「序奏」II

ところでそのピアニストと言う演奏家が弾く楽器、ピアノに付いて少しばかり触れておきたいと思う。

あるヴァイオリニストのヴァイオリンソナタの夕べを聞きに出掛けたとしよう。会場で席に着くと舞台の上には黒光りするコンサートグランドピアノが置いてあるのが目にはいる。そうなのだ、バッハやイザイ等の一部の曲を除けばヴァイオリンの演奏には殆ど伴奏ピアノが必要なのだ。と、言うよりピアノ以外の楽器のソロリサイタルにはピアノの伴奏が必要不可欠なのだ。伴奏ピアニストとして高名な名ピアニストのジェラルド・ムーアは多少自嘲気味に、しかし、確固たる誇りを持ってその辺りの話を書いているが、とにもかくにもピアノがあるのは必然だ。それにも関わらず聞きに来た聴衆は、今晩の演奏でヴァイオリニストがどんなヴァイオリンを弾くか、それがニコロ・アマティの、ガルネリの、はたまたストリオーニの、他ならぬストラディバリのヴァイオリンであるかは最重要課題の感心事であるのに舞台に最初から鎮座している大きなフルコンサートグランドピアノには全くと言って良いほど無関心なのはどうした事だろう。

さるヴァイオリンリサイタルでは、伴奏用のピアノがそのホール備え付けのスタインウェイではなくベーゼンドルファーに替えられていた。おしなべてその夜の演奏は好評を博したが、ヴァイオリニストの音色に良くピアノが合っていたのが良かったとの評価が多かった。その為に多分高いレンタル料金や手間をかけてベーゼンドルファーを用意したのだと、ヴァイオリンに相応しい音色を、合う音楽性を考えた結果のベーゼンドルファーの使用だった、だから二人の演奏は良く合っていたとなるわけだが、しかし、殆どの聴衆はその事には気がつかないし、気づく必要がないかもしれない。だけれどこうしてピアノその物に感心がいかない事態を何時も見ていると釈然としないのも事実だ。ピアニストの苦労の最大のものは、もしかしたらリストのオクターブを駆け抜ける為の、ショパンの練習曲をこなす為の努力よりこうした聴衆の無頓着さに苦労する事かもしれない。誰もピアノに感心が行かなければピアノ自体の故障などあっても全てはピアニストが原因だと思われてしまう。

こうした事態に何故なるのかと言えばそれは物理的な事が原因だからだ。五百キロもあるコンサートグランドピアノはおいそれと持ち歩く事が出来ない特異な楽器だ。ピアノに比べればコントラバスやチューバは大きいとは言え持ち歩く事が可能だ。いや、ティンパニやチェレスタだって持ち歩くと言うわけにはいかないが、これらの楽器はピアノの様な複雑なメカニズムを持たない。だから問題がないとは言わないがピアノに比べれば(ピアノの複雑なメカニズムを考えて欲しいのだが)問題点は遥かに軽微だ。一人ピアニストだけがこうした特殊事情によりお仕着せの楽器を使わざるを得なくなる。ピアニストだけが自身の愛器を小脇に抱えて世界中を演奏旅行して回る訳にはいかないのだ。だから、訪れるコンサートホールに置いてある、あるいは近くの楽器店から借り受けるあてがいぶちのピアノを弾く事を余儀なくされる故に、神経質にならざるを得ない。その結果、あてがいぶちのピアノであっても少しでも自分の理想に近づけるべく調整を施そうとやっきになる。自身で調律などするピアニストはほとんどいないので、調律師の登場とあいなる訳だ。考えてみれば不思議な事だが、ピアノ以外の絃楽曲では(ピアノは打楽器だとの論議は横に置かせて貰うが)奏者が音合わせ調律を行うのが当然の事と認識されている。一人ピアノだけが、専門の調律師を必要とし音程やメカニズムの調整と言う行為を専門家に任せ、演奏はピアニストが行うと言う様に分業化されている。やはりピアノが簡単に持ち運べない程重い事からその様になるのだろうか。あるいはピアノの持つ複雑なメカニズムが分業体制を要求するからだろうか?

例外的に訪れた所に用意されたあてがいぶちのピアノではなく自信がお気に入りのピアノを持って演奏旅行の出来る恵まれたピアニストが若干ではあるがいる。御存じの様にウラディーミル・ホロヴィッツやアルトゥール・ベネディッテ・ミケランジェリだ。聞くところによればこの二人の使うお気に入りのピアノは他のピアニストが弾くには難がある様な調律調整がされていると言う。その辺りは個々のピアニストの章で取り上げて行こうと思う。

とにかくこの二人の様に恵まれたピアニストは特殊な例であり、ほとんどのピアニストはあてがいぶちのピアノが用意されたコンサートホールに出掛けて行き演奏をこなしてみせる。随分と勇気のある行為だと思う。あるいはそう言う環境が普通の事だから大部分のピアニストは慣れてしまっているのかもしれないし、相当なところまで何とか出来てしまう能力を養って来たのかもしれない。そもそもそこに置いてあるピアノを使いこなせなければピアニストとは言えないのだと言う事かもしれない。だが、そこにあるピアノを使いこなせなくてはピアニストとは言えないと言う一言は随分と厳しい一言であるのも事実だ。

普通に考えれば、それぞれのホールに在る、あるいは貸し出し用に用意されたピアノはまあまあ、標準的に調整されておりそれ程難儀な思いをしなくてもそこそこ順応できる範囲で弾く事が出来るから、ピアニストは御座敷のかかったホールに出掛けて行けるのかもしれない。

だが残念な事に悪いピアノと言うものはあるのだ。アルフレート・ブレンデルの言う様に悪いピアニストの数より多く・・・。