第1回「序にかえて」

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バッハの管弦楽組曲第2番やシューベルトの楽興の時の旋律が幼い私の心にいつの間にか深くしみ込んでいた。歌曲やオペラアリアは残念ながらあまり心に残っていなかった様でずいぶん後になってから何処かで聞いた事がある様な気がすると記憶の片隅から引き出すのがせいぜいだった。 初めてオペラを観劇したのは13歳だった。ロッシーニの「セビリアの理髪師」がそれだ。原語上演では無く日本語による公演だった。美しく親しみやすい音楽と物語、日本語上演で分かりやすいどたばた喜劇のオペラは本当に楽しかった。それをきっかけに少年がオペラにのめり込んで行った話ならオペラハウス遍歴の旅立ちとしてはずいぶんと良く出来た話になったと思う。

しかし、それ以降オペラは身近な物にはならなかった。少年がのめり込んだのは交響曲や管弦楽曲、協奏曲そしてピアノやヴァイオリンの独奏曲とドイツリートだった。そしてそれを決定的にしたのがヴィーンフィルハーモニー管弦楽団の来日公演だった。今思えば歌劇場の管弦楽団が母体のオーケストラなのだから自然にオペラへの道が開けても不思議はなかったろうにその時もそうはならずに終わってしまった。ただただ、その演奏に感心しオーケストラを含む器楽曲へとのめりこんでいった。

もちろん「セビリアの理髪師」に続きオペラも聴きに出掛けた。「ヴァルキューレ」だの「ボツェック」だの、よりによってオペラの初心者の様な人間がベルクなぞを聴きに出掛けるのはいささかどうかと思いはしたが。そうしてある時R.ヴァーグナーの「タンホイザー」を聴きに出かけて衝撃を味わった。ヴァーグナーの音楽はある種の麻薬だと聞いてはいたが、まさしく麻薬だと思い知ったのだ。「ヴァルキューレ」の時には感じなかった衝撃をなぜ「タンホイザー」に感じたのかは今も不思議だが、多分、歌手や演出や指揮者やその他もろもろの物が比較にならない程優れていたからだと思う。そしてそれから、恐らく一ヶ月近くタンホイザーの旋律が心に響き続けていたのを覚えている。他の演奏会に出掛けてもタンホイザーの旋律がふと心を過るのだ!大変な事になったと思ったものだった。後にタンホイザーを幾度も観劇したが、もっと冷静に作品を楽しめる様になって安堵したものだ。

そうした経験が何時の間にかオペラハウスをめぐる旅への、オペラをめぐる想いへの端緒となって行った。

そして歌劇場への旅を始めた。欧州中の歌劇場を征服するのだと出来もしない夢を抱いた訳ではない。それでも本やレコードのジャケットで見て来た、あるいは来日する歌劇場の引っ越し公演で売られる豪華なプログラムに載る歌劇場の写真を見るたびにせめてこの内の一つでも訪れてみたいものだと思うようになるのは自然な事であろう。音楽に取り付かれた人間は往々にしてそんな野望と言うにはあまりにも小さな事をやりたいと思うようになるものだ。

言うまでもなく歌劇は欧州の文化だが、だからと言って本場崇拝等と言う気持ちはこれっぽっちも持っていなくてもやはり欧州に行かなければ、そのものが生まれた地を見に行き、その地でオペラの一つも見なければ、いくばくかのことさえも分からないまま終わってしまうのではないかという気がした。だから一つ決心して歌劇場へ旅立った訳だ。いや決心などと言う大それた気持よりただそこに、彼の地に行ってみたいとただ思っただけだ。本やプログラムで見て憧れをいだく歌劇場への旅は果たして何をもたらしてくれるのだろうか。それでは旅の第一歩を踏み出すことにしよう。

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フィレンツェのバルディ邸でカメラータが史上初のオペラを上演してからというものオペラは欧州の音楽を担う形態として常に人々の関心の中心にあった。ここで言う人々とはある一定の階級を指し示す意味を含んでおり今日的な意味合いの人々とは違う概念であることはおわかりの事と思う。もっとも現代の我々日本人にとって階級と言う概念はかなり難解なものでもある。理屈では理解していても実態として肌で感じているとは言い難いのではないだろうか。誰もかれもがブランド物のバッグを持ち歩く国民にとっては階級と言う概念はあり様が無いかもしれない。我々日本人が現実的に考える階級と言えばお金を持っているか否かと言う経済力のことであろう。オペラについても間違った考え方がまかり通る。高級なあるいは高尚な芸術だと言う考え方である。

昔、例えばモーツァルトの時代にあるいはヴェルディまで時代を下っても良いが、オペラの主要な観客であった貴族達が高尚な芸術であるオペラを理解していたと言うのはいささかロマンチックな幻想である。貴族達皆が皆が皆、それほど高尚であったとはとても言い難い。彼等達にとってのオペラとは娯楽であり、いや娯楽でしかなかったと言えるのではないだろうか。やれどこそこ伯爵夫人の本日の御召し物はいかがであるとかが歌劇場の中の関心事であり、今日の様にいかに芸術的であり感動的であったかなどと言う話題はほんの話の端であり、今日的な意味合いでの芸術としての論議などほとんど語られなかったのではないだろうか。貴族達はお気に入りの歌手達のパトロンであり其のことしか関心が無い輩ばかりだった。もちろんその中には熱心な聞き手がいたであろうし、当時の聴衆はたいした事が無いなどと言うつもりもない。だがやはり今日的な意味の芸術と言う概念から言えばいささか違ってはいただろう。最初はまさしくギリシア劇の再生あるいは再現と言う高い目標から始まったオペラも娯楽へと変節していくのは致し方の無い事なのかもしれない。水は高きから低きへ流れて行くものだ。人は深い精神活動のよりどころとしての芸術より娯楽の気安さや怠惰さの方が好きなのだ。人は楽をしたがるのだ。芸術の世界でさえもそれは変わらない。ましてやオペラ華やかなりし時代の後半には市民階級と言うそれまでの歴史に登場しなかった人々が台頭し音楽の有り様を大きく変えて行った。それまでの宮廷用の音楽とか教会用の音楽とかオペラなどとは違った音楽が主流を占める様になって行った。オペラは大衆化し娯楽の一部となり、流行歌の様に世間にひろまった。何も非難がましく言っているのではなくそれは致し方の無いこと、必然であろうし、堕落したとまでは言いたくない。

しかし、ある時から低き所にある水が高きに上る時が来る。堕落した教会を非難した宗教改革の如きに人々はある時目覚める。オペラは娯楽でありながら芸術としての真性を求められる物として人々の中に位置するようになる。現代はそうした時代でありながら一方では娯楽としてしか受け入れようとしない人々もいる。芸術など何だと言うのだ、それがどれほど立派で偉いのだと言う訳である。それもまたけして間違っているとは言い難い考えであろう。様はいかに己の人生にオペラが関わって来るか、否関わって行くかと言うことであり又、そう言う事でしかない。歌劇場への旅はそうしたオペラとの関わりを考える為に行うものかもしれない。所詮オペラは当時で言えば条件付きで言うところの大衆の娯楽であったのだ。芸術などと言う大それたものではなかったのだ。その様な関わりとしてのオペラであろうかも考えてみたい。

オペラ、それは単なる娯楽なのだろうか。何かの糧なのだろうか。何かに対する義務だろうか。ただ旅の中の一コマなのだろうか。形而上の何かであろうか。必要不可欠な何者かなのだろうか。あるいは人生の全てなのだろうか。そう考えているうちにそうした考えは遥か昔から幾千万の人々が巡らした答えの出ない質問ではないかと気がつく。そもそもオペラとは何かと言う問いに私はまともに答えるすべを知らない。何か答えようと口を開き言葉を発した途端に思っている事は何も話せず、ただむなしく言葉が宙を舞うだけだ。それではそもそもこの様な文章をしたためる事など出来ないではないかとお叱りを受けるだけだが、もしかしたらオペラとはそうした言い表す事の出来ない何者かではないかと感じるようになる。それでも何かを語らなければ旅の本来の姿の一片さえ表現することは出来ないし、理解することは叶わない。言葉や文章は意味のない無駄な事ではけして無い。それ自体が一つの文化を表すからだ。この拙い文章を文化だなどと言うつもりは毛頭ないが、お許し頂きオペラと言う何者かを歌劇場への旅をしながら想い巡らせてみたい。また、その何者かであるオペラを上演する為に建てられた歌劇場そのものにも思いを巡らせてみる事にしたい。

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それにしても歌劇場に付いて語り始めると必ずその運営や組織のあれやこれやを語らなければならないのはしんどい事だ。それらはオペラの夢幻の世界とは違って酷く現実的な話だからだ。ヴィーンにしろパリにしろベルリン、ドレスデンにしろいずれの歌劇場でも山と積まれた運営上の様々な問題が常に崩れ落ち襲いかかって来る。それらの諸問題を解決したり保留にしてともかく幕を開けなくてはならない歌劇場関係者の苦労やいかばかりかと思わずにはいられない。特に劇場の最高責任者にだけはなりたくないと思ってしまう。後から後から、これでもかと降り注ぐ苦難の数々を乗り越えなくてはならないと考えただけでぞっとしてしまう。もちろん現実社会にも政治や経営など同じ様に困難な仕事は沢山あるだろうけれど、歌劇場の運営はそうしたものとはいささか趣が違う様な気がしてならない。歌劇場の運営にかかわる人々は恐らく最も個性を重んじる人々だからだ。歌劇場と言う組織に属しながら最も「個性」を発揮しなければならない人々の集合体が歌劇場なのだ。一つの共同体の中で一つの目的に向かって邁進しなくてはならないにも関わらず個性こそ全てと言わんばかりの様相を呈しているのが歌劇場内部の姿なのだ。まとめ上げるだけでも人間業とは思えない辣腕が必要であろう事は容易に想像できる。個性的な人々の間を取り持ち、スター歌手達を招聘するために尽力し、指揮者と駆け引きし演出家の暴走を食い止め、運営資金を捻出する!これらの事を当たり前の様にこなす劇場の最高責任者になるなど「気違い沙汰」ではないか。さらに歌劇場は観劇する聴衆に夢、あるいは感動を、満足を、喜びを、精神的な領域に属するあらゆる事を提供しなくてはならない。これこそ至難の業であり現実社会にある他の立場の職業にはなかなか無い事柄ではなかろうか。歌劇場に通う聴衆はまさにそれを得る為に歌劇場を訪れるのだから。これは途方もなく難しい事だ。拙い体験しかないが過去観劇したオペラの幾つかの出し物はがっかりする様な出来だった。ヴァーグナーの指揮では今や最高の指揮者の一人である某指揮者も最初に聞いた時にはがっかりした経験が思い出される。人は進歩もするし、たまたま出来の良く無い時に当たってしまう事もあろうがそれにしても、常に聴衆に満足を提供するのは不可能な話だ。だがとにもかくにもそれを目指して日々を送らなくてはならないなど生身の人間にはいささか酷な事柄である事は間違いない。いやいや天井桟敷でオペラと言う夢幻の姿をした真実を気楽に楽しむ聴衆の一人になる方がどれ程楽な事か。

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ところでそうして歌劇場の人々が人間業の限界の様な御技を繰り出して一夜のオペラの夕べを舞台に載せるのを聞きに行く聴衆の一人になる方がどれほど楽か、単純にそう思っていたがそれが間違いだと気が付いたのは何時のころからだろうか。下世話な話になるがオペラ観劇には少なからぬお小遣いが必要となる。まずは聴衆の一人になるには少なからぬ懐具合の良さが必要であり気楽には聴きに行けない。もっとも欧州のしかるべき歌劇場には天井桟敷に立見席などが用意されていてかなり低料金で観劇出来る料金体系が整っている場合が多いが、それにしても歌劇場に通うには入場料は払わなくてはならない。その問題を解決して一夜のオペラの夕べの席に付く事が出来たにしてもオペラの内容を理解していなければ十分に楽しむ事が出来ない。何も言葉の壁だけの事では無い。オペラ作品は、お芝居もそうだが、始まる時に既にある時代背景や設定が暗黙のうちに了解されておりそれを知らないと楽しみは半減する。そして全てを理解して舞台に臨んでも聞く耳を持っていなければどの様な名演でも、あるいは駄演でも聞きわけることが出来ない。これが最も重要な問題かもしれない。立派な聴衆になる為には訓練と持って生まれた能力が必要なのだ。何も立派な聴衆になどならなくても良いし、なる必要などないかもしれない。大枚を叩いて聴きに出掛け、居眠りをしていても個人の自由だ。立派な聴衆とそうでない聴衆の差など無いに等しいとは思ってみても、立派な聴衆がいなければオペラ等の音楽や演奏などの芸術は少しも立派にならないし発展もしないだろう。先に貴族社会においてオペラを理解しない輩がどうこうと批判がましく言ったが、聴く耳を持ったパトロンや聞き手がいなければ今日に至るオペラの発展は無かったろうしオペラが芸術なのだと言える様な物には成り得なかったに違いない。聴衆は聞き手としての能力を問われてもいるのだ。娯楽として聴きに出掛けても、歌唱の中に潜む技巧や表現を、あるいは演出の中に潜むアイロニーを、指揮者が意図する情景を聴き分け見い出せるならより深く作品を楽しめるし、得るものも遥かに多いと感じる。それにはやはり努力と才能がいるのだ。

ところでそうして自分も含めた聴衆を考えた時に不思議な事に気が付く。その一つがオーケストラコンサートや器楽コンサートを聴く人達とオペラを聴く人達の間にある著しい乖離だ。オーケストラコンサートに通う人々と話をしていると某指揮者の演奏に付いて意見を述べるとき、その指揮者がオペラ指揮者として名を馳せているにも関わらず、オペラの指揮振りに付いてまったくと言っていい程言及しない事が多い。 例えば20世紀を代表するある指揮者を音楽ファンが語るのを聞いているとこの著しい乖離を強く感じる。なぜなら、その指揮者をほとんどの人達が交響曲や管弦楽や協奏曲の演奏の事ばかりで語るからだ。オペラを指揮するその指揮者を評価の中心に据える人が誰もいない。徹底的にその指揮者を嫌いでもその指揮者のオペラには一目置くと言うオペラファンが多いにも関わらず、つまりオペラ指揮者としては認めると言うオペラファンが多いにも関わらず、オーケストラコンサートに通う人々からはその様な意見をなかなか聞けない。 これは単にそうした意見を聞く機会が無いからだろうか。それとも我が国独特の現象なのだろうか。オーケストラコンサートは市民階級社会の台頭を象徴しオペラは貴族階級の物であり彼等は市民階級だからオペラハウスなどには足を運ばないのだと言う時代錯誤の亡霊に未だに操られているからだろうか。 この21世紀の今に、しかも先に述べた様に階級と言う概念がそもそも希薄な我が国において今時そんな事はあり得ないと思うが。

指揮者をオペラで評価しないと言う不思議はなぜ生まれるのだろう。断っておきたいのはチェリビダッケの様にオペラを振らない指揮者はその様な評価は必要ないし不思議でもなんでもない。オペラは西洋の文化でありわが国には根付いていないからだなどと言う一昔前の論評に意味があるとは思えない。海外の名だたるオペラハウスが引っ越し公演を行えば少なくとも低価格の席は飛ぶ様に売れるし、海外からの名だたるオペラハウスの引っ越し公演は引きも切らない。オペラも立派に市民権を得た娯楽であり、芸能であり、芸術である、とするなら指揮者をオペラの演奏で評価しない人達がいる不思議、そしてそれによって実感するオーケストラコンサート等のファンとオペラファンの間にある著しい乖離の理由が見当たらない。この二つは違った、まったく別の系統に属する音楽だと考える以外にどうも明確な回答が得られない。ハードロックと演歌の様に違ったものだと考えれば一応不思議さは解消する。

だけれども世の中にはハードロックも演歌も楽しんでいる人達が結構いる様に、交響曲や管弦楽、協奏曲、独奏曲を聴く一方オペラも聴く人達は星の数ほどいる。そして疑問は堂々巡りを始める。それならば何故著しい乖離を感じるのだろうかと疑問が空回りをし始めるのだ。所謂クラシック音楽ファンと言う括りの中にも多様な方向があり系統別に好きな曲がありオペラとオーケストラ曲は違うジャンルの音楽なのだとでも言うより思いつかない。深刻に考えなければ単に好みの問題だろうと結論が出せるかもしれない。ヴァーグナー何んぞ聞いても長く退屈なだけで寝くなってしまう。交響曲一曲の方がよほど魂を震わせてくれるのだと言う事かもしれない。オペラを聴かずに歌手を評価するのが間違いだとは言えないまでも、少なくとも一人の歌手を評価する時にリートだの有名なオペラアリアの断片だのを聴いただけで評するのは片手落ちだろう。その歌手が残した「成果」に対して片方の耳をふさぐ行為だと思う。やはり主役や重要な脇役、あるいはその他大勢の一人であっても、オペラハウスの舞台の上で示した成果に対して耳をふさぐ訳にはいかない。それは指揮者に対しても言える事だ。オペラファンの話を聞いていると指揮者をオペラで評価するのは自明の理だと語る。やはり一人の演奏家が行った成果はその全てを持って評価しなくてはいけない様に思う。ロマン派の時代、市民階級が表舞台に躍り出た時代にはオペラを作曲しない作曲家達が活躍した。ヴェルディやヴァーグナーの活躍と並行してオペラでは無い音楽が流れた。それはオペラとは一片の関係も無い音楽だったろうか。クラシック音楽の残した成果や遺産はオペラとその他の音楽では乖離していただろうか。ブルックナーの交響曲はオペラとは何の関連も無く乖離している音楽だろうか。ブラームスはどうであろうか。

それらを考えるとオペラとは何者なのだろうかと思う。オペラはベートーヴェン等に代表されるクラシック音楽では無いのだろうか。いや「ベートーヴェンに代表される」と言っただけでそれは間違えだと噛みつかれるかもしれないが、こうしてオペラとは何かと言う疑問など色々と答えの出なさそうな疑問を胸に歌劇場へ旅をしてみれば何かしらかの「答えの様な物」が見つかりそれを語る事が出来るかも知れない。フランスの作家スタンダールがミラノ・スカラ座で接した演奏の印象を書きとめる遥か以前から今日にいたるまでそうした語りは星の数ほどに上るに違いない。そのような演奏が行われる歌劇場をあてどなく彷徨い歩き、もたらされた思いを書き連ねる歌劇場への「旅」に出かける事にしよう。旅とはまさにあてどなく彷徨う事を言うのだとしたら「さすらい人」となって歌劇場をさすらう事にしよう。「道を踏み外した者」のごとくに。

取りとめもない前置きになってしまった。

さて、何処から旅を始めようか。遥かなる数千キロの彼方への歌劇場への旅を。

この文章は旅行案内や歌劇場の歴史案内ではない。思いつくままに言葉を紡いだ一片の随想の様な物だと理解して頂きたい。