ブレンデル その8

他のピアニストにも言える事ですが演奏以外の行動や公私どちらの場合でもその発言や個々の細部に捕らわれればやはりピアニストの姿を見失うのではないでしょうか。
ブレンデルは最終的には感性をよりどころとするピアニストです。 引退を表明しその通りに舞台から引いたこともピアニストとしては少数派の部類に入るでしょう。 弾けなくなるまでピアニストであり続ける演奏家が多い中で理性的に行動することも又、ブレンデルらしく、さもありなんと人々に印象付けてしまいました。 何かと誤解を与えるピアニストでありそうした生き方をしてしまう人でもあったのです。 知識と教養と冒頭で述べ、学研肌と言う形容をブレンデルにあてはめてしまいがちですが、そうではないと筆者自身、自らに向かっても繰り返し述べて来ました。
ブレンデルは誠実なピアニストなのです。 手掛けた全ての作曲家の楽曲に対して誠実な演奏を常にその心情として来たのです。 誠実であるがゆえにピアニストなら誰でも看板にしたくなり、又、何時でも手持ちにして携えるはずのショパンを敬遠するのです。 「ショパンの演奏をするならショパンの専門家にならなくてはならない」確かその様に述べて若い時点でショパンを弾かなくなりましたが(プライベートではどうか存じておりません)、それでさえもショパンが嫌いだとか、世間のピアノ音楽ファンはすぐにショパンばかり聴きたいと要求するから言う理由ばかりではないと思います。
ブレンデルは専門家として対峙しなければショパンに対して取りこぼしが出るだけだと考えたのではないでしょうか。 優れたピアニストはショパンだけが優秀ではありません。 綺羅星のごとく並ぶ偉大なピアニスト達はおよそショパンの専門家と位置づけられたピアニストなどよりよほど見事にショパンを弾いて聞かせてくれます。
しかし、生真面目なブレンデルはその様に思えなかったのです。 ショパンを取るか他の作曲家を取るか、生きるか死ぬかそれが問題だったのです。 ショパンの曲がどのように人気があろうが、どの様に見事な曲であろうが、ものの見事に自分しか見えていなかったショパンと言う名前の作曲家の曲への忠誠心よりも他の作曲家達の作品への忠誠心をブレンデルは選んだのです。 それは大変に素晴らしい決断でした。 でも、そんな決断などしなくてもリヒテルやホロヴィッツやレパートリの狭いミケランジェリでもそうですが、ショパンとその他の作曲家の「二足の草鞋」を履いても一向に差しさわりはなかったのですから、ブレンデルもそのように気楽に考えてくれれば良かったのにと思うのです。
いえいえ、およそ「気楽に」考えなかったのがブレンデルと言うピアニストです。 気楽に考えなかったからこそブレンデルの演奏があったのだと言うのは紛れもない事実です。あの時、楽友協会に響いた貴方のモーツァルトを筆者は決して忘れる事はありません。 何時までもお元気にお過ごしくださいますようにお祈りいたします。 深い感謝を込めて。
(8完)

シューベルト:ソナタ変ロ長調D.960第一楽章提示部繰り返しの部分。
5ページ目に現れるリピート記号。 ここから1の部分を演奏しリピートすると4ページ戻り一番最初から演奏し2を経て先に進む。 演奏時間は繰り返すと25%近く増える。 ブレンデルの演奏は繰り返しをしていない! ここはシューベルト自身も書き添えた部分でブレンデルはそれを反故にしている。 研究成果として飛ばしてしまったのではなく感覚的な、あるいは感情的な見解のようだ。 このようにブレンデルは学術的とは言い難い内容でも感性を大切にするピアニストなのだ。 シューベルトの演奏に触れ始めると切りが無くなるので文章外でブレンデルのシュ―ベルト演奏の一端を記載する。