ポリーニ その5

ところで中期に差し掛かる第17番テンペストにポリーニは何を求めたのでしょう? 精妙に弾かれるソナタには熱意があるのでしょうか? 熱意はあるようですが、ほとんど全ての聞き手が思うであろうイメージ、流れるように、あるいは達者に弾かれる早いテンポのソナタに息も切らせぬ疾走感を感じもするでしょう。 だけれどもここにあるのはポリーニの焦燥感なのです。 これも以前述べましたが、テンペストは対話のソナタです。 しかるべき受け答えが無くてはならないのですが、一聴すると淀みなく流れているように聴こえるパセージが、平常な受け答えとは聞こえないのです。 まるで何かに苛まれているような。

これはどうしたことでしょう。 ポリーニはメトロノーム記号72であるべきとする意見を取り入れてはいません(第三楽章の事ですが)。 72よりもっと早いテンポでポリーニ独特の明晰なタッチのもと先へ先へと進んでいくのですが、演奏は自身の弾奏の精密さに追いかけられてしまうのです。 再び言いますがテンペストは対話ですので受け答えは常に変化しながら続かなくてはなりません(テンペストは単調な会話の連続と言う意見はここでは考慮しません)。 設計図や台本通りの硬直化した演奏ではそれは生き生きとは出てこないのです。 設計図は精密な演奏を助長します。 ポリーニの研究やアナリーゼは一旦、精密な演奏に向かって走駆し始めます。 そして対話の変化とぶつかりポリーニは焦るのです。 そうは聞こえないと言われるかもしれません。 ポリーニの優れたテクニックはぶつかり合っていても早いパッセージでも一切、空中分解することが無いからです。 生まれるのは対立する楽想にけりをつけなくてはならないという意思、そしてそれは焦燥感になって聞こえるのです。 ちなみに先に「熱情」ソナタと同じ様にザルツブルクで若い時に弾かれた「テンペスト」も傾向としてはレコード(CD)と同じものです。 ここでは対話の変化との衝突は若干和らいでいます。 気にしなければこれでも良いと思いますが、どこか聞き手は居心地の悪さを感じるでしょう。 収まりどころの悪さがあるのは致し方ありません。それでもテンペストの演奏がポリーニのベートーヴェンのソナタを過小評価する材料にはなりません。 ポリーニは分かっていたのです。 聴き手も焦燥感を感じた時点で理解しなくてはならないのです。
(つづく)

ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 「テンペスト」 Op. 31, No. 2
1988年録音(https://ml.naxos.jp/work/4539980):ポリーニ(Pf)
2014年録音(https://ml.naxos.jp/work/7107130):ポリーニ(Pf)