〜 ある昔話の寓話 〜
*これはフィクションです。特定の人物、あるいは団体を指すものではありません。
「AアンプとBアンプ」の比較はこうして何だか比較されているようで比較されないまま、読者に提供されます。 素晴らしい「文学的表現」が功を奏し、大多数の人達が納得して「立体音響誌」の今年のベスト推薦機種のあまりにも高額で手の出ないハイエンドオーディオに涎をたらし、勇気ある(蛮勇と言うのですが)少数の人々が購入を企てると言う事になります。
この様に文学が理論的で理論値こそが最優先されるはずのオーディオ評論に使われ始めて以来オーディオ機械はただ高価なだけで肝心の音楽に献身することのないただの箱に成り下がってしまったのです。 ロマンティックな文学的比喩が電子工学の発展に寄与することは無かったと言えます。
そしてあろうことか、日本のステレオ装置は「物理特性ばかり突き詰めているから、測定数値は非常に立派だが、そこに音楽が無い! 海外の装置はそこが違う。 人間が聴く装置として音楽を聞かせてくれるし心がある」などと文学表現全開の「言い訳」をして舶来品称賛に走り、特定の利益団体に肩入れして壮大な利益をものにしようとするのです。
オーディオを文学で捉え、表現し、語るのは誠に諸刃の剣であるとよくよく考えて欲しいのです。 作家先生も教師先生もとっくの昔にこの世の人ではなくなったのですが、未だに文学だけは生き残って、実は何も評価していないのに一読してみると何だか分かったような気にさせられる文章ばかりが踊っています。 心してかからないとなりません。
今に連綿と続く昔々のお話でした。