリッチは何も全てが火の球の様に弾いている訳ではなく必要な表現は十分に提示している訳です。
シューマンはアルゲリッチの様な演奏を望んだのかとの問いに答えるのは容易な事ではありませんが、ある程度はかなった演奏ではありましょう。 ある程度と言うのはシューマンはおよそ名人芸を快く思ってはいなかった事と、彼の心には優れたピアニスト、後の妻となるクララ・ヴィークのピアニズムが想定されていたはずだからです。 炎の様に鳴り響く自身のソナタト短調に驚き称賛しもするのですがシューマンは首を横に振りこれは僕のソナタでは無いとつぶやいた様に思います。
それだからこそ尚、私達はアルゲリッチの弾くト短調ソナタに圧倒され引き付けられてやまないのだと言えば逆説的に聞こえるでしょうか。 シューマンのト短調ソナタにはシューマン自身も想定しなかった魅力があった、それをアルゲリッチが表現してみせたのだと言えば分かりやすいかもしれません。

シューマン ピアノ・ソナタ第2番 ト短調 Op.22(http://ml.naxos.jp/work/4484048)アルゲリッチ(Pf)

その3に続く

マルタ・アルゲリッチ(Pf)