第3回「ドレスデン国立歌劇場(ゼンパーオーパー)」

kz_03_01.jpg - 28,328BYTES ドレスデン国立歌劇場の天井シャンデリア

ドレスデン国立歌劇場はその設計者ゴットフリート・ゼンパーにちなんでゼンパーオーパーと呼ばれる。設計者の名前が通称になっている歌劇場は他にはパリオペラ座のガルニエ宮がある。いずれも建物が特徴的でいかに見事であるかを表す事柄だ。ドレスデン国立歌劇場への旅はその偉大な歌劇場の建物に捕らわれて始まった。

近代の戦争がいかに理不尽で残酷なものであるかは我が国の東京大空襲や原爆投下の広島、長崎で嫌と言うほど教えられる。非戦闘員を情け容赦なく殺戮する近代の戦争は悪魔の所業にも劣る行為であろう。そして戦争に負ければその理不尽さを口に出す事さえも許されなくなるのだ。ドレスデンも又、そうした尊い犠牲の上に先の大戦を過して来た街である。この街も幾万の人々が雨あられと落とされた爆弾や焼夷弾の犠牲になった。もちろん犠牲になったのは人々ばかりではなかった。歴史的な建物、教会や宮殿、そして歌劇場も壊滅的な被害を被った。エルベ川を望むブリュールのテラスに連なるそれらの建物は全て灰塵に帰したと言って良かった。

このザクセンの地にある国立歌劇場の事を思う時、人はなぜ失ったものに執着するのだろうかと言う思いがいつも湧き上がる。この歌劇場が昔ながらの姿で再建された建物だと知った時は驚きを禁じ得なかった。その様に恐ろしく手間のかかる、そして膨大な資金を必要とする行為を、経済的な見返りを考えずに実行する執着心は何処から来るのだろうか。そうした執着心の中にはこのドレスデンに限って言えば、あまりにも悲惨で理不尽な空爆の犠牲に対する怒りや抗議の気持ちを無言の内に表す意味合いも含まれている様に思う。もしかしたらその意味合いが一番であるかもしれない。昔の姿のままになされる再建は単にオペラハウスが必要であるから近代的な新設計の歌劇場を造るのだと言う事とはまったく意味が違うのだと思える。

ところで経済的な見返りを求めずに歌劇場を再建するのが戦争と言う不条理に対する怒りや抗議であったにしても再建資金を良く捻出したものだと感心する。そう考えてはたと気が付く事は当時の国家体制が資金を捻出するのに丁度良かったからではないかと言う事だ。共産主義と言う悲劇的思想のもとにこの街もあったのだ。経済的な見返りは考えなくて良いのなら後は成し遂げる意志があるやなしやの一点だけが問題となる。勿論政治体制の主義主張がどの様に違っていても再建が人々の望む事である限り、そして資金に目処が付く限りなされる事ではあろう。現に直ぐ近くの聖母教会はドイツ統一後に熱心な人々の資金調達運動と寄付金、イギリスも含む協力の成果として再生がなされており別段共産主義だから復興が叶ったと言うのは早計ではある。ゼンパーオーパーが再生された当時は偶然共産主義体制下にあったと言えるかもしれない。いずれにせよ損得を抜きにしなければ成し遂げられない様な成果を得られたのはこの世の奇跡であるとさえ思えて来る。

しかも、成し遂げる意志も相当に強靭でなければこれほどの事業を遂行する事は不可能であったろう。又、経済的負担、再建資金は共産主義であっても必要だ。それやこれやを思う時人間の執念とは何なんだろうかと考える。失われた物に対する執拗な思い。失われた物を取り戻そうとする執念。人間はある時途方もない熱意と、いや狂気と言っても良いかもしれない、持てる力を注ぎこもうとする。それはまるでけして戻る事の無い時間と言う物に対するあきらめきれない情念の様なものであろうか。取り戻す事の出来ない時間が相手だからこそ、せめてもの思いを込めて物に執着し、取り戻そうとするのだろうか。歌劇場とはそれほどまでの物なのだろうか。確かにそれほどの物なのだ。いや、少なくともオペラに魅入られた人々にとってはそうである事は分かるがオペラを嗜まない人々にとってはどうであろうか。それは今少し後に考える事にしよう。

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斜め正面からのゼンパーオーパー

この歌劇場の前にたたずむとそこで上演されるオペラそのものよりも昔の在りし日の姿そのままに再建されたと言う歌劇場の姿形、その事に心が行ってしまう。それは圧倒される光景だ。他の歌劇場の様な親しみ易さをあまり感じないのは再建されたと言う事実に囚われてしまっているからにしても、ゼンパー氏の作った歌劇場の外観は圧倒的だ。ザクセンの誇りと権威を感じる。その再建は外装だけではなく内装の細部に至るまで及んでおり、緑の大理石の色合いにまで気を使ったそうだが、そうした話を聞くとオペラそのものの上演で圧倒される前に歌劇場の建物そのものに圧倒されてしまい、つつましやかにオペラを観劇しようと言う気分にはとてもなれない。この歌劇場で建物に負けない威力を持った演目と言えば恐らくリヒャルト・ヴァーグナーの楽劇以外にはないのではないかと、そんなことはけしてないのだが、思ってしまいそうになる。その威風堂々とした再建された建物の姿からいやが応でもそう思ってしまうのであり、ヴァーグナーが音楽監督を務めた史実とそのオペラ初演の栄誉を担うと言う建物に負けない歴史と伝統を背後に持っているからかもしれない。そう言った意味ではヴェルディの作品の初演の栄誉を担うミラノ・スカラ座と双璧ではないかと思ってしまうし事実伝統と言う物はそう言う物なのだ。

そんな思い込みとは別にここの歌劇場オーケストラの音は又格別の趣がある。最上階の席で聞くと分厚い豊かな響きがオーケストラボックスから舞い上がって来る。一階席で聞けば舞い降りて来る。その音を聴くだけでもこの歌劇場に来た価値があると言うものだ。

この音を聴いているだけで強くオーケストラの音にさえ伝統と格式がある事を思い知らされる。それはそうだろう。この歌劇場のオーケストラの歴史は尋常ならざる年月を持っているのだ。1548年に創立されたオーケストラなのだ。年月が長いと言うだけで何の価値があるのかと言う人がいたら誠に残念な思いに駆られる。500年に近い年月である。この伝統があるから再建も成し得たのではないかと思いさえする。こうした伝統や格式と言う物を軽んじる傾向が今、世界を徐々に蝕んでいると感じるのは私だけだろうか。中には悪しき伝統、格式も無いと言わないが、歴史を、伝統を、格式を軽んじるのは自らの存在を軽んじるのと同じ事だとは気が付かないのだろうか。

そうして、伝統の音に聴き入っていると幸福な気持ちになる。いささか残念な事は一階席では聴く場所によって多少音に優劣が生じそれが他の歌劇場よりはなぜかはっきり分かる事だがそれも些細な事であろう。どこのオペラハウスでも良い席とあまり良く無い席はあるものだ。

やはりこの歌劇場でヴァーグナーを聴くのは特別な体験の様な気がする。特別な体験をしたければバイロイトに行くがよいと人は言うかもしれないし、バイロイトでなければならない理由もあるかもしれないが、ヴァーグナーのヴァーグナーによるヴァーグナーの為の劇場よりこうした普通のオペラハウスで、何処が普通かと言われそうだが、行われる上演の方がしっくり来るような気がする。スカラ座でヴェルディを聴くのは無上の幸せであるのと同様に、ゼンパーオーパーでR・ヴァーグナーを聴くのは又、無上の喜びであろう。

この歌劇場にはカルル・マリア・フォン・ウェーバーのころよりドイツオペラの伝統が活きずいている。ドイツオペラ。今でこそモーツァルトの「魔笛」の様にドイツ語のジングルシュピールなどは無上の価値ある宝物として認めないものはいないが、オペラはイタリアと言う通念が幅を利かせていた時代にドイツのオペラ、取り分けてもドイツ語のオペラは二番煎じに甘んじていた。ウェーバーは彼の有名な「魔弾の射手」でドイツ語のオペラを高みに押し上げたのは音楽ファンなら周知の事実である。ドレスデンにはその伝統がありそれはヴァーグナーへ続き現在に引き継がれる偉大な伝統である。

伝統の中に浸り、舞い上がり舞い降りる音楽に身をゆだねているとこの歌劇場が再建された新しい建築物ではなく遥か昔からここにあった歌劇場だと言う確信にも似た気持ちが湧きおこって来る。それこそが伝統と言う目に見えないが、しかし、如実にそこにある力のなせる技であろう。先の大戦の破壊にも、近頃の運営資金の欠乏にも、2002年に欧州の各地を襲った大洪水でエルベ川が氾濫し水浸しになった苦難も乗り越えて、今日も幕を開けるゼンパーオーパーに不屈の姿を見、オペラ観劇の為に足を運ぶ喜びは格別のものでもある。それは大げさに言うのなら本来は失われるはずであったものとの邂逅であり、永遠との結託である。ゼンパーオーパーに足を運ぶ事によってまるで失われた時を取り返したかの様な思いに浸り、響き渡るウェーバーやヴァーグナーに魂が奪われ、人生が変わってしまう思いに囚われながらイゾルデが死する瞬間を我がことの様の感じ、陶酔に浸りながら時を過す事となるのだ。

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見事に再建された大理石の緑の柱。これだけでも国家予算の一部が吹っ飛んだろう。

良くザクセン人は冷たく理知的であり情緒に欠けるのだと言われる。なるほどゼンパーオーパーから感じ取れる雰囲気には確かにそう言われればそうだと思われる物がある。設計者のゼンパーがザクセンの生まれでは無いにしてもザクセンの地の雰囲気は確かに表れている。そうしたザクセンの地の雰囲気故だろうか、まるで再建はとめどない情熱や心の叫びからなされたのではなく決められた計画に則って淡々となされて行った様な雰囲気を感じる。私達日本人にはもとより生まれ育った街に歌劇場があり幼い時から遊び場の背景にあった様な環境は無いからピンと来ないかもしれないが、幼い物心の付いた頃から、このゼンパーの様な堂々とした歌劇場が身じかある市民の生活は、私達日本人の身じかに何時も桜の木があるのと変わらないのかもしれない。

オペラを嗜まない人達、かつては階級と言う壁のある時代を過ごした当時の人達にとっても歌劇場の建物の存在は桜の木や木造建ての懐かしい校舎の様に見慣れた風景であったろう。オペラを嗜まない人々にとっても大戦で失われた、歌劇場を、教会を、歴史的な建物を再び取り戻す事は当然の事では無かったか。一つには奪われた物に対する言い様のない悔しさが再建の原動力になったのではなかったか。オペラを嗜むとか嗜まないとか歌劇場や教会は自分が行くべき場所で無く、関係が無いと思う人達がいるとかいないとかの問題では無く、あるべき物をあるべき所に戻そうと言うだけの事なのだろう。そうであるからこそ淡々と物事を進めて行くのだろう。ことさらザクセン人の気質が影響しているなどと考えなくても良いかもしれない。完成の暁には日常が帰って来る。何時もの日々が帰って来ると言うだけの事で、格別何かが降臨する訳ではないとドレスデンの市民達は感じていたのかもしれない。

再建によって歌劇場を取り戻す事をオペラを嗜まない人々はどう思ったのだろうかと先に書いたが、ドレスデンの市民達全体にとっても歌劇場の建物があることは格別な事とは感じない日常であったのではないかと想像してみればいつもの所にあるべき建物があるだけの平凡な日々がかえって来たと言う事にしか過ぎないのかもしれない。むろん歌劇場の再生に異を唱えた人々も沢山いただろう事は想像に難くない。こんなものより今日のパンをと叫んだ人々がおり、同じ資金を投入するのならもっと近代的な物をと、あるいはもっと役に立つものを叫んだ人々がいたのは当然であったろう。どの方向に物事が向かうのかは時の運かもしれない。幸運な事に、と異国のオペラ愛好家は勝手に思うのだが、幸運な事にこの素晴らしい歌劇場はかつての姿を取り戻して今日ここにある。再建されてしまえばドレスデンの市民達に、また、オペラを嗜まない市民達にも、戦前の日常の街の姿が戻って来たと言う事になろう。ただそれだけの事だと言ってしまおう。

何時もの日常。歌劇場の旅をしていて思うのは、歌劇場が日常の風景の一部と言う我々日本人には無い感覚を持った人々の日常とはどんなものなのだろうかと言う想いであったが、近くに寄席があるのが日常であった人々とあまり差は無いのかもしれない。ただ異国の一音楽ファンはその劇場の運営規模の大きさや建物そのものの荘厳さに圧倒されてまったく違った様に感じてしまう。なるほど権力と芸術との相互作用はこの様に何かどこかしらに大仰さを持った装置を作らしめてしまうのだと感心してしまうのだ。

装置と言ったが欧州の歌劇場はある意味では教会が神の信仰をあおり立てる、悪く言えば洗脳装置の様な物である様に何らかの装置であったと言えるかもしれない。何の装置かはこの歌劇場への旅で繰り返し述べて行くことになろう。権力保持、権力と社交の場としてのバックグラウンドミュージック付きの芝居小屋としての機能を持った装置である。パリのオペラ座でもバスティーユの新しい方やベルリンドイツオペラなどの近代的なオペラハウスはどの席からでも舞台をほぼ見渡せるように設計されており客席の配置も観劇に適している。もちろん音響工学上でも十分満足のいく結果が出されている。

こうしたR・ヴァーグナーが起草したバイロイトの祝祭劇場に見られる本来の目的、オペラの観劇だけを目的とした劇場の構造の合理性と比較したとき伝統的なオペラハウスの馬蹄形の客席に疑問を持たれる方は多いはずだ。舞台が見えにくい、いや見えにくいどころか舞台の半分も見えない、音がどうも納得できない、なぜ舞台に向かって横向きに座るロージェの様な席が特等席なのか、今こそ違うが平土間の席は昔は下のランクの席だったらしいなどなどの思いが浮かぶ。そこにかつての歌劇場が抱えていた目的の一端が垣間見える。社交場という当時としては最も重要な歌劇場の役目が見えるのだ。なぜロージェなのかと言えばなんのことはない、劇場の空間を挟んだ対岸の向かい合わせに顔見知りの誰それ閣下夫人が本日は噂の宝石を身に着けてお出ましするのが見えるように、本日はどこの何伯爵が観劇に来ているかが分かる様に馬蹄形のあのような形になったのだ。それから個室として気兼ね無く過ごせる空間も重要なものであった。それらしい事を体験したと言えばヴィーン国立歌劇場に出掛けて行った時に、偶然ホテルで知りあった人と歌劇場内で又会ったのだが、私の陣取るロージェの席の階数を聞いてその人は面白い事を私にやってくれと言ったのには思わず微笑んでしまった。丁度対岸のロージェがその人の席だったのだが、お互いに姿が見えたら手を振ってくれと言うのだ。地元のオペラに通い詰めている人達は歌劇場で顔見知りの人が対岸に居ればそうやって挨拶をすると聞いたので自分も体験してみたいとの希望だった。勿論私も楽く手を振らさせて貰った。成程この様にかつての人々は、いや現在でも人々は歌劇場の構造をこの様に利用して社交の場を大いに盛り上げたのだと納得した。それはそれで楽しい事であろうが、こればかりが主要で大事な事項であったと思われるかつての歌劇場の有り様を思うと、いやはや肝心のオペラなどどうでもよかったのかもしれないといささか残念に思えてしまう。どうでも良かった訳ではないが、多くの人対にとっては第一義ではなかったのだと想像する。ギリシアの理念を復活させるなどという初期の崇高ではあるが世迷い事を主張する愚か者などいなかったのだ。そう、R・ヴァーグナーまでは。

ここで私は当時の聴衆のあり方を批判している訳ではない。江戸時代に流行った歌舞伎も常連客や所謂目利きの人々の鋭く厳しい批判の目にさらされて発展し精査されて来たように、オペラもそうした鋭い目を持った人々の目にさらされて今日の様に成熟して行ったのだから、社交場としてだけ成りたった様な言いか方は不適切かもしれない。そうしたその時代時代で受け継がれて来たものが現在の様な形にまとまりを見せているのだからそうした過去の在り様を現代の私が批判しても意味のないことであろう。

バロック時代のオペラ作品がかなり復活上演される時代になった。ヘンデル、ヴィヴァルディ、リュリ、モンデベルディなどの素晴らしい作品が並ぶ。そうした幾多の作品群があればこそベルクとかブリテンなどが作品を生み出せるのだし、私達もこのゼンパーオーパの様な、ここではあえて言うが、素晴らしい「建物の歌劇場」の席に座りオペラを楽しめるのだ。ゼンパーオーパーを再生しよとした人々がせっかくだからもっと音響の良い観劇しやすい席のために大幅な改正を行い、新設計を取り入れようなどとは夢にも思わなかったのは当然であろうし、それが伝統というものだ。ここでも勿論と言う言葉を使わざるを得ないが、新しい設計思想を入れようと考えた人は必ずいただろうし議論はされただろうが、それより失われた物を取り戻したいのだという思いの方が遥かに強かったのだろう。だから夢にも思わなかったろうしと断定的な言い方をしたのだ。ただ失われた物を取り戻すための思いと努力。伝統とは取り戻すに値するものだということなのだ。そう確信されたときに「装置」と言った先の言葉がその意味を失い、機能するものではなく「魂」を宿すものになるのだと思い至る。歌劇場が人の心とつながり、権力と芸術との結託などではなく、魂と芸術との結合へと浄化されるのだ。畏怖の念さえ懐かせるザクセン国立歌劇場のゼンパー氏が創り上げた建物においても、今日私達はただひたすらにそこで上演されるオペラを楽しみ魂を鼓舞され、あるいは癒され、感動に我が身をゆだねられるのも先人達の指しめした道の上にいるからだと知るのだ。

ところでヴァーグナーが起草したバイロイト祝祭劇場のと言ったが、じつはあのバイロイトのそもそもの原案はゴットフリート・ゼンパーによるものだとの噂話はたえない。成程ヴァーグナーがどれ程の才能を持っていようとも建築物にまで造詣の深い才能を発揮するはかなり難しいからバイロイトもゼンパーの案に寄っていると素直に思えるがどうだろうか。

イタリアオペラだとかドイツオペラだとか区分けして聞いたり考えたりする習慣のない私はオペラは作曲家単位で考えるけれど、ゼンパーオーパーに居る時はドイツオペラと言う伝統の力を感じる。奇跡の様な復興も上演される演目も長い歴史の積み重ねの上にあり、歩んで来た道の延長線上にあるのだと改めて思いいたる。それは何もゼンパーオーパだけではないのは勿論だが、何か鼓舞される様な気持ちにさせられるのはここだけの様な気がする。

アウグスト強王の伝統が生きているからだろうか。この剛腕を持って知られる王の力が今でも及んでいるのだろうか。その王の剛腕の伝統があるからあり日しの姿に歌劇場が復活を遂げ、その剛腕を持ってする王にいまだに我々は鼓舞されているのだろうか。鼓舞されるとともに芸術作品にも造詣が深く、愛し収集した王の威光が現在の歌劇場にまで及んでいるのだろうか。ザクセンの地を訪れて強王の成したある意味で言えば怜悧な気風を肌で感じると伝統は生きているのだと思える。

それにも関らずこの歌劇場はあのヴィーン的なるオペラ「薔薇の騎士」が初演された事でも知られる。およそ剛腕たる王の統治した歴史を抱え持つザクセンの地で、先に言った様に理知的で情緒に欠ける様に思えるザクセンの地で初演を迎えるにこれほど相応しからざるオペラも無いのではないか。それなのに仕立て列車さえ用意されて観劇の途に付いた人々のなんと多かった事か。ただただ、出し物に魅力があったからだけと割り切って考えればあまり思い悩む事は無いのだ。ドイツオペラと言う錦の御旗が降られていたからだと言う事もあるだろうか。アウグスト王の剛腕はドイツ的なるものへの回帰を後の時代においても影響させるほどのものだといささか大げさにではあるが、端的にそう感じる。

多分、「薔薇の騎士」のヴィーン的なものも広く解釈すればドイツ的なるものの一部と言えるのかもしれない。限りなくモーツァルトに近く、モーツァルトに捧げるオマージュの様なオペラ「薔薇の騎士」は成る程モーツァルトの「魔笛」に連なるドイツ的なるものの連綿とした流れの延長線上に位置するドイツの伝統のオペラなのだ。先に相応しからざると言っておきながら、その口の根も乾かない内にドイツの伝統のオペラなのだと無節操に言うのをお許し頂きたい。もっともR・シュトラウスの作品に付いて言うなら、前衛的なサロメやエラクトラも含む多くのシュトラウス作品がここで初演されており、相応しからざる「薔薇の騎士」も当然の事としてここゼンパーオーパーで初演されたのだと考えて見ればドイツオペラがどうのこうの言う前にただそれだけの事であるのかもしれない。ドレスデン国立歌劇場にはこの様に途方もない歴史がうずもれているのだ。ウェーバーやR・ヴァーグナーだけではむろん無いのだ。

そして歴史の中に登場する偉大な指揮者達、フリッツ・ライナーやヨゼフ・カイルベルト、カール・ベームと言った人達がここの歴史を作り上げ、舞台に立った数々の歌手達の放つ輝きに圧倒されてしまう。その歴史の一翼を担う我が日本人指揮者が登場しさえした。

それが若杉弘である。非常に残念に思うのは今は亡き若杉弘がここの音楽監督に今一歩まで行きながらなれなかった事だ。同じ日本人としての思い入れも勿論あるけれど、若杉がここの音楽監督としての経験を積めば、その歴史や伝統を思う存分吸収していれば、我が国にとってはこれ以上ない財産となったであろうと思うからだ。誠に残念でならない。若杉は歌劇場と言う策謀を巡らす魔宮を渡り歩く術を学んでいただろうに今一歩長けていなかったのだ。持っている音楽の素晴らしさや才能だけではどうにも出来ないのだ。非常に残念である。理不尽ではあるが致し方の無い事でもある。コンクールで優勝した様な優れた若手がいつの間にか消えてしまう事が良くある。音楽が素晴らしければ良いと言う訳にはいかない。政治力とでも言ったものが必要になる。本来であればそれではいけない事だと思うが人の世の常とはこう言う物なのだ。いかにも分かった様な言い方をしてしまったが、私はあまり納得していない。

納得出来ない事が他にもある。それは新しい橋の建設だ。歌劇場も聖母教会も歴史的建築物を次々に再生しこれ程の復興事業を成し遂げたドレスデンと言う街が、世界遺産の登録を抹消されてまでエルベ川に新しい橋を建設する事にした。これはどうした事だろうか。

ゼンパーオーパーの復活に感動したと言うのに、この街はその素晴らしい偉業に泥でも塗ろうと言うのだろうか。ただ世界遺産の登録を抹消されるだけでそれがいったいどうしたと言うのだと考える向きもあるかもしれないが、あれ程の疫災を乗り越えて再生した街並みに与えられた栄誉ではないか。栄誉など腹の足しにもならないと本気で思っているなら、焼夷弾により生きながらに焼き殺された人々の事を忘れた事になりはしないか!歌劇場を語るのに新しい橋の話は関係ないと言われるかもしれないが関連がある様な気がして仕方が無い。ドレスデンはオペラとは直接つながらないがヨハン・セバスティアン・バッハも訪れた街だ。彼はこの街で活躍したヤン・ディスマス・ゼレンカと言う作曲家を高く評価していた。ウェーバーやヴァーグナーに代表されるオペラだけではなく、この様にドレスデンと言う街は何度も言うかもしれないが、音楽において比類ない歴史と伝統と栄誉を持っている。その様な街が、ヨーロッパのバルコニーとゲーテが評した風景を台無しにしてまでなぜ新しい橋を架けると言うのだろう。

それは共産主義に勝利した資本主義ゆえの情けない事情によるのではないかと思える。もっと端的に言えば「拝金主義」が勝利したと言ってよい。お金の為なら何でも許されると言う訳だ。効率よく新旧市街地を結び経済的に有利なように、要するに便利で儲かる様にしたいと言う訳だ。便利になるのだ、儲かるのだ、何が悪いと言う事だろう。だから儲からず、それどこらか一文の得にもならず、かえって損をしている歌劇場などと言う物に助成金を出すなど持っての他だと言う論調が平然と声高に叫ばれる。新しい橋の様に「経済効果」が認められる物以外の金にならない物は伝統だろうが、なんだろうが切り捨てるべきだと頭の痛くなる様な愚かな意見が実行される!市民は利便性と経済効果に目がくらみ賛成票を投じたのだ。あまり批判は出来ないかもしれない。今や我々日本人もまったく同じでお金と利便性の為なら同じ様に賛成票を投じるであろう。

今、世界中の歌劇場が蝕まれているその病原菌はここドレスデンでも猛威を奮い、世界遺産と言う名誉を捨て去り、ゼンパーオーパーを蘇らせた気高い精神を捨て去り、拝金主義に迎合して歌劇場の予算をガリガリと削り取って見せるのだ。情けない!の一言だ!生きる為にパンが必要なのは分かる。豊かな暮らしを実現させる為にお金が必要なのも分かる。一部の人々の娯楽や芸術であるオペラに予算をつぎ込むのはどうだろうかと言う意見も分からない訳ではない。だがやはり人はパンのみにて生きるにあらずではないか!幾万の、いや事によると幾十万の人々の犠牲と失われた日常を取り戻すのだとの気概が歌劇場や聖母教会やツヴィンガー宮殿を蘇らせたのではないか。新しい橋の建設を世界遺産との天秤にかける精神的な貧しさが、ドレスデンにも押し寄せているのかと暗い気持ちになる。

歌劇場は、オペラを嗜む人達だけのものではない。日常の風景で語った様に嗜まぬ人々にとってもそれは有ってしかるべきものなのだ。これも何度も言う事だがそれが積み重ねられた歴史であり伝統と言う物ではないか。美しい街並みもそうして営々と築かれて来たのではなかったか。それは他ではけして補えない宝物ではないか。

世界遺産登録抹消はエルベ渓谷と言う20キロに及ぶ全体的な物の抹消であり、利便性を求めた市民の直接投票によって橋は必要と決定されたと言う。新しい橋はブリュールのテラスの直ぐ脇に架けられる訳では勿論無いし、確かに直接ゼンパーオーパーや聖母教会やブリュールのテラスが否定されたとは受け取れない。だけれども他国の一オペラファンが現地の人々の生活にしのごの言う事は出来ないかもしれないがそうした話を聞くと非常に寂しい気持ちになる。渓谷全体が抹消されるのでありゼンパーや教会や宮殿が否定された訳では無いと思っているとしたら大いなる間違いだ。世界遺産登録が絶対的な価値を保証し確証をもたらす物では無いと言う言い分も分からない訳ではないが、それは自らの価値を過つ事である。気高い精神が資本主義に負けたのだ。この世の習いであっても納得は出来ない。

世界規模で経済の停滞が日増しに強くなりつつある現在において歌劇場運営資金がいかに国や地方自治体の財政を圧迫しているのか、それに伴い満足な助成金を運営に必要とするだけたっぷりと得る事が出来無いことは分かっている。だが、世界遺産登録抹消の不名誉をかぶってまでして経済効率化への道を選ぶ必然性が感じられない。世界遺産には微々たるものであろうともそれなりの名誉の他に経済支援が得られるはずだ。微々たる支援より濡れ手に粟の経済効率至上主義、橋の建設が優先されるとドレスデン市民は踏んだのだ。他国の歌劇場がある一都市の有り様を非難することなど出来はしないがこれは現在と言う時代が抱える病魔ではないかと思う。ドレスデン国立歌劇場の今ある数々の難儀は他人事ではないのだ。私達は今、解決への道筋を見出さないと取り返しのつかない所まで来ている事をもっと認識すべきかもしれない。

さながら迷宮の如きに感じるツヴィンガー宮殿を彷徨い、アルテ・マイスターでラファエロの有名なシスティーナの聖母を、それは思ったより大きな絵だが、見たり伊万里の逸品が並ぶ陶磁器のコレクションを眺めたりしながらも想いはふとゼンパーオーパーに戻ってしまう。特にシスティーナの聖母の大戦中の受難はそのまま歌劇場の受難と重なってしまう。歴史を振り返ればゼンパーオーパーは1841年の完成の後、1869年に火災で焼失し2年後に最初の設計図に基づいて再建されているのだ。歴史と言うものはなんと残酷なのだろうかと思う。大戦で失われただけではなかったのだ。失われたものに対する執着、それはどこから来るのかと改めて想いさえした。いやはや、どこの歌劇場でも受難はあるだろうし、受難は何もドレスデンに限った事ではないが、たび重なる悲劇を聞き知るとため息をつきたくなる。オペラの中の悲劇より尚、悲劇的な出来事をそれでも沈む心を叱咤して現実の歌劇場の悲劇も楽しいものだと思えば良いのだろうか。悲劇も喜劇にしてしまう逞しさが必要だろうか。

記念に絵ハガキでも買おうと思い眺めていると、洪水で水の中に浮かぶ歌劇場の航空写真の絵ハガキがあるではないか!商魂逞しいと笑えば良いのだろうか。洪水と言う受難を忘れない様にと言うメッセージと受け取れば良いのだろうか。およそ「日本人」のと相対化してしまうのがまずければ、「私」のメンタリティーにはそぐわなさそうな絵ハガキを眺めながら、その度に蘇る、いや幸いな事に蘇る事が出来た幸運なゼンパーオーパーの事を思う。ゴットフリート・ゼンパー氏が残した歌劇場の建屋に感情移入するのはどうかと思うが、他の歌劇場に比べてことさらに建物の事が気になるのはなぜだろうか。数奇な運命に見舞われた歌劇場の物語がそうさせるのかもしれないし荘厳なデザインに圧倒されるからかもしれないし、何度も言うが大戦の悲劇に捕らわれているからかもしれない。

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上階よりオーケストラボックスを見降ろす。どこの歌劇場もこうした風景が見られる。

黄色い車体の市電に乗りゼンパーオーパーに出掛ける。どこに行っても欧州の都市は市電が走り回り便利な事この上ない。途中で降りて有名な名所旧跡を眺めながら歌劇場へそぞろ歩く。ドレスデンの街は歌劇場でオペラを楽しむ前に風景がオペラの前菜の様に用意されているのではないかと錯覚する。他の歌劇場以上に周辺の風景が歌劇場を讃えている様に感じる。それは単なる私の思い込みにしか過ぎないが、このザクセンの地で私は永遠とは何かを少しばかり理解した様な気になった。永遠とは指さして示せるものではないと言う事だけは理解した。ドレスデン国立歌劇場は永遠を思わせてくれなくもない。

建物に圧倒され、それはそのままドレスデン国立歌劇場の印象となって心に深く沈澱して行った。ザクセンの地が醸し出す雰囲気もあるのだろうが、華やかで浮き立つような気持になれなかった。オペラの出し物を楽しんでいる時は勿論そんな事は無いのだが、バロックの壮麗な、だが暗い雰囲気を覆い隠せない宮殿の様に何かが心には引っ掛かった。行き交う市電が黄色い本来は華やかであるはずの車体であるのに、市電を見ていても何かが重くのしかかって来るようだ。オペラがはねて帰路に就いた時も何か照明がやけにうす暗く感じて仕方がなかった。修復した教会などの建物がそれらしくライトアップされているのにその照明も何か華やかな明るさとは思えなかった。物理的に照明の光量が少ないのだろうか。華やかに街を照らし出す日本の街並みとは照明のあり方が違うのは確かに分かる。だがドレスデンを訪れた他の人達はこうした感じを持っただろうか。壮麗な建物が夜のしじまの中では不気味に見えるからだろうか。街そのものがラテン的な華やかさから無縁だからだろうか。だがそれとて単に私の感じ方がそうであるだけのはずだ。

そぞろ歩いてやがて私はゼンパーオーパーの前に佇み白黒のフィルムで見た破壊の後を思い出しながら、人間がいかに愚かであるかを、だけれどもこの様な素晴らしい歌劇場を創る事もする優れた精神も待つ何ともアンヴィバレントな存在でもある事に目眩を覚えた。この歌劇場でも当たり前の様にオペラを観劇し感動し、十分に楽しむ事が出来た。それはどこの歌劇場でも変わらない当たり前の事なのだが、オペラがはねた後、帰路に就く時ふと振り返ってゼンパーを見ると、よくぞここまでと歌劇場の建物自体に対する感慨が湧き上がって来る。いや他ならぬミラノ・スカラ座やヴィーン国立歌劇場などの多くの歌劇場が先の大戦で破壊されながら再建されたのは同じだが、なぜかゼンパーオーパーにはさらなる特別の感慨が湧き上がる。それはなぜだろうか。

そして私は思い至ったのだ。幾万の人々が犠牲になった大空襲を。それは翻って我が国における東京大空襲、広島、長崎における原爆投下の許しがたく筆舌に尽くしがたい怒りを覚える愚かな行為と重なるからだと気が付いたのだ。あまりにも計画的かつ残忍にまるでゲームの様に波乗攻撃を行い破壊された遠い西洋の都市と我が祖国の都市が重なって見えるからだ。戦争はどちらが悪いと言う物ではないと言うかもしれない。だけれども当時の連合国側が戦争末期の絶対的に優位な立場から殺戮を行えばそれは「悪魔」の行為でしかない。

私は再びゼンパーオーパーの席に座った時にそうした怒りに似た感情を捨てなければと思った。この様に素晴らしい歌劇場の椅子に腰をおろしオペラを観劇出来る今を思いその幸せを噛みしめる事こそが大切な事であると気が付いたからだ。もう二度とあのように愚かな事は起こらないと信じたいからだ。

イタリアのヴェネチアにはフェニーチェ劇場と言う素晴らしい劇場がある。ここは大戦の為ではないにしろ何度も不運な目にあっているがその度に蘇った。フェニーチェとは不死鳥の事だ。ゼンパーオーパーを見る度に私はここがドイツにおけるフェニーチェ劇場だと思える。不死鳥こそ永遠につながるイメージを持つものだ。奇跡はこのドレスデン国立歌劇場をかつての栄光の姿そのままに再現させてくれた。そこでオペラを観劇する幸せを味わう事が出来るのも又、奇跡の様なものだと思う。

旅の途中で出会ったのは奇跡の歌劇場だ。ドレスデン国立歌劇場だ。ここの椅子に座ると言う事は奇跡と巡り合う旅をする事を象徴する事なのだ。旅する全ての歌劇場が存在することが奇跡の様なものである事を代表し象徴する歌劇場なのだ。