マウリツィオ・ポリーニ その1(1942年1月〜、イタリア)

ポリーニの演奏とは指の間から流れ出る情念と、確かに精妙無垢、精緻で怜悧、清冽で澄んだタッチで構築された音楽との間に折り合いを付けようとする演奏だという事が出来ましょう。 情念対理性とも、情念と理性との対立の落としどころをどこにするのかのせめぎあいとも言えるかもしれません。

ショパンコンクールで一躍時の人になり、アルトゥール・ルビンシュタイン翁の一言が伝えられると、ポリーニと言うピアニストの演奏技術の、洗練され、精錬され、完璧に鍛え上げられた面が強調され噂話しとなり、伝説めいた事象として流布されるのは致し方がないのかもしれません。

ショパンコンクール後、直ちに国際的な演奏活動に就くこと無く隠棲したのは、間違いなく正しい判断だったと、後から思えば言えることです。 そのために付いた尾ひれ羽ひれが、拡大して「完璧な」ピアニストにさせられてしまったのは致し方が無いのだと思います。

山のあなたの空遠くのスヴャトスラフ・リヒテルと同様にポリーニを聴ける日が来るのだろうかと音楽好き達は待ったのです。 まだ、右のものか、左のものかもはっきりしない若いピアニストに対する期待は新人ピアニストにしては異例だったとも言えます。

そして、やっと日本の聴衆もポリーニに直に接する機会が訪れたのです。 並外れたテクニックと、それは完璧なと、ささやかれ、いえ、いささか大きな声で話され、冷たい表現、機械的な演奏と人々の口に上る若干の「批判」とも受け取れる評判と噂話しともに、人々はポリーニの演奏会に足を運んだのです。

ショパンコンクールの覇者であるからもちろん聴衆はショパンを期待し、当然プログラムはショパンが組まれての演奏会は前評判を裏書きするかの様なコントラストを見せる見事な演奏でした。

だけれどもポリーニがショパンの演奏に込めた情熱の脈動はほとんど聴衆の耳には届かなかったのです。 あまりにも精妙で精緻で指さばきの見事な演奏はテクニックばかりが先行しているように聴こえポリーニの情熱、そう、情念はどこかに雲隠れしてしまったかのようでした。 ポリーリも情熱を持った演奏をしているのです。 ポリーニの演奏の明晰さや推進力がそれを表現しているのです。 だけれどもおそらくは事前にもたらされた情報や噂話しから、情熱ではなくテクニックの見事さとみられてしまったのでしょう。 その完璧な、と言われる弾奏に圧倒され、ポリーニは理解されないままでありながら、偉大なピアニストへの道を歩むことになったのです。 ポリーニを理解するという事はまず初期の世界的に活動を始めたころの演奏に耳を傾けてみるところから始めるべきだと思うのです。

(つづく)

マウリツィオ・ポリーニ(Pf)