ポリーニ その8

しかし、そこでポリーニはいきなり、アルノルト・シェーンベルクやピエール・ブーレーズのピアノ曲やピアノソナタに飛んでゆくのです。 長い隠棲生活が功を奏して「ショパン弾き」のレッテルを張られることから巧みに逃れる見通しがここで付いたのです。

ストラヴィンスキーのペトルーシュカからの三楽章も先にレコーディングしていますが、ここでは触れません。 今日においてもポリーニのこうした「現代音楽」の演奏は一聴に値するものです。 よく人々はポリーニの、明晰なタッチが現代音楽には丁度合っているからだと言います。 難解複雑な楽曲構成であっても弾くだけのテクニックを有している事にも言及されます。 その代わり曲への共感に言及する論評がありながら、では現代音楽の何に共感しているのかにあまり触れていないのではないでしょうか。 私もそうですが、たやすく曲への「共感を持った演奏だ」などと述べて済ませてしまう傾向が無いとは言えないのです。 それでもけして間違いではないと思いますし、伝えたい事は理解していただけると思いますが、もう一歩踏み込む必要があるのではないかと自問することがあります。

余談になりますが、ポリーニについて考えていると、ピアニストに関する問題意識や考え方に対する疑問が湧き出てきます。 ポリーニについて考えることは古今東西のピアニストすべてに付いてのあれやこれやを考えざるを得ない事につながるのではないかと思い至るのです。 あれこれとピアニスト、ポリーニの事を考えるならそれはピアニストの多様な問題点を考えることになるのだと気が付くのです。 そしてふと浮かぶ思いは、実はポリーニはピアニストとしてはかなり特異な存在なのかもしれないと思うことです。

それはともかく、ポリーニの現代音楽への共感とは音楽への尽きせぬ興味であると言えるのです。 さらに言うなら、その音楽への尽きせぬ興味とはバッハやベートーヴェンに対する興味と同じものなのです。 要するにポリーニは現代音楽を特別なカテゴリーの音楽だと思っていないという事です。 曲の構造や成り立ちなど一曲の楽曲を思っただけでもわくわくする様です。

「音楽の深い喜びから演奏する。古典派の偉大な作品と同様に・・・。」とはポリーニ自身の言葉です。

現代音楽とか、バッハとかベートーヴェンとかシューマンとかシューベルトとか、古典派とかロマン派とかバロック音楽とか前衛音楽とか近代音楽とかと言う区別ではなく興味を懐く、「演奏することが喜びとなる」音楽であることが最重要の関心ごとなのです。

アルノルト・シェーンベルク ピアノ作品集(ポリーニ):(https://ml.naxos.jp/album/00028942324923)

アルノルト・シェーンベルク ピアノ作品集(ポリーニ)

ピエール・ブーレーズ ピアノ・ソナタ2番:(https://ml.naxos.jp/work/4442063)

ピエール・ブーレーズ ピアノ・ソナタ2番(ポリーニ)