アルゲリッチ その5

室内楽、例えばピアノ三重奏曲、ヴァイオリンなどの他の楽器の伴奏、声楽家の伴奏、オーケストラとのピアノ協奏曲の演奏には共演する相手がいます。 仲間がいる訳です。 先にも言いましたが大きなミスをすれば担当楽器奏者の責任になりそれを取り返すことは出来ません。 それ故に一人であろうが数人であろうが、舞台に立つ緊張感は同じだと思われるかもしれません。
ところが、共演する仲間がいればピアニストは孤独感、奈落のそこを見る様な深淵な孤独感から開放されるのです。 いつも一人で登場しいつも一人で戦う闘牛士の様な思いから開放されるのです。 断っておきますが、一人ではないからミスしても目立たないとか、間違ったら弾いているふりをしてやりすごせるとか、自分の演奏部分が少なくて済むとか、他の楽器奏者におんぶに抱っこが出来るからなどと言う素人以下の低次元の話をしているのではありません。
舞台に立つ演奏家、特にピアニスト以上に孤独の苦痛を味わう演奏家はいないのです(先に無伴奏ヴァイオリン、チェロを同様のものとしてあげましが、オルガニストもそうかもしれません)。
いったい、ピアニストに限りませんが、演奏家はどれほどの苦痛を感じながら演奏活動をしているというのでしょうか。 そもそも見た目は豪放磊落な演奏家でも、演奏家で繊細でない人の話を聞いたことがあまりありません。 ほとんどの演奏家が神経質で「苦痛の英雄」ではないかと思います。
ですから、舞台下手から中央に設置されたピアノまでの距離は途方もなく長く感じ「克服」しなくてはならないのです。 アルゲリッチの、あの時には常道からはずれる様な激しい演奏を目の当たりにした時に、私たちは舞台袖で行われる葛藤や繊細な苦しみを想像することが出来ません。 よもやそのような「怖気(おじけ)」を抱いてしまうことがあるなどとはとても思えないのです。
もちろん、舞台袖や楽屋で行われる葛藤にまで思いをいたせなどとは言いませんしその様な必要は聴衆の側にはないのです。 ピアニストは舞台に登場しピアノを弾くことが全てです。 アルゲリッチもそうです。 ただ、出来ればどの様な天才でも私たちと同じように緊張したり苦痛を感じたりする普通の人間であることを心の片隅においておくのもけして悪いことではないと思うのです。
さて、アルゲリッチの華々しい演奏の影にある孤独について多めにお話をしてしまいました。 プロのピアニストであっても舞台に立つことの大変なストレスがあることを、とりわけアルゲリッチでもそうであることを理解して頂きたくなりついつい長くなりました。

その6に続く

BERLIN, GERMANY - AUGUST 13: Pianist Martha Argerich and the West-Eastern Divan Orchestra perform live during a concert at the Waldbuehne on August 13, 2017 in Berlin, Germany. (Photo by Frank Hoensch/Redferns)