第8回「ミラノ・スカラ座」

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ミラノ・スカラ座のシャンデリア

ミラノ・スカラ座

教会のあった場所に建てた歌劇場だそうだ。教会など取り壊して神の怒りはかわなかったのだろうか。いかに芸術を錦の御旗の様に振りかざしても歌劇場は遊興の娯楽施設でもあるのだ。神への祈りを捧げる教会を取り壊して大丈夫だったのかと要らぬ心配をしてしまう。サンタ・マリア・アラ・スカラと言うその教会の名がそのまま歌劇場の名になった。イタリアでも屈指のオペラハウスでありその名が世界に鳴り響く歌劇場である。トスカニーニのあるいはカラスの、さらに多くの歌手や指揮者達の栄光の名と共にこの歌劇場の伝説は脈々と語り続けられるだろう。

ところでここではミラノ・スカラ座への旅を書かなくてはならないのだが、躊躇と言うか、触れずに済ませられるならそっとしておきたい気持ちに駆られる。ミラノ・スカラ座を語ることはオペラハウスの触れてはいけない何かに触れてしまうのではないかとそんな恐れに似た気持ちになるからだ。パリのオペラ座には怪人が棲んでいる様だが、ミラノ・スカラ座にはオペラの魔物が棲んでいそうな気がする。スカラ座を語るのは恐い事柄を語らなくてはならない様な気がする。そうした思いをこの歌劇場に感じるのは何か特別な事があるからなのだろうか。それを知る為にも勇気を奮い起して魔物の棲むオペラハウスへ旅する決心をした。それではスカラ座への旅を始める事にしよう。

1.スカラ座の席にて

イタリアが正確に言えばミラノがハプスブルク帝国の支配から解放された時をこの歌劇場は共にして来た。火災で焼失したレジオドゥカーレ劇場に変わる歌劇場の再建を許可したのは他ならぬマリア・テレジアなのだ。だからこの歌劇場は本来ヴィーン国立歌劇場と兄弟の様な位置づけになる歌劇場なのだ。歴史を知ればなるほどと思うが、誰もこの歌劇場がヴィーン国立歌劇場の兄弟分だなどとはなかなか想像出来ない。真っ向から対峙するものの様に思っていたとしても一概に間違っているとは言い難い。対峙する?何に持って?オペラ発祥の地イタリアの名誉を掛けてドイツ語圏の歌劇場と?南のナポリやローマ、あるいはフィレンツェ共々後発のドイツの歌劇場と名誉ある戦いを繰り広げる?今や世界三大歌劇場を数える時に必ず入るこの2つの歌劇場の比肩する人気の高さを誇るライバルとして?

スカラ座の席に座るとこの地がオペラ発祥の地イタリアの歌劇場なのだと言う感慨と緊張が湧きおこる。いやいやそもそもオペラはこのミラノでは無くフィレンツェで1594年ヤコポ・ペーリの「ダフネ」で始まったと言われている。この現存しないギリシア劇に題材を取ったオペラが史上初のオペラだそうだ。だがフィレンツェで勃興したオペラはイタリア各地に拡がり浸透していった。ミラノももちろんそうだ。オペラ発祥の地イタリアとミラノ・スカラ座の席に腰をおろしながらそう思うこの表現に誤りはないと思う。

そしてその感慨と緊張の中で幕が開くのを待つのだが、幕の開くのを待つ間にも「感概」と「緊張」は嫌が上にも高まり続ける。それは他の歌劇場にはない伝説の物語のせいでもあるかもしれない。ミラノ・スカラ座は幾多の伝説に彩られた歌劇場の最右翼だろう。マリア・カラスのヴィオレッタ以来30年もこの歌劇場ではトラヴィアータは上演されなかった。カラスの怨念がトラヴィアータの上演を許さないのだそうだ。ヴェルディの最高傑作の一つが上演されないイタリアの歌劇場など信じられないではないか。

だがスカラ座ではそれが当たり前のように許される、いや怨念だの霊魂だの何かそうしたもの、幾多もの伝説が素直に受け入れられる雰囲気に満ちた歌劇場なのだ。やはり教会など壊して建てたせいだろうかと思わず考えてしまうが、そうではあるまい。試しに歌劇場の上階に上る階段の壁沿いにずらりと掛けられ並べられた過去の演目のポスターの一つ一つを眺めてみると良い。単に長く栄誉ある歴史を俯瞰出来ると言うより恐るべき魂の連なりを見ていると感じさせるに十分なポスターが並んでいる。もし過去に生きてこれらの演目を観劇していたらきっとスタンダールの様に人生は変わってしまっただろう。「イタリア人」アンリゴ・ベイレの様にイタリア風の名前を名乗り毎晩スカラ座に入り浸りモーツァルトとチマローザを愛したかもしれない。いやいや、のちの時代に生きる身としてはそこにヴェルディやベッリーニやドニゼッティも入れなければならないが、ともかくグィド・カンテルリやトスカニーニやトルリオ・セラフィンの様な指揮者の名と共に綺羅星の如き名歌手達の載っているポスターは歴史の一端を垣間見ると言うよりこの歌劇場の魔力を思い知らされている様な感情を懐かせる。

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博物館の一部を兼ねる上階席への階段沿いに展示される過去のポスター

それにしてもスカラ座の席に腰掛ける事はどうして特別な事の様に感じるのだろうか。ドレスデン国立歌劇場の、ハンブルク国立歌劇場の、ベルリン国立歌劇場の、バイエルン国立歌劇場の席に腰掛ける事だって十二分に特別な事ではないかと異国の旅人は思うのだがそれにしても、何かスカラ座の席に腰掛けるのが他の歌劇場以上に特別な事だと感じられるのはなぜだろうか。スカラ座の魔物に取りつかれるからだろうか。スカラ座の事を語って行く内にそのあたりの事が見えて来る様になるかもしれない。

スカラ座の席に腰をおろしてスカラ座に想いを馳せてみる。スカラ座を一言で言い表せる様な言葉が見つかるだろうか。一言では無理かもしれない。

栄光のスカラ座などと言う常套句などでスカラ座を表現できる訳ではないし、その言葉ではスカラ座の魅力の十分の一も表現してはいない、あるいは表現出来ない。

2.恐ろしき聴衆

そもそもこの歌劇場の持つ魔力は歴史が作り上げて来たものと当然言えるが、歴史など他の歌劇場にも山ほどあるではないかと言うものだろう。だとしたら歴史や伝統がいかに分厚く用意されていようともスカラ座の魔力が必ずしも歴史や伝統から醸成された訳ではないと言う事になろうか。では魔力は、スカラ座独特の魔力とそれが醸し出す雰囲気はどこから来たのだろうか。

真っ先に思い浮かぶのはスカラ座の聴衆に付いてだろう。スカラ座がスカラ座の魔力を持ち続けるのは一つには聴衆にあるのではないだろうろうか。この極めて厳しくもいい加減な聴衆、享楽的でありながら残酷な聴衆がスカラ座を魔力ある歌劇場に仕立て上げているのではないかとの思いが心に浮かぶ。

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1925年1月22日 ジョルダーノ 歌劇「アンドレア・シェニエ」

何もスカラ座の聴衆が特別だなどと言っているわけではない。そもそも歌劇場の聴衆などと言うものはどこに言っても口うるさく批判的で、それでいながら贔屓とする歌手や指揮者、演出家には永遠の忠誠を誓っているかの様な拍手喝采を送る手合いなのだ。極めて厳しくもいい加減で、享楽的でありながら残酷な聴衆はスカラ座に限った訳ではないが、やはりここはオペラ発祥の地イタリアの歌劇場だけあって聴衆は抜きん出た反応を示すのだ。少し下品なくらいに、いや大いに知性を疑わしく感じるほどに。知性?そんなものがそもそもオペラを観劇するのに必要なのかと彼の地の聴衆は言うかもしれない。享楽の為にこそオペラはあるのであって、形而上学的な何か、哲学的あれかこれかを求めて聞きに来るなどと言う酔狂な鑑賞などする訳もないと笑うかもしれない。

しかし、と思う。しかし、深い感動を味わった時、単なる楽しみを通り越して思う事はやはり芸術のもたらす浄化であり、生きる意味であり、超越的なる何かの、神と言えるかもしれないが、側に達したと言う思いである。芸術を芸術と喝破するには知性が必要であろう。スカラ座の聴衆に知性は無いなどと喧嘩を売るつもりはない。聴衆に知性の一片でもなければ今のスカラ座は無いし芸術的なオペラがスカラ座の為に生まれる事も無いからだ。酔狂な鑑賞などする訳が無いと笑うかもしれないが、今日歌劇場に通う聴衆は大なり小なり酔狂な鑑賞をしているものだ。その抜きんでた反応、下品な知性を疑わせるブーイングや度の過ぎた喝采を送る時でも。

多くの歌劇場を旅して感じた事はやはりこの歌劇場の聴衆程に挑戦的な聴衆は他の歌劇場では見られないのではないだろうかと言う事だ。ベルリンもヴィーンもミュンヘンもパリでさえ「敵意」を燃やして挑みかかる聴衆などにはあまりお目にかからない様に感じる。歌劇場の聴衆がいかに熱狂的で、気を逸していると言えるにしても、いささか理性的な振る舞いの方が勝っているのが歌劇場の聴衆と言うものだけれどミラノでは違う。そう、「敵意!」。なんと言う事だろうか。お気に入りの歌手には熱狂し、その分以上に気に入らない歌手や指揮者にはあからさまな敵意を叩きつける、そう、敵意などと言う物を叩きつける聴衆がおり、しかもこれ程多く、全部ではないかと思われる程、みられる歌劇場はスカラ座だけでは無いのかと感ぜずにはいられない。昔は全ての歌劇場が皆そうだったし今は理性的でおとなしいものさと言う古くからのオペラファンがいたが、あからさまな敵意を見せる聴衆を見るにつけスカラ座だけは違うような気がして仕方が無い。さらに敵意どころではない。スカラ座の観客は実力の無い歌手にはあからさまに「復讐」さえするのだ。復讐である!何故ここに立っているのかと問い詰めるのだ。多少名が売れていようがレコードが売れていようが、他の歌劇場で成功していようが、一音を外しただけでざわめくのだ。罵声を浴びせるのだ!「恥をしれ!ここはスカラ座だぞ!」天井桟敷からこの様に恐ろしい言葉が歌手に向かってまるで止めを刺す槍の一突きの様に降って来るのだ。どこの歌劇場でも槍の一突きは天井桟敷辺りから降って来るのだが、スカラ座のそれは間違いなく止めを刺す一撃の様に感じて空恐ろしい。私が歌手だったなら、この様に恐ろしい歌劇場の舞台に立とうなどとは間違っても思わないだろう。成功すれば他では得られない栄光を手に出来ると分かっていてもそんな賭けなどしたくはない。

一流と言われる歌手達でさえその一撃を浴びる。ましてや捏造された人気歌手など歯牙にもかけない。己をただひたすらに磨いた者にのみ称賛を惜しまない。だからと言って磨いた者だから必ず賞賛を浴びる訳ではない。一流と言われた歌手達が、指揮者達が叩きのめされた事実はかなりの数に上ろう。この様にこの歌劇場では今や化石の様になりつつある聴衆と歌手との舞台を通した生身の人間同士のやり取りが残っている。やり取りではなくぶつかり合いかもしれない。

イタリア人気質と言うのだろうか。いや、そんな一言でけりがつく様な簡単な事だろうか。教会なんぞ壊して建てたから悪魔が聴衆に乗り移りでもするのだろうか。

しかし、その様な敵意を示し復讐さえする聴衆が、また、歌手が育つのを見守る事もするのだ。彼ら達のルールに乗っ取ったならではあるが。

オペラを取り分けてもこのスカラ座で観劇すると言う事はつまりはそういう事なのだ。チマローザを観劇しているスタンダールの様に何処かしらに秘めたる知性を持ちながらも陶酔してオペラの夢幻の世界にのめり込まざるを得ない聞き方、知性を重んじる様な聞き方を乗り越えた彼方からもたらされる神の恩寵と言う様なものを観劇すると言う事なのではあるまいか。神がかっているなどとは一言も言ってはいないのだけれども。

あまり、スカラ座の聴衆を挑戦的だとか、復讐するとかと特別扱いする様に書くのは適切ではないかもしれない。私が感じた程ではなくもっと普通のどこの歌劇場にでもいる聴衆となんら変わらないのかもしれないではないかと冷静になって考えてみる。だけれども、何もスタンダールだけではなく多くの人々が書いて来たスカラ座に関する文章を今まで読んで来て、スカラ座の聴衆が何か尋常ならざる人々だと感じたのも又、事実だ。私だけがスカラ座におけるオペラの夕べで尋常ならざる聴衆の雰囲気を、あるいは存在を感じただけなら勘違いだと言っておしまいだが、多くの人々が尋常ならざるスカラ座の聴衆の事に触れた文章を残している。だから私の勘違いなどでは無いのだ。多分。

ただ、そうした文章に若いころから触れて来ていると、スカラ座の聴衆は尋常ならざる手合いだとの先入観が植え付けられるのは事実で、その様な目で見ているから他の歌劇場の聴衆とは違って見てしまうとも考えられる。とすれば、私にその様な先入観を植え付けるに至った多くの識者や良き聞き手がスカラ座の尋常ならざる聴衆の事を書くのはなぜだろうかと考えてみるのだが答えが出ない。確かにスカラ座の聴衆は特別なのだと言うしかない無いのだろうか。かつて平土間の当時は椅子も無い立ち観席で聴いていた聴衆に対して上階の、ロージェの聴衆が唾を吐き掛けると言う行為が日常的にあったとの話を聞いた。不潔であると感想を懐くが、何ともやりきれない後味の悪い話である。私の知る限りそんな下品な聴衆の話を聞いたのはスカラ座だけだ!他の歌劇場の話でそんな下品な話を聞いた事は無い。スカラ座の聴衆とはそうしたかつての、敢えて言うが「下品な」聴衆の末裔なのだ。時代が変わり少しは上品になっても連綿として続く血はあらそえないと言う事だろうか。いやスカラ座の聴衆が現在でも下品だなどとは言わない。と言うより恐くて言えない。幸いな事に現代のスカラ座の聴衆は知性を疑うほどに、ほどほどに下品であるが知性は持ち合わせている様だ。スカラ座の聴衆について悪口とも取れる事を書いているととんでもない事になりそうなのでこの辺にしておこう。ともかくこの尋常ならざる恐ろしい聴衆の存在がスカラ座をスカラ座たらしめているのは確かだと思う。

3.魂の宿るもの

この歌劇場の旅で語る歌劇場の多くがあの忌まわしい第二次大戦の犠牲になって破壊され後に再建された歌劇場だがミラノ・スカラ座もご多分にもれず連合国側の爆撃により破壊された歌劇場だ。再建はやはり尋常ならざる熱意のなせる技であろう。冒頭の写真のシャンデリアは破壊される前は3トンもあったそうだが新しいシャンデリアは500キロも軽く作られたらしい。爆撃の被害に遭わないように取り外して避難させたが結局は破壊され骨組みくらいしか残らなかったのを残っていた写真を便りに復元したそうだ。ゼンパーオーパー等に代表される復元と再生の話は感動的でさえあるが、いやはやいかなる理由によろうとも戦争などと言うものがいかに愚かか重ねて話すまでも無い。

それにしても一体いかなる熱意が再建と言う困難な行為を可能にして見せたのだろう。それはこの歌劇場をめぐる旅の主題のひとつでありドレスデンでも語ったけれど、そもそも芸術の為と言う崇高な理由が付いたにしても雨風をしのぐ為に建てられる様な生きる為に是が非でも必要な建物では無い歌劇場の再建が、最も人々が希求してやまない物の一つだとはにわかに信じがたい。いや、過酷な戦禍を体験して来た人々でなければ歌劇場を切望する切迫したと言えるような気持ちを理解する事は出来無いのかもしれない。現実が厳しければ厳しいほどオペラの様な苛烈な現実を忘れさせてくれる何かが必要なのだろうと頭で考え言葉にする事は出来るが、歌劇場の再建にかける人々の熱意をそれで理解した気になるのはいかにも浅慮な様な気がする。

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破壊されたミラノ・スカラ座 1943年

美しく感動的な再建の物語も再建される建物が人々の関心の中心にある物でないと語られないであろう。もっと大きく立派な建物は数え切れないほどあるだろうけれど、そこに宿す物が何もなければいかに立派な建物であろうと語られさえしない。ミラノ・スカラ座は人々の魂のよりどころであるからこそ語り伝えられる。やはり歌劇場と言うのは単なる建築物の事を指して言う訳では無い。建物を通してそこにある冒頭にも述べたが、恐るべき魂の連なりを見る事の出来る歴史とか魔力の宿る殿堂なのだ。そして何百人もの関係者が支える魂のよりどころでもあると改めて思い致すのだ。そう、そうしたものが無いただの建物を人々はけして語りはしない。夢を託し、ある意味では神をあがめる様に歌劇場の事を話すのは、やはりそこでオペラが上演されているからこそであり、オペラが魂を震わせてくれるからに他ならない。月並みな言い方だが、そうした感動を与えてくれる歌劇場を何よりも真っ先に再建したいと願う事はもしかしたら自然な事なのかもしれない。

さてその再建へのミラノ・スカラ座の魂の連なりはどの様に始まり連綿と続いて来たのだろうか。建築家ジョゼッペ・ピエルマリーニの設計になるスカラ座は1778年8月3日、アントニオ・サリエリの「見出されたエウローパ」で華々しく柿落しを行った。柿落しがサリエーリの作品である。いかに当時サリエリが実力と人気を誇っていたかを如実に物語る歴史である事か。そしてミラノがハプスブルク家の帝国の一部である事を又、如実に物語るものでもある。当時サリエリはヴィーンでイタリア劇場と宮廷礼拝堂の楽長を務めていたはずで、皇帝ヨーゼフUがスカラ座の?落しの為に依頼したのが「見出されたエウローパ」だからだ。イタリアの歌劇場と言いながら何やらドナウ帝国の都市に建つ歌劇場の話を聞いている様な物語であるが、ミラノがハプスブルク家の支配下にあればそれやこれやは当然の事と言う訳だ。

そして華々しく始まったスカラ座の歴史ではあるが苦難に満ちた歴史の始まりでもあった。先ほど言った第二次大戦もそうだし、この歌劇場にもご多分にもれぬ権力闘争が引きも切らない。近い所ではリッカルド・ムーティの辞任劇であったし遠くはトスカニーニとの軋轢であったりと華やかである。そして劇場運営側と出演者達との引きも切らない争いごとの数々。さらにはこの歌劇場をある意味では支配している過激な、と言っていいだろう聴衆、この歌劇場を特別な物に仕立て上げている聴衆と指揮者や歌手達との尋常ならざる争いごと!ミッレラ・フレーニ、レナータ・スコットそしてさらに多くの歌手達対聴衆!これらは戦争や事故や自然災害などの様な事柄と違う苦難であるのだろうが、スカラ座の苦難の歴史を語るに欠かせない物語であろう。魂の連なりはこうした苦難に満ちた連なりでもあるのだ。そして最も思う事はミラノ・スカラ座と言う歌劇場に集う聴衆の事だ。何故スタンダールは他にいくらでも歌劇を上演する歌劇場はあるだろうにミラノ人アンリゴ・ベイレであろうとしたのか。スカラ座とはそれほど特別な歌劇場なのだろうか。いや、スカラ座が特別なのではなくやはりスタンダールの様な聴衆が集う事が特別なのだ。スタンダール個人に付いて言えば彼はイタリアへの強い憧れをいだく異国人であったからスカラ座に惹かれたと言う事も出来るかもしれない。だがやはりそれだけではないような気がする。

魂の連なり、あるいは宿るところと言う言葉が今一度想いおこさせる。博物館を併設しているとはいえ遥か昔の、トスカニーニの時代のポスターを上階に登る階段に展示して過去からの連綿としたつながりを示そうとする歌劇場など他には無い。過去の遺物を展示することなく、今のあり様が昔から続くそれであると暗黙の内に語ろうとするのが他の全ての歌劇場ではないか。スカラ座は敢えてそれを指し示そうとする。スカラ座だけはそこに沁みついた血が生きているのだと語る。歌手達が流した血が今もそこかしこに沁みついているのだと敢えて教える。スカラ座が特別な歌劇場なのだと思えるのはそうした雰囲気が感じられるからだ。だからスカラ座の聴衆はその様な血を感じ、己自身もその血の中で生きようとするのだ。スタンダールも又、同じなのだ。彼はスカラ座の血の中で生きようとしたのだ、イタリア人として。そうした過去の魂、血を示す展示はやはり定型化された言い方しかできないがイタリア人気質とでも言うしか思い浮かばない。血が騒ぐのだ。敵意を示す程に血が騒ぐのは致し方ないのだ。そしてそれに異国人でさえも巻き込まれるのだ。気が付いたら自らもブーイングを浴びせていたり、熱狂して叫んでいたりしている。最も自己表現の苦手な奥ゆかしい日本人である私は静かに拍手するのみなのだが。

ところで博物館の一部を兼務するから上階への階段脇にずらりとポスターを並べたのであって何もわざわざ観劇に来る人達に見せる為ではないのではないかと考える向きもあろうが、非日常を演出する歌劇場にあって、敢えて席へ行く途中やオペラの幕間に目に触れる場所にポスターを並べる行為はやはり何らかの意思の表れであろう。スカラ座の血が生きているのだと!

ああ、ヴェルディが鳴り響く!スタンダールの時代には彼の愛したモーツァルトとチマローザであったろうが、今を生きる我々はドニゼッティでありベッリーニであり他ならぬヴェルディであるのだ!と、再び述べておこう。

4.スカラ座とは何か

さて冷静になってスカラ座に付いて考えてみよう。他の歌劇場ももちろんそうだが、その歌劇場がいかに繁栄するかはその歌劇場に関わった人々の手腕手法であったり、熱意であったり、観客達の質であったりと様様な理由が上げられるが、やはり優れた作曲家や歌手や指揮者がどの様に関わって来たかが問題であろう。スカラ座に飾られた過去の演目のポスターの話はしたが、あの様な歴史を築き上げられるには何が必要とされるのだろうか。

まずはその成り立ちが必要なものの一つに上げられると思われる。宮廷歌劇場として国家の威信をかけて設立された歌劇場はすぐに名前を御上げられる歌劇場として今日もあるからだ。当然宮廷歌劇場音楽監督も国家の威信をかけたトップクラスの人々が抜擢されるし登場する歌手達も当代随一の歌手である事は当然のことだ。ジュディッタ・パスタは出るべき歌劇場の舞台に出るべくして出たのだ。トスカニーニは立つべき指揮台に立ったのだ。

他に何が上げられるだろうか。その建物、設備も重要で必要な物として上げられるだろう。専門的な「小屋」の構造やら装置やらの話は別に譲るにしても、歌劇場の全体像を見れば客席は建物の面積の三分の一から四分の一と言ったところだろうか。歌劇場は客席よりかなり大きな空間を使って演目を上演している、いや、その大きな空間が無ければ舞台転換やら何やらが出来ない、上演に必要欠くべからざる空間を持っている。

そして心浮き立たせる様な建物のデザイン。これからここでオペラを観劇するのだと期待をはらませる外観も重要であろう。初めてミラノ・スカラ座を訪れた時はそのあっけない外観に多少がっかりしたものだが、慣れてしまえば道を挟んだ広場に立って建物を見ていると心浮き立つ様になるから不思議だ。そしてその外観とは裏腹に内装の見事さと言ったら!赤と白と黄金色を基調としたその劇場内部の装飾は成る程写真で見慣れた通りのものであったが、劇場内に立ち入った時の臨場感はやはり相当なものとして迫って来る。スカラ座に今まさしく居るのだとの感情の高まりはなぜか他の歌劇場の場内に入った時のそれより強く感じる。イタリアオペラの殿堂にいると言う思い入れがそう感じさせるのだろうか。やはりイタリアオペラはオペラの王道であり其の総本山がここだからだろうか。スタンダールと同質の感情が沸き起こるからだろうか。スタンダールと同質のなどとは不遜な事を言ってしまった。スカラ座の場内が嫌みにならないぎりぎりの線で芸術的で豪奢な姿を見せているからだろうか。見事な内装が醸し出す非日常的空間がいかにもオペラハウスの典型、あるいは理想の空間だからだろうか。ハプスブルク帝国の支配下にあった歌劇場と言いながらイタリアの歌劇場でありその為に他の歌劇場とは雰囲気が違う様に感じられるからだろうか。それらあれやこれやの相乗効果だろうか。そうであろう。

成る程この歌劇場に魅入られた人々の熱の入った弁舌や賞賛の嵐を、文献で読み理解をしたつもりになってはいてもここに立った時の臨場感は確かに違う。こちらの思い込み以外の何物でも無いとは分かっていても、ドイツの歌劇場に感じられる理念とか、そうしたものとは違った雰囲気がある。浮き立つような情熱と言えば良いのだろうか。ラテン的な血とでも言えば了解して貰えるだろうか。本場崇拝の気持ちは無くとも、だが、やはり、訪ねて見なければ感じ取れない何かはあるものだ。独特の雰囲気はあるものなのだ。劇場内に入った時に感じる建物が醸し出す雰囲気があるのだ。スカラ座の劇場内の装飾は他の歌劇場の装飾より遥かに心をうきうきさせるものだ。

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そして席に腰をおろす聴衆達の雰囲気がさらに歌劇場の雰囲気を規定する。ここにしかない歌劇場の雰囲気が降臨する。何とも大げさな言い方だがその様に感じさえする。それが歌劇場の歴史を創り、伝統が醸成され、今日の有り様を導き出す。

スカラ座とは何かと言う根源的な問いに答える術を築かれた歴史の中に見ようとあれやこれやと思考してみる。そして納得したつもりになって安堵するが、すぐさまそうではないのではないかと不安になる。歴史などいくら振り返ってみてもスカラ座の秘密が分かる訳ではないとあたふたとしてしまう。冷静になってスカラ座の事を考えようなどと言いながら自らそれを放棄して、魔物がいるのだとあらぬ結論にたどり着いてしまう。スカラ座とは魔力を持った歌劇場なのだと、非現実的な事を言いだしそうな気さえする。これは一体どこから来る思いなのだろうか。スカラ座のある街ミラノを彷徨い歩いているとこのミラノと言う街が何か関わって来るのだろうかとふと思った。

5.ミラノの街

ドゥオーモが壮麗である街、御多分に漏れずファッションの街、革製品をお土産にしないと何かまずいかと思う街、スフォルツァ城の街ミラノ。だが私にとってはやはり他ならぬスカラ座の街であり、そしてサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の街である。言うまでもない、最後の晩餐がそこにはある。改めてレオナルド・ダヴィンチ作のなどと言わなくても最後の晩餐と言うだけで全ては通じる。観覧には予約が必要だ。大抵は大勢の観覧希望者と一緒に観覧することになる。鉄格子の入り口を大勢の人達と入って行く時は人々の会話の騒がしさが鑑賞の妨げになりはしないかと心配になるが、さすがは偉大なレオナルド・ダヴィンチの作品だ。このあまりにも有名な絵の前では皆静かになる。15分で追い出されるのは非常に残念な事だ。従って欲の深い私は何度も観に行く。一度神の采配なのか、わずか四人の観覧希望者しかいない時にでくわした。自分の好きな位置にじっと立ちつくして制限時間がきて付き添いの担当官に退場するよう促されるまで見続ける事が出来た日であった。洗浄修復された最後の晩餐がいかなるものであるかの感想は別の機会に譲るが、この様な人類の宝である壁画がある街がミラノである。ブレラ絵画館、アンブロジアーナ絵画館と歩けば、名だたる名画に会う事が出来る街がミラノだ。

私は15世紀のダヴィンチの傑作から続く美術の栄光につながる物としてのミラノ・スカラ座を感ぜずにはいられない。スカラ座の建物が美術的だとか、場内がかつてのイタリアルネサンスを彷彿とさせるとかと言う話ではまったくない。連綿として続く何ものかがあるのだと感じるのだ。ミラノの街にはこうした偉大な芸術の遺産がありそれらの物がそう感じさせてくれるのだ。スカラ座とダヴィンチにつながりがあると言うのはこじつけではないかとおっしゃる向きもあるかもしれない。成る程二つには何の関連も見いだせないし、その様な視点で語られた文章に私はお目にかかった事がない。だがイル・モーロがダヴィンチを擁したその時からミラノにおける精神活動にこの偉大な作品が影響しなかったなどと言う事があるだろうか。ミラノの人々は最後の晩餐が醸し出す力、ワルター・ベンヤミンがアウラと称した、ベンヤミンは別の事を表現するのに使ったのだが、力を受け、あるいは感じて過して来たに違いないのだ。その精神的影響はスカラ座に計り知れない作用を与えたと感じる。そしてスカラ座の醸し出す魔力は最後の晩餐が醸し出す魔力と同質のものだと私には思える。ミラノの街にスカラ座があるのは偶然ではないのだ。ミラノの街があるからこそスカラ座はスカラ座たりえたのだ。

スカラ座はミラノに強く帰属する。そもそもスカラ座の初日が12月7日と言う何とも異国の旅人にとっては不可解な日に迎えるのもスカラ座がミラノの街そのものとでも言える事を表している。普通欧州の歌劇場の初日は9月に迎える。何故スカラ座は何とも中途半端な時期に初日を迎えるのかと疑問に思っていた。その初日12月7日はミラノの守護聖人アンブロージョがミラノの司教になったその日なのだそうだ。その街の守護聖人の記念日に幕を開ける歌劇場とはなんとも粋な計らいであり、スカラ座がミラノの街と強い結びつきを持つ事の端的な表れに他ならない。ミラノと言う街がスカラ座をたらしめ、スカラ座はミラノの街の存在があって体をなすのだ。

そしてミラノの街を想う時どうしても心から離れない偉大な作曲家ヴェルディの存在。ゼンパーオーパーで感じたウェーバーやヴァーグナーの存在以上に、スカラ座にいる時ヴェルディの存在をどうしようもなく感じるのだ。ビバ!ヴェットリオ・エマヌエーレU世とリソルジメントを叫んだヴェルディの時代の当時のミラノの人々がスカラ座に集ったあの日を感じるのだ。ヴェルディこそ、オペラの華だ。ロンコーレの農夫は19世紀からこちら21世紀の今に至るまでスカラ座に君臨する王だ。ヴェルディが舞台に乗ると格別なものを嫌が応でも感じる。スカラ座とヴェルディの間にも当時はご多分に漏れないいざこざがありはしたが、もはや今となってはただ伝説を大いに盛り上げる挿話の一つでしかない。スタンダールには申し訳ないが、我々はヴェルディを押し頂く幸せを満身に受ける喜びを味わえるのだ。

まだまだ語らなくてはならないものが沢山あると思うが、ミラノの街がもたらすこうしたもの上にスカラ座は存在しているのだ。ミラノの恐るべき聴衆と最後の晩餐とヴェルディの威光とミラノの街の上にスカラ座は座して歴史を語り血を持ってあがないその内在する魔力を持って異国の旅人を迎え入れ、打ちのめすのだ!再度言うならスタンダールを惹き付け虜にしたその力を持って。

5.そして再びスカラ座の席に腰をおろし

スカラ座では演目はこれだと指揮を任された者が決め、その後配役が決まると聞いた事がある。スター歌手を生かす為にその歌手が得意とする演目を決めるなどないらしい。歌手にとっては厳しい歌劇場とも思える。現代のスターシステムからしたら随分と高飛車なやりかたかもしれない。指揮者の神通力が著しく低下した現代において指揮者が出し物を決めるやり方は特徴的だ。だだし、今様の事であるから指揮者の希望だけで決まるとは思えないし、登場して貰いたい歌手だっているはずだからその辺りはあうんの呼吸があるのだろうと推測されるし演目が決まるまでには紆余曲折があるだろう。人気演目ばかりを舞台に載せたがった支配人フォンタナと演目を決める権利を主張したムーティとの間の軋轢はオペラ雀を喜ばせる最近の出来ごとであり演目が指揮者の主張通りにすんなりと決まるものでもなさそうだと納得出来る出来事である。私はムーティの肩を持つが、そのヴェルディのなんと素晴らしい事か、少しばかりフォンタナの弁護をすれば、厳しい運営を強いられる歌劇場を潤す為には人気演目を投入して集客を高める必要もあるだろう。劇場経営を円滑に進めるにはズバリ収入を確保する必要があるのだから。これは芸術とそろばん勘定の間で何時の時代にも噴出する争いごとの種であり、おそらく永遠に解決されない課題ではなかろうか、とは何度となく言っているので辟易とする方もいらっしゃるだろうか。

スカラ座で観劇するに相応しい席は多分、天井桟敷なのだろう。いずこの歌劇場も同じだが、最も卓越した聞き手が集まるのは何処であろうと、何時であろうと天井桟敷と相場が決まっている。あるオペラファンはだから経済的理由とか予約席が取れないからとかではなく最もオペラを観劇するのに相応しい席だからと天井桟敷を己の居場所に定めている。もしかして若い時なら私も賛同して真似をしたかもしれない。もっとも形ばかりを模倣しても内実が伴わなければ何事も底の浅さを露呈するだけなので、例え若くても恥ずかしくて真似など出来なかったろう。若い時に何をどう間違えたのかわからないが、一番良い席に初めて座って、良い席は、この場合は勿論お値段も良いと言う事だが、やはり良いと思い知ったものだ。歌手の動きも演出の意図も舞台の観え方も全てが良かった。むろん肝心の音楽も当然良く聞こえた。演目の舞台造りは視覚的に真正面を基準にしているのだと理解もした。手練手管に長けている演出家や舞台装置係や照明係はどの様な方向から観劇されようと過不足のない舞台を造り出してくれるが、視点は定めなければならないはずだ。映画の様に監督がカメラの脇に陣取り常に観客の視点で指示を出すのとは違うだろうが、大道具小道後の準備でも、ドレスリハーサルの様な舞台稽古の時でも演出家等の監督者の視点は一か所でしかない。リハーサルの時、彼は突然姿を消したかと思うと天井桟敷に姿を表し大声でそこから観える舞台や演技に注文を付けたりと舞台を包括的にいかにより良くしようかと努力するが、それでも視点は監督者の二つの目だけだ。そして多分最も良い真正面を基準にしているだろうし、又、基準は定めなくては全ての印象がばらばらになりまとまりのつかいない舞台になってしまうだろう。

だから、私の様な気楽な一夜のオペラの夕べの客は、良い席で観劇出来れば幸せだと思い、まるで聖地巡礼に向かう信者の様に天井桟敷に向かう純粋な観客達を羨望の目で眺めため息する。スカラ座で観劇するに相応しい、恐るべき聴衆の集う天井桟敷に、だから私は怖くて近づけない。先に記した様に「恥を知れ、ここはスカラ座だぞ!」と死刑宣告の一撃が発せられる場所は私の様な柔弱者のいられる場所ではなさそうだ。恐いもの見たさでスカラ座の天井桟敷の聴衆になってみたいと思いはするが、又の機会にと言う事であって、何時まで経っても又の機会であり続けるだろう。

何を大げさな、スカラ座の観客と特別な扱いをするが、どこの歌劇場でも同じだと笑われるだろうか。そうかもしれない。今や何処の歌劇場でも、プラハ国立歌劇場の様な所でも観光客が舞台を持たせている一面があるし、在りし日とはオペラ界を囲む情勢が著しく変化している。均質化は避けようのないものかもしれない。二つの歌劇場が共同プロジェクトを立ち上げ演出や人的交流による相互依存を模索したり、経費節減に乗り出したりと何処かの強国の圧力に屈した私以上に軟弱な何処かの国がグローバルスタンダードなる言葉に踊らされ自らのアイデンティティを喪失させていく、グローバルスタンダードが肩で風を切って歩く時代に、何処の歌劇場に出掛けてもお馴染みの人気歌手が登場する様な時代に、その歌劇場でなくては得られないものがそれぞれの歌劇場にあるかと問われればそうだと答えるのに躊躇してしまいそうになりはするが、それでもそれはあるのだと答える。でなければこの様に旅をして彷徨っても何も得られないし、歌劇場について何か書いてみようと言う気が起きないだろう。

しかし、それでもそれぞれの歌劇場でなければ得られないものが個々に本当にあるのかと疑問が浮かぶが、スカラ座の席に座ればそんな疑問は吹き飛んでしまう様な気がする。やはりここはスカラ座なのだと改めて思い知る。場内に脚を踏み入れれば、ここはスカラ座だぞと声が聞こえる。心してかかれよと警告の声が耳朶に響く。スカラ座の魔力が語り掛けて来るのだろうか。開演前から醸し出される聴衆の熱気が耳にそんな言葉を呼び起こすのだろうか。それぞれの歌劇場でなければ得られないものがそれぞれの歌劇場には必ずあるが、それより第一義的にそこで行われる演目を楽しむ事が肝心で意味があり全てである。どこの歌劇場であろうともそれは少しも変わらない。スカラ座も変わりはしないのだと思うのだが、どうしてもそれだけでは無い様な気がする。ただ楽しむだけでは無く、まるで「魔笛」のタミーノの様に試練を与えられ自己を試されている様な気がする。ブラヴォーと叫ぶのかブーとののしるのか、オペラの聞き手としての試金石が用意されている歌劇場がスカラ座ではないだろうか。観客になって己を試される歌劇場であるスカラ座は日本的な表現で言えば「オペラ道場」の様なものと言えるかもしれない。スタンダールの様にスカラ座の聴衆になって始めてオペラの免許皆伝を与えられるのではないかといささか時代錯誤な思いに囚われる。「恥を知れ、ここはスカラ座だぞ!」の言葉は歌手や指揮者やオーケストラや演出やオペラハウスを運営する側の人々だけでなく「恥を知れ、」と叫ぶ聴衆にもそのまま跳ね返る言葉となる。投げつけた一撃の槍が己にも跳ね返って来る恐ろしい歌劇場がスカラ座ではないだろうか。スカラ座の聴衆になる為には単にチケットを手に入れ入場すれば良いなどと言う簡単な事ではない。聞き手にも覚悟を求める様な雰囲気が満ち溢れている様に思う。大げさで、いささか意識過剰な思いかもしれないが、スカラ座とはその様なオペラハウスなのだと異国の旅人は思う。

そしてスカラ座の劇場内に入り舞台正面の上に目を向ければそこにはスカラ座の紋章が掲げられている。その掲げられた紋章の下に集う聴衆はやはり特別なのだと思う。スカラ座にはやはり魔物が棲んでいるのだと非現実的な思いが浮かぶ。イタリアオペラの殿堂。世界で最も偉大なイタリアオペラの総本山。スカラ座を語る言葉は沢山あると思うが、私は思うのだ。スカラ座こそはオペラに魂を魅入られた人々が行きつく果てにある歌劇場なのだと。ここに至ればもう後は無いかもしれないと思わせる歌劇場なのだと。

さあ、心して、覚悟を決めて指定された席に座るのだ!ここはスカラ座なのだから。間違っても天井桟敷に行ってはいけないのだ。もし間違って天井桟敷にいったなら、己の人生が道から外れてしまったと悟らなくてはならないのだ!なぜならここはスカラ座なのだから。二度と真っ当な場所に戻ってこれないかも知れないと心に決めて訪れるのだ。そうここは・・・ミラノ・スカラ座なのだから。栄光の