レオンスカヤその5

ここで、少しばかり「禁断の曲」でレオンスカヤの演奏に触れてみることにします。 フランツ・リストの難解なロ短調のソナタです。 クラウディオ・アラウの章でもロ短調ソナタは取り上げていますが、今少し深くレオンスカヤの演奏で追ってみることにいたしましょう。 そもそも、この曲は発表当時から批判にさらされて来た曲です。 要約すると「なんだか良く分からない曲」と言う評価です。 そもそも単一楽章の曲なのか、切れ目なく続くが楽章は存在するのか、ソナタ形式の曲なのか、幻想曲(自由な形式の意味で)なのか、表題はあるのか? あるとすれば何なのか? などなどです。 この楽曲の価値が認められたのは20世紀に入ってからと言って良いでしょう。 そして楽譜を分析してもいたるところに演奏解釈の問題山積で、現在においてもあれこれ意見の相違がにぎにぎしく取り上げられる始末です。
いくつかの問題点を取り上げているとレオンスカヤではなくロ短調ソナタについての文章になってしまいますので分かりやすい例を一つ上げておきます。 写真1の譜例にあります様に、開始直後の左手のオクターブによる2オクターブ分の跳躍の部分から問題が始まります。 最初から! 演奏解釈に問題があるなんてなんともややこしい楽曲です(この部分の演奏における問題点は添付の譜例に示します、写真1)。 なぜこうなったのかですが、初めて演奏音源として録音したのがアルフレッド・コルトーでそのコルトーがそう弾いているからの様です。 つまり先駆者の演奏が規範になり慣例となってしまったという訳です。

レオンスカヤも慣例に影響されてはっきりとしたタッチでオクターブの跳躍を開始しています。フォルテで開始と言わずにはっきりしたタッチでと表現したのはフォルテの叩き付ける様な音量で表現していないからです。 レオンスカヤは中庸の表現を取ったと言ってよいと思います。 既に述べてきたように中庸のピアニズム、レオンスカヤのあるべき姿がこの難解な曲の演奏にも窺うことが出来ると言えましょう。 ロ短調ソナタは技巧的にみても大変な難曲ですが、その全体を通してさしたる困難さを感じさせること無く演奏しているところにレオンスカヤの力量のすごさがあるわけです。

ところでレオンスカヤの表出するロ短調ソナタは悪く言えば一本調子な印象があります。 このソナタにはベートーヴェンに続く構成の確かさと豊かな発想があい前後して込められています(ベートーヴェン以降最も優れたピアノソナタとする向きもあるほどです)。 変化自在な色彩、和音の飛躍、楽曲全体の構造を壊す事なしに示す崩し方の見事さなど、真剣に楽譜を読みながら聞いていると頭の中が(私の頭では容量が足りないからと認めますが)ゴチャゴチャになりそうです(音楽を聞く時は楽譜やスコアーなど見ないのが鉄則です、勉強の為なら止めませんが、音楽を聴く事とはかなり乖離した行為だと思います)。 ところがレオンスカヤの演奏は不思議にすんなりと聴くことが出来ます。 一本調子なのではなく「分かりやすい」演奏だと気が付きました。 この分かりやすいと言う言葉が、大したことのない演奏と言うフレーズに直結してしまい、分かりやすい=駄演と連想されてしまいますが、それこそが私の様に頭でっかちな聴き手が陥りやすい思考です。 難解な曲を分かるように演奏するのは逆に至難の技です。 困難を感じさせること無く、分かりやすい演奏をすることが、中庸を旨とするレオンスカヤの演奏なのです。 リストのロ短調ソナタの演奏はそれを端的に教えてくれます。 他のリストの作品ではかなりヴィルトゥオーゾ的な演奏をしていたりします。 ですからロ短調ソナタにはレオンスカヤらしい気配りがかなり施されていると言えます。 レオンスカヤがその辺りの研究を怠らない姿勢を持っていることも理解できます。
レオンスカヤはこうして聞いてゆきますと、技術の全てを演奏表現の方に引き寄せるピアニストです。 それによってレオンスカヤの演奏は即座に何かを与えてくれる感動的な演奏であると言うよりも私たちがピアノ音楽と演奏を聞きに行くときに心に持っていなくてはならない必要なものを喚起してくれる様な演奏家だと考えられます。

写真1    ロ短調ソナタ「gのオクターブで上に跳躍するアレグロ・エネルジコ テンポも4/4拍子から2/2拍子に変わるところで、変化をフォルテで開始するピアニストは大勢いるが、楽譜でも確認できるように、フォルテの指示はテンポが変わってから2小節目全体でも9小節目からである。」 「注意すべきはリストの時代に出版された最初の楽譜ブライトコップ版はgの音の指示がフォルテになっているが初版だから100%正しいわけではない。ブライトコップ版には様々な誤りがあり、リストの意思が反映されているとは限らない。」 「筆者の手元にあるのは日本の春秋社版のロ短調のソナタの楽譜であり、いつも参照するヘンレ版ではないのでヘンレ版がどの様な指示か未確認。」