第13回「終りに」

1.まずは言い訳

歌劇場を回る旅に一区切りつけたい。本当は本文の中で触れた様にベルリンドイツオペラやハンブルク国立歌劇場やヴィーンであれば他ならぬフォルクスオーパーの事も書かなくてはならなかったかもしれない。又、我が国唯一のオペラハウス「新国立劇場」の事だって書くべきだとの御意見も頂いた。それらは又の機会にさせて頂きたい。旅が長くなればなるほど疲れが出て来るからだと言い訳をさせて頂く事にする。

オペラハウスを見る為にオペラハウスを旅して回っている訳ではない。そこで行われる出し物で見たい演目や聞きたい歌手、聞きたい指揮者、見たい演出などをやっているので旅をする訳だ。だから見たい出し物が全て同じオペラハウスで観劇出来るのなら一か所だけで済むはずなのだが、でもそんな事は無いし、いつの間にかあのオペラハウスを何時かは訪れてみたいと思う様になる。オペラを観る為に歌劇場に通うのに歌劇場に行く為にオペラを観に行くという手段が目的になってしまう典型的な例にややもすると陥りそうだがそれもまああるだろうと言う事でお許し頂きたい。

本文の中で歌劇場の事をオペラハウスと言ったり歌劇場と言ったり統一感が無いと印象を持つ方もおられるかもしれない。この二つの言葉の違いを意識して使い分けている訳ではない。文章の中の流れでどちらかの単語を当てはめているだけなので気にしないで頂きたい。又、文章の中には解説あるいは注釈を付けないと、直ぐに理解出来ない言葉が見受けられるかもしれない。それらも注釈を付けるのが本来の姿かもしれない。この点のいたらなさも謝っておかないとならない。駆け足の旅でその時間が取れなかったと言い訳をしておく。

又、オペラハウスの主役たち、演奏家の事があまり語られていないと思われるかもしれない。たまに指揮者の名前が幾人か上がったが、オペラの主役である歌手達の名前がほとんど上がらないではないかとお叱りを受けるだろうか。歌劇場を語る時責任者たる音楽監督、すなわち指揮者に触れなくてはならない場合があるが、歌手達は舞台の上では主役だが、歌劇場運営の面からみれば脇役だからだと納得頂きたい。

さて、などとあれこれと言い訳をしても仕方が無いので「後書き」らしきものを進める事にしよう。

パリ・オペラ座で幕間に頂いたワインはさすがに本場フランスだけあってなかなか美味しかった、味音痴の言う事だからあてにしないで貰いたいが、そんな本当のオペラ好きな人達には怒られてしまいそうな些細な事がオペラハウスをめぐる旅では楽しいものだ。本文の中でも少し触れたが、オペラを見るのは本番の舞台を見るだけではなく歌劇場に向かう道すがらや街の情景、建物の姿形、場内の装飾や雰囲気、そこに集う観客達の様子などもオペラを楽しむ前菜だ。いや、その前菜無くしてはオペラを楽しむ事にはならない様な気さえして来る。そしてその歌劇場がある都市や街を楽しまないとその歌劇場を訪れても得るものが少なくなってしまう様な気がする。歌劇場への旅では歌劇場のある都市の事に多くの字数を費やしているが、歌劇場を語ると言う事はその街を語ると言う事でもある。

本当は訪れる歌劇場の音楽監督の人となりや上演された出し物あるいは肝心のオペラ公演に付いて書くべきなのかもしれないし、その歌劇場ではどんな内紛やいざこざが過去現在とおこなわれて来たかなどを感想を交えて書くのが歌劇場への旅なのかもしれないが、そうした事は今さら私が書かずとも既に多く書かれている。若杉弘がドレスデン国立歌劇場から追い出された顛末を書き連ねてもそれは旧聞に属する、私がいまさら追確認をする為に述べる様な事項ではないと思う。だから、そうした事から離れて、歌劇場を訪れた時にその都度心に浮かんだ止め処も無い思いを書き連らねる事にしたのが本文だ。読み辛いのはひとえに筆者の筆力の無さによるものなのでこれも御容赦願いたい。

その本文ではそれなりにテーマらしきものを決めて書いたつもりだが、テーマが御理解頂けたろうか。シドニーではなぜここで聴いたと意気投合する話が合う人がいないのかとふと思い、ドレスデンでは理不尽な戦争の有り様や資本主義の歯止めの効かない暴走に怒りを感じ、プラハではなぜモーツァルトが愛されたのかを思い、ベルリンではやはりどうしてもフルトヴェングラーとナチスに思いを致さずにはいられないと言った具合だ。その都度テーマが違っている中でその歌劇場がある都市の事に触れているが、歌劇場のある街々の事は歌劇場を語る上で必要な通奏低音の様な物と理解して頂ければ幸いと思う。

それにしてもオペラとはつくづく残酷なものだと思う。舞台の上に現実が立ち表れなどと、まるで人生とオペラは同じ物なのだと言わんばかりに筆が滑りそうになったが、オペラが残酷なものであるのは人生もまた残酷であるからだ。人生の大先輩、歌劇場の大先輩である方々の訃報に接する度にその思いが増してゆく気がする。死が残酷だと言うのではない。達観した、いや諦観した思いで考えれば死は安らぎかもしれない。

人は見栄っ張りなものだ。老いて衰えてゆく自身の事を隠そうとする。人によって隠そうとするものはそれぞれ違うだろう。音楽を人生のかなりのものとして聞く人達が隠そうとするものは聞く力が衰えて行くことかもしれない。だが人生は残酷なもので歳と共に聞く力は次第に確実に衰えて行く。若い人達はそんな事は想像だにしないだろう。まさに今の自分がそのままただ齢を重ねて行くだけとしか想像できない。

悔しい事に、誰も認めたがらないが確実に聞く力は衰えて行く。それを補うのは知識とか経験だと言えるしその通りであろうが、だからこそなおさら若い時にどれだけの経験をしたかが重要になって来る。歳取って引退したら欧州をのんびり旅してじっくりとオペラハウスでオペラを聞こうと考えるのは楽しい事だし、勿論新たなる経験が得られるし、改めて気が付く事に出会えるだろう。

しかし、得るものは若い時の何分の一、事によると何十分の一でしかない。残酷な事だがそれが人生と言うものだ。そんな事はないと考えるだろうか。天井桟敷の良い場所を確保する為に上階への階段を駆け上がる力が失せても、「運命の力」を立見席で見続ける気力体力が失せても、自分では気が付かないしけして認めたがらなくても聞く力が確実に落ちているのに得るものが若い時と寸分違わぬと豪語するだろうか。残念な事に、そして誠に悔しい事にそんな事はけして無いのだ。ただただ羨ましい数々の体験をして来た大先輩の方々の話を聞く度に、そしてその大先輩の方々の訃報に接する度にその思いは強くなる。若い時に経験したのと同じだけのものなど歳取ってからは得られないのだと恨みごとの一つも思わず言ってしまいそうになる。この様にオペラハウスに通うと言う事は人生が残酷なものだと思い知らされることでもあり、体験する事でもある。

少し観念的に過ぎる思いだろうか。オペラとはただ舞台の上の夢幻を楽しむ一時の娯楽なのだと気楽にオペラハウスの椅子に座るべきかもしれない。又、それが本来の姿だと言えるかもしれない。オペラなんぞに人生を掛けたり、うつつを抜かすのは愚か者のやることだと笑っていれば良いのかもしれない。だが、やはり我々が残酷であろうとも人生を愛で生きて過す様にオペラと言う残酷なものに魅かれるのは、人生とオペラが同じものだと思わず筆を滑らせてしまっても、言えるからかもしれない。

そんな思いも抱きながら歌劇場を旅してまわったが故の文章であった事も言い訳の一つにしておきたい。

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2.街を知っているとは

旅人はその都市の本当の姿を窺い知る事がなかなか出来ないと言われる。その都市に住まなければ分からない事は沢山あるであろうし、ただ通り過ぎるだけの旅人では生活している人々の喜びや苦悩は勿論分からない。では旅人はその都市の事が住んでいる人々より間違いなく分からないと言えるのかとふと思ってみる。東京での学生時代の体験だが、同級生と色々な店や、観光スポットの話やそうした所に行く適切な手段などを話していると詳しいのは地方から上京して来た同級生で、地元東京出身の同級生はあまりそうした事に疎いかあるいは知らない。彼にとっては生活の範囲の事を知っていれば良いのであって、神田の古本屋のどの店がどんな専門書を扱っているかと言う様な情報は興味がわかない限り日常生活に必要の無い事柄なので知る必要が無いと言う事だ。こうした学生時代のささやかな体験から特定の事柄について、旅人の方が実は良く勉強していて詳しい場合があるのだなと納得した。明らかにその都市の住人らしき人にこれから行こうとしている場所への道順を尋ねても一向に要領を得ない。結局あやふやな教えを信じてかえって道に迷ってしまう様な事は誰でも体験しているのではないだろうか。フランス語で訊ねないこちらの方が悪いのかもしれないが、ヴァーグナーの様にけしてフランス嫌いと言うのではない、シャンゼリゼ通りで道を尋ねた時、明確に教えてくれたのは地元の住人では無くなんとドイツ人だったと言う体験をすると、その都市を知っているとはどういう事なんだろうと思わず考しまう。

いやいや、生活している人達の方が遥かにその都市を知っているのは間違いないとは思うが、生活で必要な事を知っているのと、観光で訪れる為に知っている事は違うと言う事になるのだと改めて気が付く。情報量の差と言うより知っている情報の種類が違うと言う事になるのだろう。

3.乖離の考察

さて、この旅の始めでコンサートホールに通う人達とオペラハウスに通う人達との間にある著しい乖離に付いて触れた。それはこの旅を通して「答えの様なもの」が分かるかもしれないと書いたが後書きの段階に来ても「答えの様なもの」が見つかっていないどころか、その問題に触れてもいないではないかとお叱りを頂きそうだ。だが、言い訳めいているが、オペラが伝統や格式とか王侯貴族の時代からの物であるとか、多少は乖離がみられる事の理由を書き連ねて来てはいるつもりだ。

乱暴に一言で言ってしまえば、オペラと言う芸能、芸術は欧州においてさえも特殊な芸能であり芸術だと言う事だ。ここに交響曲とかピアノリサイタルとかの音楽との乖離の根本的な理由がある。オペラが特殊?とは何を言っているのだとこれもお叱りを頂くだろうか。小さな街にも歌劇場がある欧州を見てきて何を言っているのだと言われるだろう。確かにオペラが何かシーラカンスの如き珍品である訳ではないが、やはり特殊なものだと思う気持ちは変わらない。

例え欧州には小さな街にも歌劇場があろうとも、それでは全ての人々がオペラを嗜むのかと言えばまったくそんな事は無い。階級意識とか、若者のクラシック音楽離れとかを無視してもオペラを嗜まない人々の数の方が遥かに多いのだ。人口20万の都市フライブルクの市立歌劇場でオペラを上演する時、市民の全てがオペラに関心を持って観劇したいとなったら一体同じ演目の公演を何回上演しなくてはならなくなるか、考えて見ると分かると思う。仮に子供などを除いた半分の市民が聞くとなったら10万人、千人の椅子があるとして100回は公演しなくては対応出来なくなる。だけれどもそんな話は聞いた事がない。それは他の全ての歌劇場でも同じことだ。ヴィーン国立歌劇場への旅で触れた様にオーストリア国民の82%がオペラなんぞ観た事もないのだそうだ。随分な数字だと言ったが、冷静に考えて見ると10人の内2人がオペラを観た事があると言う事で、これはかなりすごいオペラ鑑賞経験率ではないだろうか。我が国でこんな統計を取ったら千人に一人だろうか、いや一万人に一人かもしれない。さすが音楽の都ヴィーンを首都に仰ぐ音楽大国であると感心する。だが、本場欧州でもやはりオペラなんぞと言う罰当たりなものを観た事がない人々の方が圧倒的大多数であるのは変わりない。

こうした事を考えるとオペラとはやはり数の限られた聴衆が楽しむ「特殊な」芸能であり芸術なのだと納得して貰えるだろうか。ヴィーン国立歌劇場の観客達の半分は、事によるとそれ以上が観光客なのだと言う事実はそれをさらに裏書きする。毎晩演目が上演され集客率が98%を豪語するヴィーン国立歌劇場であるが、それはわざわざヴィーンにオペラを聞きに訪れる外からの聴衆に支えられての数字に他ならない。外から観客を調達出来るヴィーンの実力は大したものだが、98%もの集客率に数字が上がるのはオペラに熱心な観光客に支えられての事である。

この様にオペラは特殊な芸能で芸術だと言う事だが、コンサートホールにおける交響曲の演奏会やピアノリサイタルも又、特殊だと言う事であろうか。確かに現在クラシック音楽を聞く聴衆の減少は著しく、コンサートホールに出掛ける聴衆も特殊な趣味嗜好の持ち主だと言う事が出来るかもしれない。だが、少なくともオペラに比べれば遥かに真っ当な人々であり、真っ当な趣味嗜好御の持ち主であると言える。

この発言は「我々は真っ当ではないのか!」とオペラファンの怒りを買うであろう。喧嘩を売るつもりはまったくないが「確かに真っ当ではない」と思う。どこが真っ当ではないのか。それではその真っ当ではない特殊な芸能で芸術であるオペラなるものに付いて今一度考えてみたい。

4.乖離とオペラの特殊性

序にかえての中でカメラータなる組織がフィレンツェでギリシア劇の再興をもくろみオペラを造ったと書いた。それは明らかに高い理念と目標であった。古の昔ギリシア劇の台詞は全て歌によっていたとの推測から演劇は歌付き芝居となって再興された。それがオペラの始まりであると歴史は伝える。で、その後オペラはどうなったのか?オペラが最も盛んになったバロック時代にオペラは王侯貴族の物となってしまった。なってしまったのではなく最初からそうだったと言った方が正しい、まさに一握りの特権階級の人々が楽しむ芸能、芸術であったのだ。芸能、芸術と言ったが、単に「娯楽」と言った方が間違いない。なぜなら、歌劇場に来る王だの貴族だの特権を許された人々などはオペラを真剣に観劇する今日の聴衆とはまったく違い、オペラハウスに通うのはもっぱら社交のためであり、御贔屓の歌手と会う為であり、御多分に漏れず御贔屓の美人ソプラノ歌手などは愛人であったりするのだが、オペラを鑑賞する事は二の次、三の次であった。オペラの特殊性はここに起因する。さらには現在かなりの数のバロックオペラが演目に復刻されてきているが、その数はバロック時代に乱造された、けして「粗製乱造」とは言わないが、いやいや、とどのつまりは粗製乱造していたと言う事だが、諸作品の数千分の一にも満たない。オペラが特殊なものとなったのは王侯貴族の関与がその原因である。今日においてもオペラは一般の市民、庶民には何のかかわりもない芸能、芸術でありましてや王侯貴族の時代には宮廷でオペラなる物が演じられていると言う事すら知らない人々がたくさんいたであろう。

確かにヴェネチアのサン・カシアーノ劇場の様に1637年の早い時期に商業目的で開かれていた劇場があることが伝えられており一概に王侯貴族がオペラを全て牛耳っていたと断定的に言うのは正しい事ではないと言えるかもしれないが、これなどは例外中の例外だろうし、こうした劇場の経営者は貴族がやっている事が当たり前であった。だからオペラは王侯貴族の尋常ではない経済力によって支えられ今日へと命脈を保つことが出来たのだと言う事だ。

真っ当ではないのはオペラとは未だにこうした王侯貴族の時代の階級制度を、と言うか、王侯貴族のものだった時代をそのままずるずると引きずった雰囲気を宿しているからだ。天井桟敷に限らないが、オペラを交響曲や協奏曲や弦楽四重曲を聞くのと同じ様に芸術作品として鑑賞する人々を仮に天井桟敷の人々と呼ばせて貰うなら、それ以外の人々は何かしらオペラを音楽芸術作品以外のベクトルで見ている人々なのだ。人々がクラシック音楽から離れてしまっている時代においても尚、オペラの伝統など無い我が国でさえも、天井桟敷以外の人々はオペラを芸術作品以外の王侯貴族の時代を引きずったものと見ているのだ。オペラが王侯貴族の雰囲気を引きずり高級な代物であると言う意識は未だに蔓延り、我が国においては海外の歌劇場の引っ越し公演の馬鹿高い料金がそれに拍車を掛ける。欧州においてはオペラハウスのロージェに通うのはステイタスシンボルであり続ける。

なぜそうであり続けるのか。それはやはりオペラなる罰当たりな芸術は金がかかるからに他ならない。王侯貴族の時代にあった利点は湯水のように金を使う事が王の判断によっていたと言う事だ。王がオペラの熱心なファンであればオペラ上演に莫大な費用を使う事に何の抵抗もない。その最後の王がバイエルンのルートヴィッヒ二世だとは言うまでもないことだ。

バロック時代の王侯貴族はルートヴィッヒ二世どころではなかったろう。この時代のオペラとはどうやらものの本などによると豪華絢爛を絵に描いた様な有様であったらしい。天井から神が降りて来たり、目も眩む様な衣装であったり、考えられるありとあらゆる機械仕掛けの舞台装置が用意されたり、それは現在の映画ばりの一大スペクタクルを舞台に載せたと言う事だ。金がかかると言うのではなく無尽蔵の金をわざわざ掛けたと言う事だ。

こうした雰囲気が未だに、21世紀の今になってさえ残っているのがオペラと言う罰当たりな芸術と言う事だ、と断定して良いのだろうか。だから、オペラファンとコンサートファンの間には乖離がみられると言って良いのだろうか。指揮者をオペラをどう振るかで判断するのは自明の理だとする人々とオペラの指揮など指揮者を判断する基準からすっぽりと外している人々との乖離はそのためだと言ってよいのだろうか。

オペラの発展は乱暴に観れば王侯貴族の間から始まり宮廷の物であった時代から、興業により入場料を払える一般の人々が楽しむ時代となり、革命により金持ちの市民が王侯貴族に交じって観劇するようになり、王制が崩れ金持ちの市民が楽しむものとなり、戦争により世界の体制がかわり今日に至っていると言える。乱暴に歴史をみてもオペラが経済力を背景とした人々のものであり続けた事が分かる。昔、オペラハウスの平土間は王侯貴族以外の人々が立ったまま観劇する場所であったそうだが、平土間に来る庶民など一般の人々は王の慈悲深い情けによって観劇を許され平土間に立つことが出来たらしい。

オペラとはやはりこの様に特権階級の間に成りたった「娯楽」であり今もその雰囲気が残ったままの時代遅れな芸術であるのだ。あるいは特権階級が存在しなければオペラも又、この世には存在しなかった芸術だと言える。指揮者をオーケストラコンサートの演奏で判断するオペラなど顧みない人々は特権階級など預かり知らぬ人々なのだ。

何度か言う様にセルジュ・チェリビダッケの言う「オペラは純粋な音楽では無い」という台詞はオペラが内在する特性を射当てている。音楽以外の要素、演劇、舞台美術、照明美術、舞台装置、演出などの集合体である総合芸術だから「純粋な音楽」では無いのは当たり前だと思われるだろうか。だがチェリビダッケはおそらくそうした総合芸術だから純粋な音楽では無いと言った訳では無い。上に述べた様にオペラが「特殊な」「娯楽」だからに他ならないからだと思える。交響曲に代表される器楽曲の様に精神の地平を仰ぎ見る様な浄化が無いからだと言う事だ。オペラとは刹那に過ぎて行く享楽だと思える。音楽は全て音になった瞬間から刹那に過ぎて行くのだから交響曲とオペラのどこに違いがあり、オペラだけを刹那に過ぎて行く享楽などと表現するのか解せないと言われるだろうか。交響曲はそれのみで、演奏するのみで全てである。オペラの様に背後に王侯貴族の影が纏わり付いて来るものではない。今でもオペラは豪華絢爛さを是としており音楽とは切り離された「特殊」性を内在したままの存在だ。器楽作品にはそれが無い。器楽作品にもターフェルムジークなる物があり、それは王の食卓に流れたバックグランドミュージック、ムード音楽ではないか、チェリビダッケの言う様に器楽作品が純粋な音楽ならそれはどう説明するのかとなろう。まさに歌劇場の存在が「特殊」性を提示する。歌劇場と言う空間が、王宮の部屋の一室で臨時に行われたオペラ公演も歌劇場であると考えられる、オペラを特殊なものとしてしまう。歌劇場があるからバロックの時代からオペラは刹那に流れる泡沫の夢だったのだ。何度か言う様に歌劇場と言う場所はオペラを観劇する為の空間である前に特殊な階級の人々が集う社交場であった。この空間の特殊性がオペラなる代物を単なる音楽芸術と乖離させているのだ。歌劇場へのい旅とは過去のある時期特殊な存在であった空間へ、あるいは建物への旅でもある。器楽作品には例え機会音楽で戴冠式などで一度だけしか演奏されない曲であろうとも刹那に流れる泡沫の「享楽」にはならない。

現在、音楽を楽しむ人々は一般の市民であり、王侯貴族の時代とはまったく違った聴衆がいる。市民階級が嗜む音楽はコンサートホールにおける交響曲や管弦楽、ピアノリサイタルなどである。「特殊な」芸能、芸術のオペラはオペラファンが観るものだと言うわけだ。

ロマン派の時代に台頭した市民はもはや王侯貴族の趣味嗜好とは違った道を進み始めた。

そうは言っても特権階級へのあこがれが無くなる訳ではない。王侯貴族の真似をしたがるのが成功した成金、ブルジョワジーだ。そうした王侯貴族に変わる聴衆、市民が台頭したのが19世紀ロマン派の時代であり、ヴェルディやヴァーグナーの時代と重なる。

交響曲や協奏曲の様なハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンから始まる器楽を中心とした音楽は哲学的、美学的、論理学的な色合いを帯びた楽曲になっているのだと言えるし数多くの優れた音楽の聞き手たちもその様に語って来た。そしてバッハやブルックナーを語るときその口調は神学的な色彩さえ帯びる。ドイツロマン派以降、精神的感覚に寄っているフランス音楽でさえ啓発的な論調を帯びている。19世紀は音楽が思考し意味を内在する様になった時代だった。それに対してオペラは娯楽であり続けた。偉大なヴェルディさえ、哲学的な何かを内在する様な曲など書かなかった。いや書く必要など無かったのだ。オペラの世界で観念哲学的な作曲者と言えばワーグナーが例外だろうか。オペラファンと器楽コンサートファンの乖離はこうした所にあるのかもしれない。

音楽を神格化する人々が宗教の祭壇に詣でる様に聞くのが交響曲を聞く人々であり娯楽を旨とする人々はオペラハウスに行くと言うことだろうか。前にも述べたがそこにはブルックナーの交響曲とオペラの間にはなんの関わりもないのだと言う端的な表れであろうか。

ブルックナーがヴァーグナーの多分なる影響を受けた事は疑いようもないことだが、それは音楽的な部分、和声とか、半音階進行とか、長大さとかにおいてであり直接にオペラとは繋がっていないと見てもヴァーグナーのオペラは確かにブルックナーの音楽に深く影響を及ぼしている。そうではあるが、ブルックナーはオペラを指向した訳ではまったくなく、マーラーの様に合唱を入れる事さえしなかった、調性音楽の到達点を目指して交響曲を作曲したに過ぎない。過ぎないと言った。オペラの様に御大層で特殊なもの以外は全て必然から生まれるものだからだと考えるからだ。オペラが欧州においてさえ特殊な芸能、芸術なのだと言ったが、そのオペラが特殊な芸術なのは特殊なものと結び付いているからに他ならない。王公貴族も、市民階級も、時代を写すあれもこれも考えて見てもオペラが、例えば民謡の様に自然発生的なものでは無いのだから、つまり人間の理念が組み込まれているのだから、そしてある一時期からは快楽と社交の場になってしまったのだから、もはや真っ当な「音楽芸術」では無いのだと言われるのは致し方が無い事なのだろう。純粋な音楽では無いと言うチェリビダッケの一言が、こうもオペラの持つ特殊性を表しているとは思いもしなかった。交響曲や協奏曲やピアノソナタや室内楽や、そうした音楽とオペラはやはりかなり性格の異なる音楽なのだとやっと分かった様な気がする。

今現在に至ってはオペラとは保守的で過去を振り返りたがる聴衆のものかもしれない。現に欧州ではそうであろうと口に出来る要素がかなりある。では過去の伝統の無い我が国ではどうだろう。西洋に憧れた「仮想の保守」がそこにはある様な気がする。オペラは高級なものなのだ。事実何度も言う様に多額の金銭を必要とするうわばみの如き芸術、芸能だから金銭的には高級であり、そして西洋文化の高い地位にいた人々の時代に憧れを懐きそこに階級無き社会の幻の階級を見出し高級感を感じるのだ。ブランド物のバッグや時計に群がるがごとくに高級感を感じるのだ。

乖離は致し方のない事柄だと思う。歌劇場の風景の一部になる為に出掛けるとか、座って聞く時には少しは改まった格好で出掛けるとか、絨毯や調度品、装飾、観客の雰囲気さえオペラを楽しむ為の前菜でそれが無ければオペラの楽しみは半減するとか書き連ねて来たが、考えて見ればオーケストラコンサートで序曲、ピアノ協奏曲、交響曲を聞きに行く場合はそんな事は心の中からすっぽりと抜け落ちている。あまりみっともない服装は避けようと考えるばかりだ。オペラとは同じ時代に生まれた作品が多数あるにも関わらず交響曲の様な楽曲とは明らかに違う。オペラの特殊性はここにある。何故、服装に気を使い、劇場内ではそれらしく、優雅に、振舞わなくてはならないのか。さすがに度胸が無いのでロージェに席が取れた場合はネクタイを締めて行くが、実際にジーンズにティーシャツで行ったら慇懃に係員に追い出されるのだろうか、多分追い出されるのだろう、そうした暗黙の了解事項があれもこれもあるのが特殊なオペラと言う芸能であり芸術なのだ。伝統と格式と言う美名のもとにあるそれらの決まり事の数々は、階級社会の亡霊が司る特殊な世界観でさえある。だから欧州においてさえオペラは特殊なものなのだ。現在は階級社会などと言うアナクロニズムが未だにある訳が無いと何処かで記したが、そうではないのだ。今でもあるのだ。王侯貴族の時代の残り香が、と言うと優雅に聞こえるが厳しい差別のある階級社会の伝統と格式が頑固に、壁の様に立ちはだかっているのだ。オペラハウスに出掛けると言う事は、自らがオペラハウスの機能の一部になると言う事だ。つまり優雅な社交の場を盛り上げる部品の一部とならなくてはならないのだ。貴方が汗まみれの薄汚れたスポーツジャージでオペラを観劇に行くのはオペラハウスの機能を果たす事から逸脱しているから却下されるのだ。天井桟敷はこの限りでは無いはずだが。

だから指揮者をオペラの指揮振りで語らない人々はこうしたオペラハウスの特殊性を嗅ぎ取ってしまった聴衆なのかもしれない。純粋な音楽で無い物で指揮者を判断など出来るものかと言う事でもある。どの様に耽美的に悲劇的に「トリスタンとイゾルデ」を振ろうとも「悲愴交響曲」を激しく心を揺さぶる様に振れなければその指揮者にどれ程の価値があると言うのだと言う事だ。そこには価値観の違いとか言った通り一辺倒な言葉では説明出来ない乖離があると言う事なのだ。

冷静に考えればオペラと交響曲は同じ一つの時代に、欧州と言う限られた文化圏で生まれた音楽の傑作群でありことさらに区別したり差別したりする必要はないし、そうする事は作品に対する不正不当なのだと言えるのだろう。どちらが優れているかと言うものでもない。敢えて言うならば一人の指揮者を評価する、評価と言うのが生意気なら語る時にその活動の、演奏する作品の全てを持って語って貰いたいと切に願うばかりだ。例えオペラが特殊な芸術であろうともそうして貰いたいのだ。私の偏見にしか過ぎないかもしれないが、我が国ではオペラを聞きにNHKホールや東京文化会館に出掛ける人々は交響曲の演奏会にも熱心に顔を出す人々だが、オーケストラコンサートに足を運ぶ人達の中にはオペラを観には行かない人々がかなりいる様に思う。著しい乖離をそこで感じた訳だが、それでは音楽の半分しか楽しんでいない様に思える。歌芝居など純粋な音楽では無いと言う理念を持つ事も大切な事かもしれないが、音楽はその様に分けて聞かれる事を望むだろうか?作曲家達はそうして欲しいと思っただろうか?ベートーヴェンは「田園交響曲」は聞いて欲しいが「フィディリオ」は別に聞いて欲しくは無いと思っただろうか?

色々と小難しく御託を並べてしまったが、とどのつまりはオペラハウスに脚を運んで貰いたいのだ。クリスティアン・ティーレマンをブラームスの第一交響曲の演奏だけで評価しないで貰いたいのだ。彼の「オランダ人」も聞いて欲しいのだ。ただそれだけを言いたい為に乖離だの、特殊だの言い連ねてしまった事をお許し頂きたい。

オペラは高級でも何でもない。歌芝居であるだけだ。ヴィーン国立歌劇場の天井桟敷の舞台がほとんど見えない様な場所で床に座り込み総譜を繰りながら聞こえて来る音楽にのみ集中する聴衆が居る様に音楽だけでも十分楽しめるものなのだ。オペラは純粋な音楽でもあると言いたいのだが、これもお許し頂けるだろうか。

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5.さらに言い訳

文章と言うものは本当に難しい。この拙い文章が独りよがりの自己満足でしかないと言われればその意見には素直に頷かざるを得ない。そもそも歌劇場へ旅を繰り返す事は極めて個人的な事でしかない。それを元に旅行案内や手引書を書くのとは違い、拙い文章は個人的な思いの羅列かもしれない。例えばヴィーン国立歌劇場の章はほとんど個人的な夢想に近いと感じたりする。

しかし、そうは言っても例えば誰か一人でも共感してくれればと思う。そこで出会った素晴らしい演目や歌手や演出や音楽の事を、誰かと分かち合いたいと言う気持ちはコンサートやオペラを聞きに行った時には誰でも感じるだろう。拙い文章はその都度感じた印象に共感をして欲しいと言う、ずうずうしい希望があると思ってくれて間違いない。

私はなぜクラシック音楽などを聞きに行くのかと問われた時に次の様に生意気な返事をしている。「日常生活の中で我々は奇跡に出会う事など皆無に近い。だがコンサートホールやオペラハウスに出掛けると、毎回とは言えないがたまに奇跡に巡り合う事があるからだ。感動しそこに人間の力を超越した何者かの存在を感じることさえ味わえるからだ。」と返事をする。だから感動や人智を超えた何者かと巡り合えると言う実生活ではなかなか得れないものがそこにあるのだと思うとオペラハウス巡りの旅に踏ん切りを付けることは出来ない。今日も日常生活ではなかなか出合えない「奇跡」に巡り合う為に旅を続けるのかもしれない。さすらい人とはつまりはボータンの事では無く己自身の事なのだと改めて思うのだ。幸せなのか不幸なのか一向に判断が付かなくなってどの位の年月が過ぎて行った事だろうか。「永遠」になどあり得ないが、朽ち果てるまで続くのだろうか。ヴィーン国立歌劇場の席に腰を下ろして終わるまでは・・・。

6.飛行機の旅は疲れる

遥か数千キロの旅をして歌劇場にたどり着く為にどうやって移動するのか考えた事があるだろうか。えっ、飛行機に決まっているだろうとおっしゃるか。確かに現代の欧州への旅と言えば飛行機しか思い浮かばない。昔は船旅かシベリア鉄道経由だったのだから、それに比べれば文明の発達はすごいものだ。

航空機の発達は時間も短縮してくれるようになった。朝、成田を出発すれば直行便ならその日の夜の開演に充分間に合うのだから。たまにフランクフルト経由とかアムステルダム経由を利用せざるを得なくなるとその日の夜の演目観劇は無理だから直行便はありがたいものでだ。同じ旅程の中で一晩分余分に楽しめて得をした気分になる。もっとも時差と11時間以上機内で過す為に疲れてせっかくその夜の公演を観劇出来ても、集中力が持続しなかったり、眠気に襲われたりと結構大変な場合もあったりする。身体を鍛えて体力を付け頑張るしかない。

航空機が発達したからこそ欧州くんだりまでオペラなる罰当たりな物を聞きに行けるのだと思う。船旅やユーラシア大陸を横断しての列車の旅では移動するだけで大変な時間を費やしてしまう。費用はもとより慌ただしい現代では何よりも時間が取れないだろう。森鴎外や夏目漱石の時代の様に何週間もかけられるほど現代は余裕が無い。鴎外や漱石の時代は航空機など発達していないから、何週間もかけられる余裕のある人々しか欧州には行けなかった訳だが。「フランスに行きたいと思うけれどフランスはあまりに遠し」と嘆いた詩人もいる事を考えると現代は良い時代だと思う。

しかし、私は飛行機に乗る度に何となく罪悪感めいたものを感じる。騒音公害、環境破壊の問題は航空機の持つ宿命だと思う。こうした負の面を考えると憂鬱になる。だったら乗らなければいいと言われるだろう。でも乗らなければ欧州にオペラを観に行くことは出来ないし、船や鉄道を使える程余裕は無いので、結局は罪悪感がありながら航空機に乗ると言う自己矛盾に陥いる。昔SF小説で読んだチューブの中を音速を超える速度で走る大陸間横断弾丸列車が実現していればこんな事で悩まなくても済むのだろうが。リニアモーターカーなど現在の鉄道技術があればけしてSFの夢物語では無く実現可能な話だと思う。だが世界の国々が国境と言う人間の都合で引いた線を維持し続け、己の利益ばかりを主張し続ける限り地上を走る列車が何の制約も受けずに世界中を走り回るのは難しいだろう。だから色々と問題が山積みのEUではあるが、航空機や列車の移動に制約が無いのは理想への第一歩だと賛同する。EU域外と域内の旅客に対する扱いが違うのは我慢のしどころだが国境がある以上仕方の無い事だ。

まあ、いずれにせよ航空機でも移動にかかる長い時間はしんどいものだ。皆はどうやって過しているのだろう。私は勿論、ヘッドフォンを付けて音楽鑑賞だが、バルトークだのストラヴィンスキーだのが流れているとどっと疲れる。リラックスする為に聞くのであまり深刻な選曲は勘弁して貰いたいと思うからだ。やはりここはウィンナーワルツだろう・・・とは思わないが。あの機内で流れる曲目の選曲は誰がするのだろう。詳しい人がいたら教えて貰いたいものだ。それにしても音楽鑑賞も一定の時間が過ぎれば同じプログラムの繰り返しだから限界がある。また、ヘッドフォンでの音楽鑑賞は意外に疲れる。エンジンのうなる音がゴーと絶え間なく聞こえる機内では疲れが倍増する様な気がする。本当に音楽が好きで耳を大切にする人達はヘッドフォンで音楽を聞かない。誤解しないで貰いたいが部屋の中とかモニタリングでヘッドフォンを使っている方々の事は別だ。街中や電車の中など騒音の多い中で不用意に大音量で聞いている人達があまりにも多く耳を大切にしていないのが気になって、耳を大切にする人達とは違うのが目につくのだ。

映画鑑賞も音声はヘッドフォンなのでこれも又、耳が疲れるのと並行して目も疲れるからあまり長時間を快適に過ごす有効な方法とは言えない様な気がする。だとすると後はひたすら寝るか飲むか食べるかしかない。程良いお酒が悪いわけではないだろうが、寝酒は身体に良くないと聞く。乾燥した機内では水分も不足しがちで、例のエコノミークラス症候群が心配なので、アルコール分解に水分が必要な飲酒は控えた方がほんとうは良いのは当然となるか。それはせっかくの機内食だから美味しく頂くにはワインの一杯くらいは、いや二杯は・・・いや三杯、もう一声四杯くらいは・・・頂くにしても何事もほどほどが良いのだろう。ほどほどに出来るだろうか・・・。

機内で過すのには読書をしている方も意外に少ない様な気がする。読書も疲れる。漫画や週刊誌や気楽な読み物はあっと言う間に読み終えて時間つぶしにはならないし、ゲーテやドストエフスキーの様な重量級の文学は疲れが倍増する様な、むろん私だけだと思うが、気がする。

同行者と話を続けるのも限度がある。運良く窓際の席に座れても素晴らしい景色ばかり見られる訳でもない。むしろ余計な光が入って来るか、高度のあるところの太陽光線は有害だとか言って敢えて窓際を外す人もいるようだ。とどのつまりはひたすら寝ているのが一番か・・・。時差ぼけで辛い思いをしない様に移動中の機内ではあまりな寝ない方が良いらしいとの意見も聞いた事がある。結局はただひたすら耐える!これに尽きると言う悲しい結論なのだろう。それでも航空機が無かった時代の旅に比べれば数十倍も楽で時間もかからないと思われるのでこのくらいの事で不平など言っていては罰が当たりそうだ。

さらに最近は世界的な景気後退とテロ対策も手伝って機内持ち込みの手荷物の規制の強化や液体の入った容器の持ち込み禁止、燃料サーチャージなどなどと昔の程良いゆるやかさ、いい加減さとも言いうが、が影をひそめ息の詰まること詰まること。テロと不景気が悪いのだが、20世紀後半の比較的穏やかな時代とは違うギスギスした空気を感じていやになる。ドイツでは堀米ゆず子氏のヴァイオリンが差し止めを食らったとか、音楽大国ドイツで!、冗談の様な話が伝わって来ると呆れてしまう。2001年9月11日を境に世界が変わったと良く言われるが、9・11テロの直後の10月に歌劇場への旅をした時もあまり切迫した雰囲気は感じられなかった。むしろ最近の方が切迫している様に感じるのは私が鈍感だからだろうか。テロが恐くて歌劇場への旅を中止出来るか!テロが恐くてオペラが聴けるか!と言ったところか。いざとなったら腰を抜かすのがせいぜいの臆病者だが勢いだけはあったのであまり切迫感を感じなかったのかもしれない。本当は当時世界はもっと緊張して厳しい状況だったのかもしない。様はとんでもなく鈍感だっただけだと語るに落ちている様なものだが。

7.終りにの終りに

私は多くの人達に感謝している。それら全ての人達の力添えがあったから歌劇場をめぐる旅をする事が出来たと思う。ややもすると不遜な事に旅は己一人の力で出来たのだと大いに勘違いしてしまう。旅はその様に己自身を見つめ直す機会でもある訳だと、偉そうに言って反省する。歌劇場への旅を繰り返して何かが変わっただろうか?毎晩ヴィーン国立歌劇場へ通って何かが変わったろうか?体験し経験を積み確かに成長した様な気がするが、とどのつまりはただオペラが造り出す夢幻の世界に溺れただけだったのではないかと振り返りながら思う。開き直る訳ではなく、それで良いのだと思う。オペラとはつまりはその様に溺れるものなのだ。溺れる為に観劇に行くものなのだ。それをある人は娯楽と言い、ある人は人生と言った。それぞれの捉え方があるのだと教えられた。それも感謝している。

旅に同行してくれた、いや正直に言うが手間のかかる私を旅に連れ出してくれた人達に改めて感謝する。振り返ってみれば、人生も又オペラの様なものだと思う。だから現実が舞台の上に現れ、真実もまた歌劇場の舞台の上にあるのだと文学的な言い回しをしてしまった。親しくしてくださった歌劇場の大先輩の方々もいつの間にかもうこの世にはいなくなってしまった。光の様に過ぎ去って行った日々を思い、それにも感謝したい。私に数多くの歌劇場への旅をする機会を与えてくれた何もかもに感謝したい。

まとまりのつかない後書きになってしまった。特に乖離の事に付いては読みにくいかもしれない。もう少し筆力が付いたら改めて書き直すと言う事でお許し頂きたい。

旅が終わるのは寂しいものだ。しかし、旅は何時か必ず終わるものなのだ。オペラにも必ず終りがある様に、そして人生にも終りがある様にこの世には永遠であるものなど一つも無いのだ。

それではこの拙い文章を読んでくれた皆さんと何時か何処かの歌劇場でお会い出来ればと思います。何もかにも感謝を込めて。それでは又。

※多大な労力を費やして「歌劇場への旅」を載せてくれたホームページ担当のshin氏にはとりわけ感謝します。ありがとうございました。