グルダ その2
しかし、あの素晴らしく躍動的で生き生きとしたベートーヴェンのソナタの演奏を聴くに至っては、取るに足りないどころか、曲によっては他の偉大なピアニスト達、ベートーヴェンのソナタの見事な弾き手達を超えていると思いたくなる様な演奏を聴くに至って私たちは黙らざるを得ないと言ったら大げさで過大評価に過ぎるでしょうか? グルダが何を言おうと黙って聞き流し、私達はベートーヴェンのソナタの演奏に浸っていれば問題は無いと無視を決め込めばよいのでしょうか?
ところがそうはいかないのです。 「私を50回もピアノリサイタルに閉じ込めてしまえば私は生きては行けない。」とグルダは言うのです。この場合のピアノリサイタルとはもちろんベートーヴェンも含めたクラシック音楽のピアノ演奏会の事です。
先に言いましたようにグルダはジャズの世界こそ現代の音楽の真の有り様だと主張しているのです。 ジャズ、すなわち即興演奏(インプロビゼーション)こそ音楽の正しい姿だと言う訳です。 ウィーンと言う伝統にどっぷり浸かり、嫌気がさしたとは言いながら、歴史も音楽の有り様も全てを承知しているはずのグルダが実に見事に即興演奏を捕らえ損なったこの主張はいささか滑稽です。 なぜならバッハもヘンデルもモーツアルトもリストも、そして他ならぬベートーヴェンも素晴らしい即興演奏の大家だったのですから。
問題にするならそれは現在に残された楽譜の存在とその楽譜に忠実でなくてはならないと言う強固に築き上げられたクラシック音楽の固定観念に対してではないでしょうか。 即興演奏でなくては、自由でなくてはならないとことさらに主張する先がジャズである必然性は恐らくないでしょう。
即興演奏が何の抵抗もなく出来るのは現代音楽界においてはジャズに代表される系統の音楽ジャンルだから、そして難しい理屈はともかくジャズのノリがもたらしてくれる開放感が好きだから、グルダは己のピアノ演奏をクラシック音楽のリサイタルと言う牢獄に閉じ込めたくないのでジャズを目指すのだと言うのが本音なのでしょう。 反抗心にあふれる主張の影にはそんな妥協的な考えがあったのだと推測するのです。
幸か不幸か、私は「幸」だと思いますが、グルダは演奏活動においてクラシックもジャズもこなしてくれました。 一人のピアニストがどのジャンルの音楽をやりたいのかは本人の意思しだいで他人がとやかく言うべきものではないと常識をわきまえた人々は言うかもしれません。
グルダ その3に続く